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2007年09月 アーカイブ
2007年09月30日

定番

417H7FKFRGL._AA240_.jpg今日は午後から知人の結婚披露宴&2次会。お二人ともそこそこの年齢で、(どうも僕らしくないのだが)ご両親の喜びようを見ていると、とてもおめでたく感動的で幸福感に満ちており、「家庭を持つこと」や「社会生活を送っていく上でのバランス」の重要性をあらためて感じさせられた。人と人との出逢い、特に男女の出逢いというのはとても不思議なもので、意識して出逢おうと思ってもうまくいかないし、かと言ってスイッチが入っていないと出逢っても素通りしてしまうし・・・、ということで、やっぱり「赤い糸」なるものが存在していて、おそらく生まれる前から「決めて」この世に出てきているのだろうと再確認させられる。いつ出逢うかというのは個人差があるもので、結局のところは「必然」、自然の流れに任せるしかないのだろう。
結婚式といえば、定番になっているのがパッヘルベルのカノン。この曲のイントロを聴くだけで条件反射的に涙を流してしまう輩も多いと聞くが、それくらいにこの曲はポピュラーであると同時に「心の琴線」に触れる、やはり「魂を安らかにさせる」効果を持つ究極の音楽であることは間違いない。

続きを読む "定番" »

2007年09月29日

魂を揺さぶるエロイカ

308.jpg無事「早わかり古典音楽講座」が終了した。気がつくともう8回目。今日のお題は「モーツァルトの光と翳」というもの。たかだか35年の生涯なれど、何百曲にも及ぶ名曲群の中で数曲を取り出して解説しようというのだからある意味正気の沙汰ではない。
いやいや、3時間近く講義をして大変でした。年表を作成し、まずは簡単に彼の生涯を辿る。そして、トランジション(転機)の際の音楽的変化やモーツァルトのもつマジック(魔力)に注意しながら彼が残した名曲をわかりやすく解説しながら進めていく。多少焦点が定まりきらず広がりすぎた感もあるが、概ね成功だったと思う。

ところで、例によって最後は歌劇「魔笛」の話で盛り上がった。やはり晩年1791年に作曲した曲はどれも透明感に溢れていて、半分天国に片足を突っ込んでいるかの如くの人間業とは思えない名曲揃いでいずれはその周辺をテーマにもう一席設けなきゃいけないかな、とも考えている。そんな中、いつしか話題は「魔笛」の調性「変ホ長調」に移り、参加者から変ホ長調の楽曲について聴かれたので「皇帝」やシューマンの「ライン」、マーラーの第8番などいくつか挙げた次第。

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2007年09月28日

父は耐えるほかなし

997.jpg昨日は満月だったのでモノだけじゃなく自分自身の思考も含め捨てるものは捨てるという決心をした。何だか効果は抜群なようで、いろいろなことが整理されて現象化する。偶然といってしまえばそれまでなのだが、やはり「内なる力」が働いているのだろう。
自分にとって必要なもの、正しい方向を向いているものは必然的に残され、一方、不要なもの、間違った方向を向いているものは明らかに消されていく。長い間、連絡の無かった人から電話が入る。ビジネスの懸案事項においても進展のあるものもあれば、頓挫するものもはっきりと答えが出る。いずれにせよ、自分自身の向かう方向だけはぶれないようにすることが大切である。心静かに自らを省みつつ、確実に前に向かって精進していけば必ずや「正しい」方向に進むはずなのだから。

そんなことを考えながら、ふと、朝日新聞の夕刊の一面を見ると、「素粒子」欄に、

一人は力士の子を失い「息子だけでたくさん」。一人は記者の倅を亡くし「ああした仕事だから仕方ない」。父は耐えるほかなし

とあった。

続きを読む "父は耐えるほかなし" »

2007年09月27日

Eros Thanatos

41K975602GL._AA240_.jpg第8回「早わかり古典音楽講座」が明後日に迫った。お陰さまで毎回たくさんの方に参加していただけるので、事前準備にとても気合が入る。しかし、モーツァルトに関しては研究すればするほど奥深く、35年という短い人生をあっという間に駆け抜けていった彼の生き様や音楽そのものに興味が尽きることはない。とても一度の講座で語りきることは不可能なので、いずれまた再登場させるつもりである。

ところで、10月は6日(土)の特別講座「早わかりハルサイ講座」の他、28日(日)にワーグナーをとりあげる予定なのだが、果たしてどのように料理するかが問題だ。あくまで初心者が対象なので、いわゆる楽劇からの抜粋や「管弦楽名曲集」的なノリでアプローチするのが妥当な線なのだが、いきなり畢生の大作「ニーベルンクの指環」の世界にどっぷりと浸っていただくというのも名案かもしれないと考えている。

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2007年09月26日

へヴィー??

