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2007年10月 アーカイブ
2007年10月31日

神無月がゆく

4988005460363M.jpg大地の楽器である(と勝手に僕が思っている)ピアノと宇宙の楽器である(と、これまた勝手に僕が思っている)チェロが織り成す「あまりに人間的な」音楽、ブラームスのチェロ・ソナタ。
同時代に生きたワーグナーやブルックナーの音楽を聴くと人間とはかけ離れた遠大な「宇宙的規模」の創造主を感じさせるのだが、ブラームスとなると全く逆の性質で、内へ内へと入り込んでいくミクロ・コスモスの不発弾のような印象を僕は感じる。芸術家に限らずなのだが、時代や地域が同じとはいえ、人間一人一人の持っている役割やエネルギーはこうも違うのだということを再認識させられるのだ。
ブラームスの音楽は渋い、といつか書いたと記憶する。彼の音楽は「ネクラ」の音楽だ、とある音楽評論家は語っている。そして、若い頃、「ネクラ」な僕でも受け付け難い「イジイジ」感を感じたこともまた事実なのである。

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2007年10月30日

究極の美

Scriabin_Ponti.jpgドストエフスキーの最高傑作「カラマーゾフの兄弟」。今夏、新訳された文庫本が何と30万近く部数を伸ばしたという。カラマーゾフ家周辺で起こる女性関係を巡っての愛憎や殺人事件を横軸に、そして全く性格の違う3兄弟による「神の存在への是非」という思想を縦軸に壮大な哲学的ドラマを織り成すこの長編小説が何ゆえ今の時代に好まれるのだろうか?
直情的だが素直な心の持ち主である長男ドミートリー、理詰めで神の不在を説く次男イヴァン、そして、ゾシマ長老に使える僧であり、神への信仰心篤い三男のアリョーシャ。如いて言うなら人間の持つ脳の三様-順番に「EQ的なるモノ」、「IQ的なるモノ」、「SQ的なるモノ」-をそれぞれ表しているのではないかと思わせる人物設定は、現代の荒廃した社会に棲む我々が直面している問題を、今こそどのように解決していくべきなのか回答してくれている「バイブル」的存在として支持されているからなのかもしれない。
とにかく一見普通のミステリー小説にも思えるこの大作は、人間の持つ「聖俗」両面を見事に描き出しており、多くの方に読んでいただきたい古典的大傑作なのである。

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2007年10月29日

大人の「恋愛」

4104BFVXJEL._AA240_.jpg昨日から弟夫婦が子供連れで東京ディズニー・リゾートを訪れているので昼間に舞浜で落ち合い、イクスピアリのレストランで食事をした。彼らはこれまで何度か東京に来ているが、実は会って共に食事をしたのは初めて。というのも、昨年までやたらに仕事の縛りが厳しく、プライベートでも時間がそうそうはままならなかったということと、そして、弟とはいえ一回りほども歳が離れているゆえ、僕が東京に出てきたのは彼がまだ7歳の頃のことで、そういう意味では人生の中で「家族らしき」交流をしてこなかったなどの理由から(別に仲が悪いわけでは決してないのだが)、今日のような機会がなかった、というより作らなかったからである。
しかし、人間誰しも歳をとるにつれ思考や行動パターンは自ずと変わり、余裕もでき、歳の差が12歳あろうと、相手は所帯も持ち子供もいるわけだから、ある意味僕以上に「大人」なわけで、何だか見習わないといけないような「現実感」や「安心感」も感じられ、「人間臭い」有意義なひとときでとてもよかった。

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2007年10月28日

「愛」のスイッチ

61rK8IKNNzL._AA240_.jpg今日は第9回「早わかり古典音楽講座~ワーグナー:愛による救済」だった。報告は後日に譲るとして、まずは反省点。合計14時間にも及ぶ楽劇の全貌を3時間でまとめて話そうとしたこと自体が少々無理あり。しかも、オペラそのものを題材にするのか、ワーグナーの思想をテーマにするのかにより内容が当然違ってくるはずなのだが、その辺を一緒くたにしてしまったものだから正直視点がぼやけてしまったところが一番の問題だったか・・・。

