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アレグロ・コン・ブリオ~第2章
http://classic.opus-3.net/blog/

2008年12月08日

ワークショップZERO、ドイツ・レクイエム

brahms_deutsches_requiem_barenboim.jpg「人間力向上セミナー」の簡単なホームページを作った。いろいろと悩んだ末、ネーミングは「ワークショップZERO」にする。ここでいう「0(ゼロ)」とは、何もないという意味ではない。インド哲学や仏教でいうところの「無」、「空」、あるいは「中庸」という意味に近い。「0(ゼロ)」は始まりであり、バランス(調和)でもあり、無限小という意味で「限りなく無限に近い」数字である。そのことが僕の知的好奇心を妙に刺激した。そう、いわゆる「無」という概念には宇宙全体が含まれており、その哲学的意味深さにちなんでいるのだ。今の時代こそ人々が「調和」に目覚め、各人が潜在的に持っている「無限の可能性」に気づき、そしてお互い協力し合って世の中を良くしていこうという意味を込め・・・。ただネーミングの由来をWeb上でわかりやすく説明するのは極めて難しく、今のところそのページだけはアップできていない。さて、どうするか・・・。

10月21日の滋賀短期大学での公開講座報告が学報に掲載されたようで、ご丁寧に3部ほどご送付いただいた。「楽しく興味深い語りと愛知とし子さんのピアノが印象的だった」という内容のコメントまでいただいており、素直に嬉しい。それに、(教養講座全体のアンケートなので、一概に判断はできないのだが)90%以上の受講者が「よかった」と感じていただけたようで、いろいろな意味でまた「やる気」、「勇気」をいただけたことにあわせて感謝します。

ブラームス:ドイツ・レクイエム作品45
ジャネット・ウィリアムズ(ソプラノ)
トーマス・ハンプソン(バリトン)
ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団&合唱団

20代の終わり頃一時期、ブラームスに恋焦がれるようにはまっていた時期がある。作品1のピアノ・ソナタから作品122の11のコラール前奏曲、それに作品番号をもたない全ての楽曲の音盤を集め、とにかく日々いつの瞬間(もちろん仕事以外の)も彼の音楽に浸っていた、そういう時代であった。なぜそれほどブラームスの虜になったのか・・・?
音楽はもちろんなのだが、どちらかというとその「人間」に興味をもったのが事の始まり。残された晩年の肖像写真を見ると、気難しく頑固そうな髭面が印象的で、とっつきにくそうな性格だろうとついつい思われがちだが、彼の伝記など文献を漁ると、ブラームスについて知れば知るほど、実は気弱で人一倍優しい人柄だったことが手に取るようにわかる。そう、「素直になりたくても気恥ずかしくて素直になれなかったんだろう」ことが、まるで当時の自分自身の「鏡」のようで、不思議な親近感を覚えたのだと思う。

ところで、この「ドイツ・レクイエム」。1856年の恩師シューマンの死、そして1865年の最愛の母の死に接し、それぞれの追悼のために書いた曲だといわれているこの音楽には、死者を弔うための祈りの気持ちはもちろんのこと、人間の生のそこはかとない悲しみが充溢している。青年ブラームスの創造した傑作。

第1曲「幸いだ、悲しんでいる人達は」(合唱)
何故なら彼らは慰められるに違いないからだ。(マタイ5、4)
彼ら、涙とともに種まく者は、喜びとともに刈り入れるであろう。
彼らは行き涙するけれども 義い種を背負っていれば、喜びとともに、
刈り入れた収穫の束を携えて来る。(詩篇126、5~6)
(対訳:丸山桂介)

2008年12月07日

与謝野晶子、フォーレ

faure_tortelier_heidsieck.jpg遅ればせながら「金子みすヾ」の世界にはまっている。別冊太陽の生誕百年記念特集号も手に入れ、ゆっくりと彼女の詩の世界に浸ろうと考えている。この天才女流詩人のことをいろいろと調べていくと、大正15年、23歳の時に西条八十の推薦を受けて「童謡詩人会」に入会を認められたという。会員には西条他、泉鏡花、北原白秋、島崎藤村など、中で女流では与謝野晶子と金子みすヾの二人のみというそうそうたるメンバーと肩を並べていたということだから、その時点ですでに天下に名立たる詩人として認められた才媛だということがよくわかる。
ともかくこれほど当たり前で、これほどわかりやすく書かれている文章の中に「世の全て」が包括されているのだから大した感性である。金子みすヾのすごいところは「目に見えないもの」までも感性で捉えて言葉で表現したことであろう。日本という小さな島国の、しかも地方の片田舎にいながら地球の裏側まで見据えるような感覚を若くしてもっていたというのは本当に奇跡的だ。ともかくたくさんの方に彼女の童謡を読んでいただきたいと願う。