41NC9BPNVWL._AA240_.jpgモーツァルトの「魔笛」K.620はジングシュピール。つまり、ドイツ語で歌われるオペラである。本来はメルヘンとして書かれているのだが、実はドイツ的な重厚さと物語の哲学性を内在しており、音楽、台本ともども「ヘヴィー」が似合う歌劇だ。そして、同じくモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」K.527はイタリア語オペラだが、人間心理の動きが中心テーマであるその筋書きや、そもそも重く書かれた音楽からこちらも「ヘヴィーな演奏」がとてもよく似合う。
一方、モーツァルトのオペラの中で最も人気が高いのは「フィガロの結婚」K.492だと思うが、これはイタリア語で歌われ、軽快なテンポで物語が進行するオペラ・ブッファ、つまり喜劇なのである。よって僕の個人的な見解では「ヘヴィー」は似合わない。

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2007年09月25日

御前演奏会

Bruckner_Asahina_no5.jpg生涯で2度御前コンサートに同席したことがある。まったく偶然の鉢合わせ。1度目は東京文化会館で購入していたシートがちょうど陛下の臨席されるブロックにあたっていたため、事前にプレス席に移動して欲しいという旨のご丁寧な文書が楽団から届いた。2度目はその瞬間まで関係者以外は誰にも知らされていないだろうというサプライズ(まぁ、皇室関係の日常の動きは我々一般人が通常は知らないのが当たり前なのだが)。

面白いことに、その2度とも朝比奈隆が指揮するブルックナーの第5交響曲の演奏会であった。陛下は余程この曲が好きなのだろう。指揮者に対する終演後の延々と続く万雷の拍手にも一般人と一緒になって笑顔でお応えになられていた。一方、さすがは明治生まれの御大。戦後生まれの僕らには想像もできないのだが、天皇陛下となると戦前は「現人神」であったわけで、その襟を正した緊張感に溢れる見事な演奏は録音されて市場に出なかったことが誠に残念でならない。今思い出しても感激で涙が出る(2度目は1998年の東京定期だったが、大阪フィルのその時の熱演も立派なものだった)。

続きを読む "御前演奏会" »

2007年09月24日

朝比奈奇跡のブラームス

41946EYDNBL._AA240_.jpgとても過ごしやすい気候になり、いよいよ秋到来の予感。初秋の季節にはブラームスの音楽(特に青年期に書いた音楽)がとてもよく似合う。
そういえば、朝比奈隆が新日本フィルと最後のツィクルスを演ったのも確か今頃だったなぁ、と懐かしく思い出しながらCDを取り出す。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15
伊藤恵(ピアノ)
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
(2000Live)

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2007年09月23日

永遠のジョルジュ・ドン

31FWGT6KYCL._AA200_.jpg10月13日に東京オペラシティ・リサイタルホールで行われる*AK* the piano duoコンサート事前特別講座をその前の週に実施する(10月6日)。メイン・プログラムであるストラヴィンスキーの「春の祭典」についてクラシック音楽入門者(ほとんど僕の友人だが・・・)のために解説をし、演奏会当日目いっぱい楽しんでいただこうという主旨で企画したのである。「春の祭典」、通称「ハルサイ」は異常ともいえるエネルギーを内在しており、過去に様々な芸術的スキャンダルを振り撒いた20世紀が生んだ大傑作。
LP時代名盤とされていたサー・コリン・デイヴィス&王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団盤を軸にあれこれ資料を作成したあと、ふと思い立ち、モーリス・ベジャール振付・二十世紀バレエ団の「春の祭典」を観た。かれこれ20年近く前NHK-BSで放映されたものを録画しておいたものを久々に取り出したのだ(「ハルサイ」は2度ほど生でも体験している。確か1990年頃にベジャール・バレエ団が来日した際、最後の「ハルサイ」ということで上野に足を運んだと記憶している)。ビデオにしろ、生の舞台にしろ本当に衝撃的で、作曲者自身はバレエ作品としての物語性を次第に強く否定するようになったのだが、やはりこれは誰が何と言っても「バレエ音楽」なんだとあらためて感じさせられたことをまざまざと思い出す。

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2007年09月22日

癒しの音楽

623.jpg午前中、GCDFの実技試験を再挑戦(前回「仮合格」だったので・・・)。先日も「ヘルピング・トレーニング」を3時間ほど受講したのだが、合格ラインというのは極めて曖昧で、結局どんなクライアント役にあたるかの「運」に随分左右されるように感じる。今日も終了時の手ごたえは前回並み。うーん、微妙。
こういう状態のときは身体が「癒しの音楽」を要求する。魂を芯から癒してくれる音楽って何だろう?その字の如く「鎮魂曲」-すなわちレクイエム・ミサ曲系?バロック音楽?モーツァルト?
あれこれ悩み、1枚のCDを取り出した。
グリーグ「弦楽オーケストラのための作品集」と題する音盤。組曲「ホルベアの時代から」を目当てに10数年前に購入したものだが、以来時折耳にしたくなる準愛聴盤。

エドヴァルド・グリーグ:「2つの悲しき旋律」作品34
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団

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2007年09月21日

疾走する哀しみ

31CS30FF9HL._AA240_.jpgまたしてもフルトヴェングラーのモーツァルト。つい昨日もザルツブルク音楽祭ライブの「魔笛」について書いたが、今日は例の40番について感じたことを書く。
まずは驚いた。そして、感動した。
どういうことか?
そう、フルトヴェングラーのモーツァルトはいただけないという一部の風説に惑わされ、ほとんど何十年も無視していたのだ。「魔笛」についても然り。「不惑」の年を越えて3年。「惑わされない」ようになるには相応の年にならないと無理ということか・・・。やはり自分自身の耳と感性を大事にしなくては。

モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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アレグロ・コン・ブリオ~「愛」+「勇気」=「ワンネス」:2007年09月アーカイブ
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定番

417H7FKFRGL._AA240_.jpg今日は午後から知人の結婚披露宴&2次会。お二人ともそこそこの年齢で、(どうも僕らしくないのだが)ご両親の喜びようを見ていると、とてもおめでたく感動的で幸福感に満ちており、「家庭を持つこと」や「社会生活を送っていく上でのバランス」の重要性をあらためて感じさせられた。人と人との出逢い、特に男女の出逢いというのはとても不思議なもので、意識して出逢おうと思ってもうまくいかないし、かと言ってスイッチが入っていないと出逢っても素通りしてしまうし・・・、ということで、やっぱり「赤い糸」なるものが存在していて、おそらく生まれる前から「決めて」この世に出てきているのだろうと再確認させられる。いつ出逢うかというのは個人差があるもので、結局のところは「必然」、自然の流れに任せるしかないのだろう。
結婚式といえば、定番になっているのがパッヘルベルのカノン。この曲のイントロを聴くだけで条件反射的に涙を流してしまう輩も多いと聞くが、それくらいにこの曲はポピュラーであると同時に「心の琴線」に触れる、やはり「魂を安らかにさせる」効果を持つ究極の音楽であることは間違いない。

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魂を揺さぶるエロイカ

308.jpg無事「早わかり古典音楽講座」が終了した。気がつくともう8回目。今日のお題は「モーツァルトの光と翳」というもの。たかだか35年の生涯なれど、何百曲にも及ぶ名曲群の中で数曲を取り出して解説しようというのだからある意味正気の沙汰ではない。
いやいや、3時間近く講義をして大変でした。年表を作成し、まずは簡単に彼の生涯を辿る。そして、トランジション(転機)の際の音楽的変化やモーツァルトのもつマジック(魔力)に注意しながら彼が残した名曲をわかりやすく解説しながら進めていく。多少焦点が定まりきらず広がりすぎた感もあるが、概ね成功だったと思う。

ところで、例によって最後は歌劇「魔笛」の話で盛り上がった。やはり晩年1791年に作曲した曲はどれも透明感に溢れていて、半分天国に片足を突っ込んでいるかの如くの人間業とは思えない名曲揃いでいずれはその周辺をテーマにもう一席設けなきゃいけないかな、とも考えている。そんな中、いつしか話題は「魔笛」の調性「変ホ長調」に移り、参加者から変ホ長調の楽曲について聴かれたので「皇帝」やシューマンの「ライン」、マーラーの第8番などいくつか挙げた次第。

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2007年09月28日

父は耐えるほかなし

997.jpg昨日は満月だったのでモノだけじゃなく自分自身の思考も含め捨てるものは捨てるという決心をした。何だか効果は抜群なようで、いろいろなことが整理されて現象化する。偶然といってしまえばそれまでなのだが、やはり「内なる力」が働いているのだろう。
自分にとって必要なもの、正しい方向を向いているものは必然的に残され、一方、不要なもの、間違った方向を向いているものは明らかに消されていく。長い間、連絡の無かった人から電話が入る。ビジネスの懸案事項においても進展のあるものもあれば、頓挫するものもはっきりと答えが出る。いずれにせよ、自分自身の向かう方向だけはぶれないようにすることが大切である。心静かに自らを省みつつ、確実に前に向かって精進していけば必ずや「正しい」方向に進むはずなのだから。

そんなことを考えながら、ふと、朝日新聞の夕刊の一面を見ると、「素粒子」欄に、

一人は力士の子を失い「息子だけでたくさん」。一人は記者の倅を亡くし「ああした仕事だから仕方ない」。父は耐えるほかなし

とあった。

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2007年09月27日

Eros Thanatos

41K975602GL._AA240_.jpg第8回「早わかり古典音楽講座」が明後日に迫った。お陰さまで毎回たくさんの方に参加していただけるので、事前準備にとても気合が入る。しかし、モーツァルトに関しては研究すればするほど奥深く、35年という短い人生をあっという間に駆け抜けていった彼の生き様や音楽そのものに興味が尽きることはない。とても一度の講座で語りきることは不可能なので、いずれまた再登場させるつもりである。

ところで、10月は6日(土)の特別講座「早わかりハルサイ講座」の他、28日(日)にワーグナーをとりあげる予定なのだが、果たしてどのように料理するかが問題だ。あくまで初心者が対象なので、いわゆる楽劇からの抜粋や「管弦楽名曲集」的なノリでアプローチするのが妥当な線なのだが、いきなり畢生の大作「ニーベルンクの指環」の世界にどっぷりと浸っていただくというのも名案かもしれないと考えている。

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へヴィー??