とはいえ、今日の本題は、実は終了後の井戸端会議的なところからスタートしたようなものだった。残ったのは僕を含めて5名。ある人から「愛による救済」というところに関する質問があった。ワーグナーの場合、楽劇「トリスタンとイゾルデ」然り、楽劇「ニーベルングの指環」も然り、舞台神聖祝典劇「パルジファル」も然り、全て「究極の愛」が通奏低音になっている。ワーグナーは、一生かけて「女性の愛による救済」をテーマに楽劇を書き続けた。「女性の愛」が「男性を救う」のだ。マティルデ・ヴェーデンドンクとの不倫愛もそう、最後の妻コージマの愛もそう。女性の愛により自分自身は救われているのだとワーグナーは確信していたのだろう(男の勝手な妄想でもあり解釈でもあるのだが・・・)。

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2007年10月27日

「愛」を感じよう

410FAYY2SJL._AA240_.jpg副島隆彦氏の講演会を聞いた。テーマは「ドル覇権の崩壊-その後を予測する」というもの。彼の著作は以前から面白く読ませてもらっているのだが、内容はいずれも過激だ。しかし、その予測はかなりの確度で的中しているゆえ侮れないどころか信憑性があるので、会員というか信者(?)からしてみると一種のバイブル的なものになっており、今日の講演会も日本青年館の中ホールがほぼ満杯だった。
しかし、その著作から想像させる「激性」はその人柄や話しぶりからは感じられない。どちらかというと「愛」がある。ゆえにファンが多いのだろう。

晩年、完全に耳が聴こえなくなったベートーヴェンが残した弦楽四重奏群。いわゆる「傑作の森」期の楽曲や残されたエピソードから我々がもつ「劇的」なベートーヴェン像とは隔絶し、内省的な、そして僧侶のような「アガペー(博愛)」を伴った彼自身の小宇宙が転化した人類の至宝ともいうべき音楽が記録されているのが特徴か。
そう、ベートーヴェンの紡ぎ出す音楽にも「愛」が感じられるのだ・・・。

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2007年10月26日

満月の夜に想う

arrau.jpg外は生憎の雨。せっかくの満月が拝めないのは残念だ。
昨日からどういうわけか身体が重かったが、楽になった。今日のお昼ごろキャリアカウンセリング協会から実技試験の合否通知が届くことが昨日からわかっていたものだから、そのプレッシャーだったのかもしれない。お陰さまで「合格」でした。あとは資格申請をし、正式に受諾されるのを待つのみ。1ヶ月近くかかるらしい。

ドビュッシーの「月の光」を聴く。

ドビュッシー:ベルガマスク組曲~月の光
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
※CDは廃盤。Boxセットはあり。

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2007年10月25日

ポリスの共時性

41R5JVSTQFL._AA240_.jpg最後の最後、土壇場でとある企画が頓挫した。また一から出直し。というより、世の中そんなに簡単にコトが運ぶことは稀で、山あり谷あり、壁にぶつかって、方法を変え、行き着くものなのだから、とにかく諦めず粘ることだ。「天気を見て、農作業をしている人々に直に聞いてみて」、「自然の流れ」に任せるのがベストである。とはいえ、「聞き回る」という行動は常に起こさなければならない。

ポリスが結成30周年を記念して再結成し、とうとう26年ぶりに日本の土を踏む。最後のアルバム発表は、ちょうど僕が大学に入学した年のことだから1983年のことである。その頃The Beatlesの音楽と出逢い、クラシック音楽一辺倒だった僕にとってロックやジャズなどのポピュラー・ミュージックへの扉が開かれた時期でもあった。
若者の間ではFEN(極東放送)のAmerican Top 40という番組が流行り、ラジオの周波数を810kHzにあわせ、ドライブしながら友人たちとよく聞いたものだった。まだまだCDも出始めた頃で、高額だったゆえ手は出ないし、大学生にはLPですらなかなか買えない頃だったので、FM放送を含めたラジオからの情報はとても貴重だったことを思い出す(そういえばJ-Waveも確かこの頃に開局したと記憶する)。