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2008年12月06日

星とたんぽぽとマズルカ

chopin_argerich_mazurkas.jpg第21回「早わかりクラシック音楽講座」終了。今回も、アマチュア・ピアニストの方を初め、Webを見て申し込まれてきた方など、初めて参加の方が多く、とても刺激的で楽しい会になった。例によって詳細はまた後日ホームページにUPする予定だが、ショパンという音楽家の奥深さと、人間誰しも独りで生きているのではなく、誰かの力を得ながら生き永らえているのだということがしみじみと実感させられた3時間であった。わずか39年という短い生涯を駆け抜けていったショパンも、ひょっとするとサンドとの別れがもう少し先延ばしになっていたらばあと数年は長生きし、数多くの名作を残していたのかもしれない。

講座終了後は、ビール片手に手作り菜食料理を皆で楽しむ。メニューは、ベジしゃけの太巻き、ベジ・ラザニア、グリーン・サラダ、車麩のかき揚げ・・・。好評でした。

ところで、今日も講座の中で金子みすゞの童謡を採り上げた。どうもショパン-特に後期の作品を聴くと、僕には金子みすゞの作品がついつい思い出される。当然二人に関連性は全くない。しいていうなら二人とも夭折の天才創造家であったことくらい。それでも彼女の詩を読んでいるとショパンの音楽がぴったり寄り添うように相応しいし、ショパンの音楽を耳にすると金子の詩を思い出すのである。不思議なものだ・・・。

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2008年12月05日

ショパンとサンド

Chopin_francois_mazurkas.jpgここ数日、ショパンに浸っている。もともとクラシック音楽の世界に足を踏み入れたきっかけがショパンの音楽であったことは前にも書いた。いっとき寝ても覚めてもこのピアノの詩人といわれる芸術家のことが頭から離れず、まさに恋をしていたといっても言い過ぎではない状態にあった。しかしながら、そういう時期もとうに過ぎ去り、ここ十数年は年に何度CDプレーヤーに音盤を乗せるかというくらい真面目に耳を傾けることはなくなっていた。
2年前から始めた「早わかりクラシック音楽講座」のお陰で、思いがけなく(それはショパンに限らず)作曲家の生涯や時代背景を再び勉強することになり、若い頃には感じられなかった、あるいは見えなかった彼らの人間性、大袈裟に言えば真実のようなものが少しではあるが見えるようになり、音楽を聴く楽しみの幅が随分拡がったように思う。「人間死ぬまで常に勉強」だとはよく言うが、それも毎月のように楽しみにいらしていただける方々がいらっしゃるからであり、そう考えると「人のために働く」ということは「人が成長する」上で最も重要な要素なんだということを改めて実感する。

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2008年12月04日

ファジル・サイの「展覧会」!

mussorgsky_pogorelich.jpg数年前「春の祭典」の独り多重録音で話題をさらったファジル・サイ。この音盤は何回か聴き、確かに「面白い」企画だと感心させられたものの、スタジオでの編集作業を繰り返しての作り物という弱点が拭えず(当然実際には演奏不可能なものだし)、決して後世に残り得る名盤とは思えなかった(結局、棚の奥に埃を被っている状態)。先日、雅之さんからお借りしたサイとパトリツィア・コパチンスカヤのスーパー・デュオによる「クロイツェル・ソナタ」ほかを聴いてみて、これまた個性的な面白い演奏だと感心させられたし、ことに雅之さんがオススメされていたラヴェルのソナタなどは本当にワクワクするような感動的な演奏だった。とはいえ、彼の生演奏を聴いたことがない僕は、ファジル・サイというピアニストの力量が実際にどの程度のものなのか量りかね、大手を振って「凄い」と称賛できるだけの自信も確信も一方では持てなかったというのも事実である。