41NC9BPNVWL._AA240_.jpgモーツァルトの「魔笛」K.620はジングシュピール。つまり、ドイツ語で歌われるオペラである。本来はメルヘンとして書かれているのだが、実はドイツ的な重厚さと物語の哲学性を内在しており、音楽、台本ともども「ヘヴィー」が似合う歌劇だ。そして、同じくモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」K.527はイタリア語オペラだが、人間心理の動きが中心テーマであるその筋書きや、そもそも重く書かれた音楽からこちらも「ヘヴィーな演奏」がとてもよく似合う。
一方、モーツァルトのオペラの中で最も人気が高いのは「フィガロの結婚」K.492だと思うが、これはイタリア語で歌われ、軽快なテンポで物語が進行するオペラ・ブッファ、つまり喜劇なのである。よって僕の個人的な見解では「ヘヴィー」は似合わない。

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御前演奏会

Bruckner_Asahina_no5.jpg生涯で2度御前コンサートに同席したことがある。まったく偶然の鉢合わせ。1度目は東京文化会館で購入していたシートがちょうど陛下の臨席されるブロックにあたっていたため、事前にプレス席に移動して欲しいという旨のご丁寧な文書が楽団から届いた。2度目はその瞬間まで関係者以外は誰にも知らされていないだろうというサプライズ(まぁ、皇室関係の日常の動きは我々一般人が通常は知らないのが当たり前なのだが)。

面白いことに、その2度とも朝比奈隆が指揮するブルックナーの第5交響曲の演奏会であった。陛下は余程この曲が好きなのだろう。指揮者に対する終演後の延々と続く万雷の拍手にも一般人と一緒になって笑顔でお応えになられていた。一方、さすがは明治生まれの御大。戦後生まれの僕らには想像もできないのだが、天皇陛下となると戦前は「現人神」であったわけで、その襟を正した緊張感に溢れる見事な演奏は録音されて市場に出なかったことが誠に残念でならない。今思い出しても感激で涙が出る(2度目は1998年の東京定期だったが、大阪フィルのその時の熱演も立派なものだった)。

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朝比奈奇跡のブラームス

41946EYDNBL._AA240_.jpgとても過ごしやすい気候になり、いよいよ秋到来の予感。初秋の季節にはブラームスの音楽(特に青年期に書いた音楽)がとてもよく似合う。
そういえば、朝比奈隆が新日本フィルと最後のツィクルスを演ったのも確か今頃だったなぁ、と懐かしく思い出しながらCDを取り出す。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15
伊藤恵(ピアノ)
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
(2000Live)

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2007年09月23日

永遠のジョルジュ・ドン

31FWGT6KYCL._AA200_.jpg10月13日に東京オペラシティ・リサイタルホールで行われる*AK* the piano duoコンサート事前特別講座をその前の週に実施する(10月6日)。メイン・プログラムであるストラヴィンスキーの「春の祭典」についてクラシック音楽入門者(ほとんど僕の友人だが・・・)のために解説をし、演奏会当日目いっぱい楽しんでいただこうという主旨で企画したのである。「春の祭典」、通称「ハルサイ」は異常ともいえるエネルギーを内在しており、過去に様々な芸術的スキャンダルを振り撒いた20世紀が生んだ大傑作。
LP時代名盤とされていたサー・コリン・デイヴィス&王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団盤を軸にあれこれ資料を作成したあと、ふと思い立ち、モーリス・ベジャール振付・二十世紀バレエ団の「春の祭典」を観た。かれこれ20年近く前NHK-BSで放映されたものを録画しておいたものを久々に取り出したのだ(「ハルサイ」は2度ほど生でも体験している。確か1990年頃にベジャール・バレエ団が来日した際、最後の「ハルサイ」ということで上野に足を運んだと記憶している)。ビデオにしろ、生の舞台にしろ本当に衝撃的で、作曲者自身はバレエ作品としての物語性を次第に強く否定するようになったのだが、やはりこれは誰が何と言っても「バレエ音楽」なんだとあらためて感じさせられたことをまざまざと思い出す。

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2007年09月22日

癒しの音楽

623.jpg午前中、GCDFの実技試験を再挑戦(前回「仮合格」だったので・・・)。先日も「ヘルピング・トレーニング」を3時間ほど受講したのだが、合格ラインというのは極めて曖昧で、結局どんなクライアント役にあたるかの「運」に随分左右されるように感じる。今日も終了時の手ごたえは前回並み。うーん、微妙。
こういう状態のときは身体が「癒しの音楽」を要求する。魂を芯から癒してくれる音楽って何だろう?その字の如く「鎮魂曲」-すなわちレクイエム・ミサ曲系?バロック音楽?モーツァルト?
あれこれ悩み、1枚のCDを取り出した。
グリーグ「弦楽オーケストラのための作品集」と題する音盤。組曲「ホルベアの時代から」を目当てに10数年前に購入したものだが、以来時折耳にしたくなる準愛聴盤。

エドヴァルド・グリーグ:「2つの悲しき旋律」作品34
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団

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2007年09月21日

疾走する哀しみ

31CS30FF9HL._AA240_.jpgまたしてもフルトヴェングラーのモーツァルト。つい昨日もザルツブルク音楽祭ライブの「魔笛」について書いたが、今日は例の40番について感じたことを書く。
まずは驚いた。そして、感動した。
どういうことか?
そう、フルトヴェングラーのモーツァルトはいただけないという一部の風説に惑わされ、ほとんど何十年も無視していたのだ。「魔笛」についても然り。「不惑」の年を越えて3年。「惑わされない」ようになるには相応の年にならないと無理ということか・・・。やはり自分自身の耳と感性を大事にしなくては。

モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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2007年09月20日

おお、永遠の夜よ!

3200021162.jpg久しぶりにフルトヴェングラーのモーツァルトを幾つかとり出して聴いてみた。
というより、クラシック音楽を聴き始めた当初からフルトヴェングラーは僕にとって最も大切な指揮者の一人で、残された録音のほとんどは耳にしている。マニアではないので同録異盤を蒐集する「癖」はないが、正規録音盤はほぼ全て揃えた。ベートーヴェンなど未だに彼の録音がベストだと言い切れる音盤が多い中、モーツァルトに関してはどの録音もどうも「重すぎ」、長いこと聴かず嫌いで、棚の奥に眠ったままの音盤が多かった。
つい先日、ワルターの40番をじっくり聴いたときに、フルトヴェングラーがEMIに残した録音も聴いてみた。昔、初めて聴いたときは、まさしく「疾走する哀しみ」という言葉通りの演奏で、そのテンポの速さに驚くと同時に、フルトヴェングラーらしいとはいえない(と思った)演奏にがっくりし、これもきちんと聴かずに放ったままになっていた。ところが、何十年も経てあらためて聴いてみると意外にいいのである。テンポも予想していたほど違和感が無いし、自分が年をとったせいか「むしろ感動した」といっても言い過ぎではない。

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2007年09月19日

驚愕の瞬間

41S5G5YF6GL._AA240_.jpg新ウィーン学派の音楽は概して夜更けの音楽である。昨深夜ついつい頭が妙に冴え心地よく眠りにつけないことをいいことに極々小音量でかの音楽をかけ読書をした。夜中とはいえ住居のある場所は新宿ということもあり、道路を往来する車の音や目の前の消防署から勢い出て行く消防サイレンの音が時折けたたましく鳴り響く。田舎と違い完全なる静寂は望めない。
そんな中で聴く音楽はひょっとすると「正しい聴き方」でないのかもしれない。がしかし、20世紀前半、音楽界を席巻した「無調」の世界に身を浸すと否が応でも「脳みそ」を一点に集中せざるを得ず、外の喧騒が全く耳に入らなくなるのはとても不思議なものである。

ところで、「調性」の世界は人間が心地よく音楽を楽しめるように様々な規則の中に閉じ込めた音楽であり、一方「無調」はその「枠」をとっぱらった自由な音楽であるという。なるほど見方を変えると、音楽も人間の都合のいいように決められた「ルール」の中に窮屈に閉じ込められてきたということか・・・。あまり意識していなかったが、ジャズの世界では「無調」の楽曲を「フリー・ジャズ」と呼ぶのはその字の如くということだろう。

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2007年09月18日

慟哭のモォツァルト

41KC09WN47L._AA240_.jpg昨日、モーツァルトの「第40番」のもつ偉大なる「翳」についてちょっと触れたが、より一層の「内燃する悪魔性(一言で表現するうまい言葉が見つからない・・・)」を感じさせるのがピアノ協奏曲第20番ニ短調。この曲も初めての出逢いは高校生の頃で、やはり当時心酔していたフルトヴェングラーがイヴォンヌ・ルフェーブルと協演したスイス・ルガーノでのライブ録音盤にて。モーツァルトらしからぬあまりの激しさと悲劇性に入門者にはある意味理解の度を超え、当初はむしろ敬遠する楽曲だった。

そして、しばらくしてから出逢ったのがグルダ盤。これによってやっとこの曲の真価がわかったようなものである。発売当初から評判が高く、その頃推薦盤として必ず音楽雑誌に取り上げられていた名盤である。ほかにも内田光子盤バレンボイム&ベルリン盤、ハイドシェック&ザルツブルク・モーツァルテウム盤、アルゲリッチ&ラビノヴィチ盤など名盤はいくつもあるが、やはり僕にとって原点はこのグルダ盤か。

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2007年09月17日

愛の哀、または哀の愛

51ZMV4X53DL._AA240_.jpg僕が本格的にクラシック音楽にのめり込むきっかけを作った曲はモーツァルトのト短調交響曲。メロディがポピュラー音楽に転用されたり、電話の保留音などにも使われたりしているので、ちょっとしたクラシック好きだけでなく普段クラシックなど聴かない連中でも第1楽章のあの「憂い」に満ちた旋律は知っていよう。
毎月のことだが、「早わかり古典音楽講座」の効用とでも言おうか、音楽評論家かはたまた演奏家かと自分でも勘違いしそうなほどその月にとりあげる作曲家を相当集中的に聴く羽目になり、若い頃散々聴いた「有名曲」を重箱をひっくり返すように隅々までじっくりと聴いている。しかし、今までとは多少違った観点から耳を傾けるからだろうか、もう何百回と聴いて飽き飽きしたと思っていたような曲がとても新鮮に響き、今日など連続してしかもかなり集中して2回も聴いてしまった。

モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

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2007年09月16日

グラウンディング

083.jpg日本の近海に台風が近づいているということで、九州などでは局地的な大雨が降っているらしい。東京は「小春日和」ともいうべき爽やかな青空が広がり心地よい。午後、一仕事終えた後にデスクでぼんやりと本を読みながら思い出した。

ちょうど10年前の夏、ザルツブルクやプラハ、リンツ、ブダペストなど中欧諸国を何人かで10日ほどかけて周った。列車での移動あり、レンタカーでの移動あり、もちろん飛行機で移動ありのとても楽しい「旅」であった。いつもヨーロッパを訪問すると、必ず僕がやるのは「作曲家詣」。生家やお墓など大好きな音楽家の縁の地に足を運び、その場でその人の創作した楽曲を聴き、独り悦に浸るのである。

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2007年09月15日

鉛の飛行船復活!