おそらく当代随一の才能を秘める彼のことだから、いずれにせよ一度じっくりと実演を聴いてみたいと思っていたところ、とうとうリサイタルに触れる機会が訪れた。

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2008年12月03日

褻と晴れ

bob_dylan_free_wheelin.jpg人は誰でもお祭り好きだ。ともかくどんな手段を使おうと誰かと「一体化」したいと望んでいるのである。師走になり「忘年会」花盛り。ここぞとばかりに歌を歌いまくり、羽目をはずしながら発散する人々を見て、人間の根底に潜む「性」を垣間見たよう。

島国日本は古来農耕民族で、集団生活を余儀なくされた。人々が協力し合いながら日々の糧を産み出す労働。あまりに勝手な行動をとり、掟に背くと「村八分」という試練が待っていた。よって時には我慢を強いられる。その積もりに積もったストレスを年に1度のお祭りで解放するのである。この時ばかりは「無礼講」。若いも老体もお神輿を担ぎ、ともかく「一つ」になることを願う。

とはいえあまりに行過ぎた行動は気をつけねばなるまい。どんな状況、状態でも大人であることを忘れてはならない。

深夜の新宿を歩きながらBob Dylanの「Blowin’ in the Wind」を口ずさむ。

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2008年12月02日

金子みすゞにアファナシエフのショパン

chopin_nocturnes_afanassiev.jpgホメオパシーのコンサルテーションを受けてから3週間ほどが経過する。お腹の辺りに発疹が出たり、腰の辺りがかぶれたようになる。これが好転反応というものらしいのだが、特にお腹の方は痒くてたまらない(もちろん掻き毟らないよう努力しているが)。ホメオパシーとは関係なく、以前も同じような状態になったことがある。その時は我慢ならずひどく掻いたため赤く腫上がって大変なことになった。もともと薬はあまり好きではないから「自然治癒」をと思って放っておいたのだが、完治せず、結局副腎皮質ホルモン系の皮膚薬を塗ったらばあっという間に湿疹はひいた。それでも、数年後同じような状態に陥るのだから、「薬」とは結局は「対症療法」に過ぎないことがよくわかる。
宇宙も、地球も、人間も「バランス」と「調和」の中に生きている。そのバランスがどこかで崩れた時にある一点「何か問題」が生じるのである。ともかく焦らずじっくりと「治まる」のを待つのが良いのだろう。

金子みすゞ童謡集「わたしと小鳥とすずと」を読むと、彼女がまだまだ若い時分から「物事を全体で捉える」ことができ、「極めて鋭い感性に富んだ」優れた詩人であったことがよくわかる。

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2008年12月01日

ピエ・カンツィオーネス、そしてシベリウス

sibelius_tuonela_jarvi.jpg2008年も残り1ヶ月・・・、本当に時間の経過は早い。2日間にわたる名古屋での「人間力向上セミナー」では、お陰さまでまた多くの「気づき」を得ることができ、ご参加いただいた(そしてご協力いただいた)皆様にも相応の納得のゆく成果を持って帰っていただけたのではないかと自負している。グループ・ダイナミクス的に考えると、本当はもう少し多くの方々とのコミュニケーションを通じながら自己の振り返りをする方が望ましいのかもしれないが、なるべく個々のニーズに合うような手作り感を求めていくと、少人数というのも決して悪くないものだと実感した。
昨日のセミナーでもお話ししたのだが、「相手の状況や状態を顧みず、一方的に発信するのではなく、水の流れに逆らわず、波に乗るかのように他者とキャッチボール、すなわちコミュニケーションができるようになると、人間の関係性は一層濃く、深いものになるのではないかと思う。より「人間らしく」、より「自分らしく」生きていきたいものだ。

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2008年11月28日

Spain

chick_light_as_a_feather.jpg事が起こってしまってから気づいて「後の祭」だということがよくあろう。
問題が起きたときに、大抵の人はその原因を「外」に見つけようとする。どんなに血眼になって探そうとも「外」にあるはずもなく、結局は自分自身の「内」にあるのだということに気づけるだけで様子はガラッと変る。問題やトラブルは恐らくほとんどの場合、「エゴ(我)による行動」をその因としているのだから、「エゴによる行動」か「そうでないか」を見極められるようになると、途端に事はうまく運ぶようになる。その見極めはかなり難しいと思うが、自分自身の「直観力」、「感覚」をもっと信じるところから始めることが肝心だ。初めの直感ほど「正しい」ことはない。迷いに迷って、考え過ぎれば考え過ぎるほど人は道を誤るもの。

幼少時に失明したにもかかわらず、ホアキン・ロドリーゴが世に送り出した名曲は数多い。中でも美しい旋律と哀愁漂う楽想をもった傑作「アランフエス協奏曲」は20世紀が産んだ5本の指に入る協奏曲といっても過言ではない。まさに「直感」だけを頼りに孤高の作曲家が生み出した心に染み入る音楽。今や通俗曲となったこの曲を普段好んで聴くことは滅多にない。しかし、年に1度か2度、ふと取り出して耳にするのはカルロス・ボネルがデュトワ&モントリオール響をバックに録音したDecca盤(1980年:この頃のデュトワはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、ロシア物、フランス物、スペイン物など多くの名盤を残している)。ともかく涙が出るほど美しい。第2楽章のあの有名な憂愁感漂う旋律を創出しただけでもロドリーゴは偉い!

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2008年11月27日

「つながり」を意識すること

Albeniz_Iberia_Hamelin.jpg一気に冬到来という気候で、雪でも降るのではないかと思わせるほど外の空気は冷たい。雨は明日の明け方まで続くとのことだが、風邪等ひかぬよう注意したいところ。週末は名古屋でセミナーがあるし、来週も予定が結構入っているので病気になっている暇はない。その字の如く「病は気から」というが、身体を冷やさないようにしつつ、意識を外に向け(つまり気を吐き)、人が喜んでくれる姿を想像しながら生きていると絶対倒れることはない。セミナーを受講していただく際、僕は「ここにいる自分以外の方たちのために一生懸命やってください」と皆さんにお願いする。人は誰でも他人のために生きているようなもので、そのことに気づき、そういう生き方が自ずとできるようになることで「人間力」が大幅に向上するということを間近にたくさん見てきたものだから、必ず冒頭に申し上げるのである。
「世界は一つで、すべてつながっており、自分もその一部である」ということを全ての人が自覚、認識したら世の中は本当に良くなるだろうな・・・。

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2008年11月26日

モンポウを聴く

mompou_plays_mompou.jpg昨日も今日も快晴。「愛知とし子ピアノリサイタル」にご来場いただいた皆様にお礼のメールを送ったところ早速いくつも返事をいただいた。音楽はもちろん良かったのだが、それ以上に見事だったのが、借景のように雨に濡れそぼる庭園をバックに、ピアノの音色と連動するかのように風がたゆたい、鳥が舞い降りる光景がたまらなく魅力的だったという感想がことのほか多かった。本当にどういうわけか24日のリサイタル当日だけ雨模様になるとは、これこそまさに天の配剤というか、神様が与えてくれた演出というか、こんなに幸運なことはない。ともかく、大勢の方々にご来場いただき、喜んでいただけたのだとあらためて実感した。

時と共に消え往く運命である「音の芸術」は、時間と景色の移り変わりと交錯することで本当に劇的な印象を与えるもの。特に、東京都庭園美術館のように、通常のホールとは違ったシチュエーションでのリサイタルはまた別の感動を与えてくれるから価値がある。来年にはホールが老朽化のため一旦壊されるということだが、何だかもったいないように思う。

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2008年11月25日

秋晴れにフランク

franck_gitlis_argerich.jpg前にも書いたアランの弾くフランクのオルガン曲を聴いていると、何とも不思議な気分になる。それはJ.S.バッハのオルガン曲とは違って、問答無用の宗教臭さが微塵も感じられない音楽であり、母なる大地を連想させる温かみと静けさをあわせもつ「幸福な調べ」なのである。
「過去と未来を鳥のように俯瞰しながら見渡せたら・・・」
そう、タイムマシーンに乗るような錯覚を催させるのだからこれはもう「麻薬」である。
そのフランクがその名声を確固としたものにした名曲がヴァイオリン・ソナタ。これは敬虔なカトリック信者であったフランクが世に送り出した突然変異的な傑作で、この音楽の中にもはや「フランク」という人間は存在していない。ただ妙なる音楽が鳴り響くのみ。おそらくこの音楽を感動的に表現するには相応の経験と年季が必要だろうことは楽器のできない僕にも手にとるようにわかる。
とはいえ、この音楽には数多の名盤が存在する。古くはティボーとコルトーのデュオ。そしてチョン・キョン・ファとルプーが録音したもの。さらにはマイスキー&アルゲリッチのチェロ版によるもの。ゴールウェイのフルートによる版での演奏(アルゲリッチのピアノ)というものもある。いずれの音盤で聴いてみても当然感動的だが、今日はギトリスがアルゲリッチの伴奏で演奏した別府でのライブ録音を取り出そう。