41SVHQFVYWL._AA240_.jpg何とレッド・ツェッペリンが今秋ロンドンにて一夜限りのライブ・パフォーマンスをやるという。全世界からチケットを求めて2000万人が殺到しているのだと。主催者のホームページにはここのところ平均して1分間に8万アクセスものクリックがあると報道されていた。誰もが待っていた19年ぶりのパフォーマンス。

彼らが全盛を誇った60年代末から70年代末までの約10年間で何回か来日しているが、当然幼い子どもだった僕は聴いていない。1980年ジョン・ボーナムの突然の死により解散しているため以降聴く機会が永遠に失われてしまった。そして、85年のライブ・エイドにて復活ライブがありテレビで食い入るように見ていたが、当時はむしろ他のバンドがお目当てで(ザ・フーとかクイーンとか)、ツェッペリンの凄さを今ほど理解していなかったこともあり、彼らのパフォーマンスについてはほとんど記憶が無い。何となく時間が過ぎていったのだろう・・・。

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2007年09月14日

浪漫

31gtame9K5L._AA240_.jpg今日もEs-Dur(変ホ長調)の曲。
ブルックナーの「ロマンティック」交響曲。この曲を初めて聴いたのは1980年頃。なぜかフルトヴェングラークナッパーツブッシュがウィーン・フィルと演ったロンドン盤。ブルックナーに関してはもともと第7交響曲に魅せられていたゆえ、第4は2番目のブルックナー体験。とてもとても素晴らしい曲で毎日のように聴いていたことを昨日のように思い出す。ブルックナーにはまりつつあったわけだから当然ブルックナーについての文献も読み漁るようになる。それでわかったこと。何と彼の楽曲には版の問題があった。大きく言うと、もともと彼が意図して書いた版は「原典版」、そして弟子が師匠のためにとオーケストレーションを変更したりカットを施したりしたモノが所謂「改訂版」。両者の差は歴然、全くの別物といっても言い過ぎではない。そして、何と上記のフルトヴェングラー盤もクナッパーツブッシュ盤も悪名高い「改訂版」で演奏されていたという事実。

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2007年09月13日

意識覚醒の調性

466.jpgEs-Dur(変ホ長調)という調性は人間の魂を開放する波動をもっているように感じる。音楽教育を専門的に受けたわけではないので、あくまで僕の持論だが・・・。もちろん絶対音感も持ち合わせていない。ゆえに、聴いてそういうものを感じさせる音楽についてあとから調べるとEs-Dur(変ホ長調)という調が多いからそう思っただけである。

例えば、ベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」。自殺を図ろうとまで思い悩み、かの「ハイリゲンシュタットの遺書」まで認めながらも、その「壁」を自ずと乗り越え書き上げられたこの交響曲は、質量ともそれ以前の彼を大幅に超えた巨大な音楽であり、宇宙の鳴動である。この曲によって西洋古典音楽は長日の進歩を見せ、ベートーヴェン自身こそが後世の作曲家にとっての偉大なるマイルストーンになる。また、「傑作の森」といわれる時期、その絶頂期に作曲した最後のピアノ協奏曲第5番作品73「皇帝」も同じく「宇宙の調」。

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2007年09月12日

喪失感

936.jpg人間は誰しも潜在的に「一体化」を求めている。しかし、「身体というもの」を持って生まれてきたがゆえ、コミュニケーションをとらないと人は深く交われない。フィジカルにもメンタルにも満足感を得るためにはお互いが「心を開いた」親和というエネルギーの循環をどうしても必要とするところが逆に人間の弱さなのかもしれない。

昨日、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観た。平日の午後だというのに若者で一杯だ。以前のTV版や映画版を何度か観ているので概略は理解しているつもりなのだが、どうも唐突に「つづく」となった感があり、欲求不満状態である。新解釈版なので今後の展開が楽しみではあるが、ひとつ言えるのが、人間の根底に流れる「喪失感」がテーマであるということだ。つまり、主人公・碇シンジの父親に対する「喪失感」を一つの軸にして物語が展開していくのである。

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2007年09月11日

トランジション~失意のモーツァルト

41X2SFB4QYL._AA240_.jpg昨日と今日は今月の講座のテーマであるモーツァルトの研究を少々。ざっくりと彼の生涯を見渡すとなるほどその人生が決して順風満帆なものではなく「山あり谷あり」だったことがよくわかる。ピアニストの内田光子曰く、モーツァルトの生涯と音楽にとってトランジション(転機)は大きく3回あったということだ。

1.母アンナ・マリアの死(1778年)
2.コンスタンツェ・ウェーバーとの結婚とその後の新しい生活(1782年)
3.父レオポルトの死(1787年)

モーツァルト22歳のとき最愛の母は亡くなった。
母の遺体を前に彼は父に宛てて手紙を書く。現在形で・・・

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2007年09月10日

自然の理

31D0207HNQL._AA240_.jpg人間のことを「小宇宙」と呼ぶ。その人間が住んでいるこの地球は「大宇宙」のほんの一端に過ぎない。そして、身の周りで起こっている様々な問題は、人間が自ら引き起こした行為の結果である。

先だってから「調律音楽」の勉強をしていて、「1/fゆらぎ」という物理学の概念を知った。自然界にあるものは、すべてが一定の規則正しさの中にあるのではなく、不安定にゆらいでいるということらしい。身体のリズムも波の音も鳥の鳴き声もすべて微妙な「ゆらぎ」の波形を持っているということだ。もちろん、音楽の場合でも、規則正しい一定のビートを単純に刻み続けることは不可能であり、そういうものはかえって不快感を催すらしい。多少の「遊び」のある微妙な「ゆらぎ」の中に身を委ねることで、人間の身体はリラックスし癒されるということであろう。

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2007年09月09日

怪物

515.jpg人間はやはり誰しも「潜在的な能力」を秘めているのだ、ということを改めて実感した。人は周りの状況や他人に左右される。しかし、最も影響が大きいのは「自分自身の中にある自らの声」なのだ。どんなに明確にモティベーションを持っても、その動機付けを完全否定するだけの大きなエネルギーがあると、目標は達成できないどころかむしろマイナスになってしまう。一方、ポジティブな声が充溢しているときは、その声が自分自身を後押ししてくれるものなのだ。

人は「他力」を得て、そして「自力」で成長していくものである。まずは、他人の賞賛であり、評価。そして、自ら生み出す行動と実績。全てはそこから始まるのだ。

ワーグナーは、史上稀に見る才能を持った音楽家であった。しかし、そういう能力を秘めた彼であっても若い頃は食えなかった。借金に追われた。そんな中でも自分自身のポリシーや夢を信じ、楽劇を書き続けた。そして、バイエルン国王ルートヴィヒ2世に出逢ったのである。ルートヴィヒは国費をかけてワーグナーのオペラ上演を支援した。そのお陰でワーグナーの楽劇を上演するためだけのバイロイト祝祭劇場が建設された。大変なことである。

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2007年09月08日

継続は力なり

41T8XHBXH2L._AA240_.jpg僕の座右の銘は「継続は力なり」である。
今夜、最近知り合ったIさんと分かち合った。彼は医者でありMBAも持っているキレモノである。彼から突然問われた言葉。「成功する秘訣は何だと思います?」
明確なモティベーション?協力してくれる人のネットワーク?いろいろ考えたが答えに窮した。最後に僕が言った言葉。「あきらめないこと」。

なるほど、今まで20年間僕が出逢う人たちに口酸っぱく言ってきた言葉だ。そう、「継続」なのである。あきらめないことなのである。彼はMBA的な見地から教えてくれる。僕自身は「人間力」という観点から考える。全く別方向からの攻め方なのだが、答えは一致する。うーん、僕としたことが・・・。別の角度から質問されると頭が真っ白になってしまった。要は角度が狭いのだ。360度で物事が捉えられていないのである。大事なのは「鳥瞰」。

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2007年09月07日

台風一過

41GCM7EQHVL._AA240_.jpg夕べのものすごい風を伴った台風が嘘のような穏やかな秋空が広がる。政財界あらゆるところでゴタゴタが続いているこのご時勢、いっそのこと全てを浄化してきれいにしてしまうのもいいのでは、という天の按配かもしれない。

ところで、音楽にも「浄化音楽」というのがあるのをご存知だろうか?人間生きていると悲しみにも喜びにも遭遇する。悲しいときには「悲しい」音楽を、腹が立ったときは「怒り」を爆発させるような音楽を聴くと心身の浄化にとても良いらしい。

例えば、チャイコフスキーの「悲愴」交響曲。あるいはピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出のために」など。こういう音楽は「悲しみ」を浄化する音楽だといわれる。モーツァルトの「レクイエム」などの短調作品にもそういう傾向があるかもしれない。哲人アリストテレスは「悲劇をみることで自分の心が浄化(カタルシス)される」と言ったが、こと音楽の場合、自分が好きな楽曲がイコール「浄化音楽」なのだと僕は考える。Jポップだろうとロックだろうとジャズだろうと、何でも良いのだ。心静かに好きな音楽に無心に身を委ねることが大事だ。

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2007年09月06日

必見!

585.jpgこれもまだ僕が高校生だった頃の話。当時の僕はクラシック音楽聴き始めにも関わらず、いきなりフルトヴェングラーの演奏に魅せられ、少ないお小遣いながらせっせと音盤を集めたり、同趣味の友人と音源を交換したりという生活をしていた。あるとき日本フルトヴェングラー協会の存在を知り早速入会した。当時はまだインターネットなどというものも当然なく、情報といえばこういった専門的な団体の発行する会報などから得る以外他に術がなかった。

しばらくしてからかの協会から、フルトヴェングラーの指揮姿の映ったA4版のカラー・チラシが届いた。何と、1954年のザルツブルク音楽祭での「ドン・ジョヴァンニ」の映画だという。もちろんフルトヴェングラーの指揮姿が映っているということだ。見たい!しかし、当時はまだまだ家庭用ビデオも高価な時代。もちろん我が家にはなかったし、そのVHSテープの価格たるや何と8万円!!
高校生の僕からしてみると目が飛び出るほどの額だった。でも、何とか見たい。それからは寝ても覚めても「フルトヴェングラーの指揮する」姿を夢に見続けた。