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2008年11月24日

雨模様の庭園美術館

brahms_wlach_quintet.jpg目黒の東京都庭園美術館大ホールでの「愛知とし子ピアノリサイタル」が無事終了した。先日の多治見でのコンサートの日もどういうわけか雨だったが、今日も午後から雨模様。リサイタル開始時間に合わせたかのように雨が降り始め、時間を追うごとに雨脚が激しくなっていく。主催者側からすれば生憎の雨で申し訳ない気持ちにもなるのだが、実はこの雨こそが最高の演出だったことに後から気づく。
この会場は多目的ホールゆえ通常のコンサートホールとは造りが違う。そのため音響こそ問題があるものの観客席から見る窓越しの背景には雄大な庭園が展開しており、雨に濡れた木々や風に揺れる木の葉がピアノの音と連動するように映え、雰囲気満点の舞台になった。お客様にも喜んでいただけたようで本当に良かった。それに、この時期、日の落ちるのも早く、コンサートが終盤になるにつれ少しずつ暗くなっていく様は見事で、薄暮の中でのピアノの音色は何とも感慨深かったことを付記しておく。天に感謝。

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2008年11月23日

ショパンとシマノフスキ

szymanowski_carmina_quartet.jpg仕事で「決めること」が苦手な人は、自分のことについても「決めること」が下手なようだ。何でもそうだが、後退するのでないなら右に行くか左に行くかしかないわけだから、「度胸」をすえて即断即決。そして一度決めたら梃子でも動かないという「信念」が大事。それは決して頑固になれということではない。腹をくくって、「たとえ火の中、水の中」。
進め、進め、前に進め。後ろを振り返ってもどうしようもない。立ち止まって考え込んでも時間をロスするだけ。自分を信じるべし!
午前中、ミーティングをしながらふと考えたこと。人の振り見て我が振り直せ。

シマノフスキを聴く。ショパンと並びポーランドを代表する作曲家とはいえ、「ピアノの詩人」の異名をもつショパンに比してシマノフスキの人気は決して高いとはいえず、主要な作品群もほとんど聴かれないのではないだろうか。そういう僕もこの作曲家のことに関しては極めて疎い(ほとんど何も知らないと言っていいくらい)。ただ、どんな作曲家であろうとその音楽を聴いて、感じ、考えたいという好奇心は常に持ち合わせているので、「レコ芸」などで発売当初随分評判が高かったと記憶するカルミナ四重奏団による弦楽四重奏曲を久しぶりに取り出した。

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2008年11月22日

ワインの楽しみ方講座、そしてコルトーのショパン!

chopin_waltzes_cortot.jpg府中のアビリティーズセンターで開催された「ワインの楽しみ方講座」に参加した。ワインの薀蓄に始まり、5種のワインのテイスティング、そして美味しいディナーをいただき、参加された方々と愉しく歓談し、あっという間の4時間半であった。途中、三野友子さんのライアー演奏(「主よ、人の望みの喜びよ」、「いつも何度でも~映画『千と千尋の神隠し』」)と愛知とし子のピアノ演奏(ショパンの嬰ハ短調ワルツと要望にお応えしてモーツァルトのトルコ行進曲)を交え、お酒をいただきながらほろ酔いで聴く音楽の素晴らしさと、音楽の持つ「癒し」、「人々を陽気にする」効果をあらためて実感した。
ところで、「ワインと健康」と題する講座の中で教えていただいたワインに関する知る人ぞ知るというマメ知識は大変興味深く、また参加させていただきたいと思った。とにかく面白い(それは、講師である伊東会長のお話のうまさに依るものだが)。
ちなみに、ワインは古来より通風治療の特効薬であったということに始まり、ワインのカクテルが強精剤になること、また「純粋理性批判」を著したエマニュエル・カントが80歳で死ぬ日までワインを飲まない日はなかったということなど、ワイン好きに限らずとも興味の尽きない話の数々はとても勉強になった。感謝です。

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2008年11月21日

ピリスのショパン!