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2007年09月05日

境目

51E%2BjYOtCRL._AA240_.jpgつい先日「SQ魂の知能指数」という本を読んだのだが、これが滅法面白い。数年前の「EQこころの知能指数」の二番煎じかと思ったが、タイトルはともかく内容はさにあらず。人間の脳というのは複雑だが、突き詰めていくと、EQもIQ同様一本の木の枝のようなもので、大本の幹は「SQ」に通じるのかもしれないと考えるようになった。

ところで、この本によると、創造的行為はすべて「秩序」と「混沌」の「境目」で起きているのだという。

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2007年09月04日

即興詩人

3177N7RZPQL._AA240_.jpg昨日の午後は「音楽関係」の打ち合わせで渋谷に出掛け、夜は夜で二子玉川にて「人財支援」関係のミーティング。21:30からの打ち合わせだったので、帰りは必然的に23時過ぎになった。田園都市線から半蔵門線に乗り入れ、「青山一丁目」駅で大江戸線に乗り換えるのだが、地下深くエスカレータを下っていて、何故だか突然キース・ジャレットの弾く例のメロディーが頭の中を駆け巡った。

Keith Jarrett:The Köln Concert

友人の推薦でこのアルバムを初めて耳にしてから随分時が経つ。ジャズの世界にふらっと足を踏み入れてから二十余年経過するが(とはいうもののクラシックほどは深く追求していない)、未だに僕がジャズの名盤として推薦する最初の1枚がこの音盤である。

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2007年09月03日

一条の光

41SMHFH0TBL._AA240_.jpg2007年も3分の2が経過し、いよいよ9月の到来である。
本年本月は北欧の生んだ巨人シベリウスの没後50年の節目。いつぞやの日記にも書いたが、シベリウスの音楽はとても静謐で、後期の作品になればなるほど凝縮された厳しさとそうであるが故の「精神性」、「宇宙的広がり」をもつ傑作揃いである。彼は玄人好みの作曲家で、(特に後期の作品などは)初心者にはおいそれと薦められない楽曲が多いといえば多いのだが、思い切って「シベリウスの世界」に飛び込んでしまうのも逆に面白いかもしれない。
ところで、彼は初期の「クレルヴォ交響曲」を含めると合計で8つの交響曲を書いているのだが、ベートーヴェンと同様そのいずれもが名作で、クラシック音楽を聴く上で避けて通れないシンフォニストだと僕は思っている。ベートーヴェンの最後の交響曲、第9はご存知のように当時としては異例の大きさを持った楽曲であるのに対し、シベリウスの最後の第7交響曲はある意味極限まで凝縮した「単一楽章」による大傑作。ここで「ある意味」と書いたのは同じ「極限」でも新ウィーン学派といわれるアントン・ヴェーベルンのような楽曲になるとやり過ぎ、突き詰めすぎという感が否めないからだ。(ヴェーベルンの音楽も僕は決して嫌いじゃないが・・・)

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2007年09月02日

モーツァルトはモーツァルト

079.jpg今月の「古典音楽講座」のお題は「モーツァルトの陰陽」
何百という楽曲を残したモーツァルトの名曲群をほんの数時間で料理しようというのだからある意味無謀な挑戦というか冒険というか・・・。どの曲をどういう風にとりあげ、細かい内容をどうするかなどと考えていると今から頭が痛い。

ところで、専門的に音楽を勉強していない方々でも長調、短調という言葉は聞いたことがあるだろう。簡単に言えば、「明るい調子」または「暗い調子」という曲想を表現する「調性」のことをいう。
モーツァルトの場合、その楽曲のほとんどは長調、つまり「明るく朗らかに」書かれているのだが、時折思い出したように創り出された短調作品に途轍もない名曲、絶品が多いのも事実。世間には、「暗いモーツァルトはモーツァルトでない」という人もあれば、「憂えるモーツァルトこそ人間モーツァルトの機微を表現しているのだ」と返す人もいる。どちらが良いとか悪いとかは聴く側個々の好みの問題なので何とも言及できないが、いずれにしろモーツァルトはモーツァルト。その時その日の気分に合わせて聴けばとても楽しい。

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2007年09月01日

God bless our love

415cc0DgsmL._AA240_.jpgジョン・レノンが暗殺されてもう30年近くになる。例の事件当時は僕もまだ高校生で、「名前は知っているが・・・」という程度の存在だった。ちょうど1980年の秋ごろに「Double Fantasy」というアルバムが5年ぶりに発売され、知人が聴かせてくれたのだが、聴いたTPOが非常にまずかったことを思い出す。2曲目のオノ・ヨーコが歌う「Kiss Kiss Kiss」。これが、Jane Birkinの歌声ならまだしも、ヨーコの喘ぐ声が効果音のように録音されたエロチックな曲なのである。家族・親戚と一緒に聴いていたものだから気まずいのなんのって・・・。

ところで、ジョンの死後初めて出されたアルバム「John Lennon:Milk & Honey」。ラスト・ナンバーが何と言っても傑作だ。直近に迫った自らの「死」を予感していたかのような詩もさることながら、彼の死により完成されないまま残されたデモ・テープでの貧しい音が逆に生々しい。

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