chopin_pires.jpg「チベット体操!世田谷教室」が某タブロイド版夕刊紙の取材を受けるということで、男性実践者の一人としてコメントをいただきたいとお声が掛かった。昼には所用があったので、わずか1時間ほどだったが参加者の方々と交流し、チベット体操の効果(というか体験談)を少しばかりお話させていただいた。考えてみれば「チベット体操」なるものを始めてからかれこれ5年目に突入する。その間、一日たりとも休まず続けているのが自慢といえば自慢だが、確かに目に見えて効果が感じられるので、結果的には「辞められない」のである。1回1回自分の内なる声に耳を傾け、無心に身体を回転させ、深い呼吸を伴ったポーズをとる作業はもはやなければならない「習慣・日課」になっている。

以前雅之さんがコメントで書いておられたピリスのショパン後期楽曲集を聴いた。同じく輸入盤の発売が待ちきれず、我慢ならず手を出してしまったのだが、多少値が張るとはいえ解説書の装丁や内容は国内盤ならではのもので、これはこれで良しとする。
ところで、その内容。CD2枚に亘って収録された楽曲はその全てが「精神性」の高い、まさに晩年のショパンの心情や境地を体現した屈指の名演奏で、もうこれは山あり谷あり様々な人生経験を積んだ、ある程度年齢を経た演奏家でなければ表現できないだろうと思われる最強のショパン・アルバムだと独り心の中で感動して絶叫してしまった(笑)。
何となくCD2から聴き始めたのだが、特に、第1曲目の「幻想ポロネーズ」は(これはショパンの最高傑作の一つだと僕は考える)、例のカーネギーホールでのホロヴィッツの凄演とは全く違うノリと解釈で弾き切った女性ならではのたおやかな演奏で、もうのっけから卒倒しそうになったほどだ。それに、先日愛知とし子が多治見公演でも披露した「3つのワルツ作品64」。参った。圧倒的にピリスの勝ち(笑)・・・(あ、当たり前か・・・)。ゆったりとした余裕のあるテンポと息遣い。特に、嬰ハ短調はこうでなければならない。かのルービンシュタイン以上に愁いと哀しみが内面から滲み出るような演奏で、この曲のイチ押し推薦盤。これは必聴!

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2008年11月20日

関係の質

mozart_20_24_uchida.jpg思考を文章化するのは極めて難しい。頭の中で言いたいことはたくさんあるのだが、それを大勢の人に理解できるように目に見える形にするには相応のテクニックが必要なのだろう。特に、独りきりで問答するとなるとなおさらだ。
今、「関係」というものがごくごく僅かながら話題になってきているように思う。これは、僕自身が企業研修などで最近テーマにし、口を酸っぱくして語っていることなのだが、どこの会社、組織(あるいは個人という観点からみても)も「成果」というものを重視する。「成果」というのはプロセスの「結果」なわけだから、要は「結果」を出すことに誰もが躍起になる。「結果」を得るには、まず「行動」変容が重要な要素になる。「行動」変容を促すには「思考の癖」に気づき、より前向き・素直な姿勢に自らを変えていかなければならない。そこでネックになるのが「他」との関係である。人間は誰しも(というより物は何でも)環境にもろに左右される。つまり世の中に存在するすべてのものがそのもの一つで成り立っているのではなく、どんなものでも「他」との関係、相対的な関係の中で成立しているということだ。よって「絶対」というものはいわゆる「神仏」というものにしか存在しないことになる。般若心経にある「色即是空、空即是色」こそが宇宙の真理ということなのだろう。

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2008年11月19日

久しぶりにQueen

queen_2.jpgどうやら今日がThe Whoの最終公演らしい。今朝から朝日新聞を読んでいると、先日の彼らの公演評が大々的に採り上げられており、世間から相応の注目を浴びているような印象を受けた。ちょうど夜は予定が空いていたものだから行こうか行くまいか散々迷った挙句、結局今回は見送ることにした(いや、ひょっとすると本当にこれが最初で最後の単独来日になるのかもしれないので、意を決して動こうとしたものの、一方で今更という感もあったので「まぁいいか」とあっさり諦めたというのが事実である)。

迷った時は行動するというのが鉄則。確かにコンサートひとつとってみても「後の祭」ということが何度かある。中でも、今でも忘れられないのがQueenのこと。85年だったかの来日の際(代々木第一体育館でのコンサートだったと記憶するが)、何と彼らはFirst Albumからの楽曲まで披露し、当日当夜その場に居合わせた幸運な観客は、久しぶりに往年のQueenらしいパフォーマンスを堪能できたらしいという話を後から聞いた。そして、同時に、「これでQueenも見納めなのではないか」(結局それは現実となったのだが)という憶測まで立ち昇ったことから、後々まで友人たちの間で語り草になった。このコンサートに興味を持ちながらも行かないという選択をしたことが今となっては悔やんでも悔やみきれないのである。だから、The Whoの来日コンサートにはやっぱり行っておけば良かったかなどとまだうじうじしている(笑)(何だかんだいってまた来ると期待しているのだが・・・)。

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2008年11月18日

前のめりの推進力

beethoven_brendel.jpg16日の多治見での「愛知とし子ピアノリサイタル」は250名以上ものお客様にご来場いただき、盛況のうち終了した。ピアニスト本人は諸々の点で反省はもちろんあるようなのだが、ミスタッチなどのトラブルが当然あってこそのライブなので、そういう細かいことは横に置いておくとして、純粋に一聴衆として客観的に判断してみてとても優れたコンサートであったと思う。あえて一つ付け加えるなら、少々「お話」が長すぎる印象を僕は持ったが、一般のお客様方にはあの「しゃべり」も好評だったようだから、プログラム全体として捉えると、やはり愛知とし子ならではの演奏会になったのだろう。

昨晩も録画ビデオをプレイバックしてみたのだが、思った以上に本当に良い。当日右手後方の位置で全曲をしっかり聴かせていただいたが、いつものように本人以上に緊張していたせいか、上の空で(笑)、細かい点の記憶が正直あまりない。特に、前半最後の「英雄ポロネーズ」あたりから演奏者の「苦悩」(笑)が手に取るようにわかり、居ても立ってもいられなかった。とはいえ、このポロネーズは(瑕は少々あったものの)コーダなどは後半最初の「テンペスト」同様、愛知とし子の持つ「前のめりの推進力」、「未来に向かっての意志力」を感じさせてくれるような演奏で、彼女の本領というのはまさに「前に向かって進む大いなる力」を表出する音楽で発揮されるものなのだということがあらためてわかったことが収穫であった(まぁ、裏返せば「せっかち」な性格という表現にもなるかもしれないが(笑)・・・)。僕はもともと重厚でゆっくりとしたテンポの演奏を好んで聴いてきたのだが、この頃はこういう「猛烈な動き」を伴ったキリッと締まった速目のテンポの演奏-そう、ムラヴィンスキーカルロス・クライバー、あるいはシューリヒトに代表されるような即物的だが個性豊かな演奏が断然好きになっている。
それに、ベートーヴェンやブラームス、あるいはシューマンというどちらかというと暗鬱とした内燃するような妖気を醸し出すドイツ物を中心に「推進力」のある演奏を心がければ、愛知とし子の立派なライフワークとして成り立つんじゃないかと勝手に期待した次第である。

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2008年11月15日

がんばれ!

wagner_rogner_meistersinger.jpg「逃げちゃダメだ」。昨日、夜遅くに先日のセミナーの個人セッションでアドバイスしたひと言。いつも思うが、忠告やアドバイスというのは結局自分自身に言っているようなもので、昨晩もそういいながらふと「新世紀エヴァンゲリオン」のことを思い出した。第1話で、初号機のパイロットに突如指名されEVAを目の前にして碇シンジが心の中で叫ぶ言葉が「逃げちゃダメだ」。結局彼は勇気を振り絞ってEVAに搭乗することになるのだが、僕にとってあのシーンはとても印象的。
なぜ印象深いのか自問してみると、少なくとも若い頃の僕は「逃げる」ことばかり考えていた傾向があるからだ。そう、性格は極めて「びびり」だったわけです。ところが、人生いつまでも逃げていられないということがある時にわかる。少なくとも社会に出てからは必ずチャレンジをしなければならない状況に置かれるのだから面白いもの。まぁ、よく考えてみると全ての行動は自分自身が判断して選択しているわけから、やっぱり僕は「勇気があるんだ!(笑)」などとも思って、自分自身を日々鼓舞している。
物事はぶつかるか逃げるかどちらかである。「今」をベストを尽くして生きるなら、何でもそうだと思うがチャレンジすべし。

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