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2007年10月24日

超絶技巧!~高須博ピアノ・リサイタル

wagneriana.jpg新宿区角筈区民ホールでの「高須博ピアノ・リサイタル~The Art of Transcription」に行って来た。有名なオペラからの抜粋やオーケストラ曲のピアノ編曲版ばかりを集めたとても洒落たコンサートであった。まだ録音機器の無かった時代、一般大衆がオペラや管弦楽曲を日常的に聴くにはピアノへの編曲という方法しかなかった。よって、当時の作曲家は競って有名楽曲をピアノや室内楽に編曲しているのだが、中でも、引く手数多、あちこちでもてはやされたのがフランツ・リスト。とはいえ、今回のプログラムにはリスト編曲のものは登場しない。第1曲目の「トラヴィアータ・ファンタジー」からラストの「火の鳥」抜粋まで息をもつかせぬ超絶技巧の嵐。聴いてて、手に汗握る連続でこんなに興奮して感動したリサイタルは久々であった。楽曲そのものは非常にポピュラーなものが多かったので、2時間弱全く飽きさせないのもよし。ある意味、ハイドシェックのリサイタルを凌ぐ何かがある、と思わせるプログラム構成の妙味。そして、ほぼ休みなく弾き続ける彼の肉体の強靭さには舌を巻く。とにかく一聴もの。いや、こういう技巧派の演奏は聴くというより観ると言った方が正しい。2会場に空席がちらほら見えたことを考えると、もったいなくて残念で、もっとたくさんの人たちに聴かせたい、そう思った演奏会であった。

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2007年10月23日

パヴァーヌ~かもめの歌

41HN0CNNGBL._AA240_.jpg今年はラヴェルの没後70年ということもあり、知ってか知らずかあちこちで彼の音楽を聴くことが多い。ラヴェルの楽曲を特別愛着持って聴いてきたわけではないのだが、一時期バレエにはまっていた時期があったゆえ、近現代フランス音楽の中では結構お気に入りの部類の音楽であるのは間違いない。殊に「亡き王女のパヴァーヌ」という音楽が好きで、時折CDトレイに音盤を乗せて、悦に浸っている。その際、取りだすのは必ず、クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団盤である。

今日も久しぶりにこの楽曲を聴いていたのだが、聴きながらふとキング・クリムゾンの「かもめの歌」を思い出した。第4作目「アイランズ」に収録されているオーボエがメロディを奏でるクラシカルな室内楽的名曲なのだが、曲想や旋律、雰囲気がとても似ているのだ。

King Crimson:Islands

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2007年10月22日

勇気の音楽

41RDDC1PT2L._AA240_.jpgワーグナーの破天荒ぶりは並大抵のものじゃなく、借金という借金を重ね、近しい人にいろいろと迷惑をかけたという意味では最低の人間だったらしい。しかしながら、その芸術的才覚は人類史上稀にみるほど天才的で、その才能に惚れこんだバイエルン王が一生を保障するだけの資金を提供したことは有名な話である。
人間的に最低というのは、女性関係でもそうで、最初の妻との結婚生活のときも、マティルデ・ヴェーデンドンクとの不倫問題で物議を醸したし、友人であったベルリン・フィルハーモニー初代常任指揮者のハンス・フォン・ビューローの妻であったコージマを寝取って自分の伴侶にしたりと、そのハチャメチャぶりは脱帽ものである。とはいうものの、そういった女性関係から彼の傑作楽劇が生まれているというのも事実で、「英雄色を好む」じゃないが、性欲はイコール創造欲求であるということも否めない。

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アレグロ・コン・ブリオ~「愛」+「勇気」=「ワンネス」:2007年10月アーカイブ
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2007年10月31日

神無月がゆく

4988005460363M.jpg大地の楽器である(と勝手に僕が思っている)ピアノと宇宙の楽器である(と、これまた勝手に僕が思っている)チェロが織り成す「あまりに人間的な」音楽、ブラームスのチェロ・ソナタ。
同時代に生きたワーグナーやブルックナーの音楽を聴くと人間とはかけ離れた遠大な「宇宙的規模」の創造主を感じさせるのだが、ブラームスとなると全く逆の性質で、内へ内へと入り込んでいくミクロ・コスモスの不発弾のような印象を僕は感じる。芸術家に限らずなのだが、時代や地域が同じとはいえ、人間一人一人の持っている役割やエネルギーはこうも違うのだということを再認識させられるのだ。
ブラームスの音楽は渋い、といつか書いたと記憶する。彼の音楽は「ネクラ」の音楽だ、とある音楽評論家は語っている。そして、若い頃、「ネクラ」な僕でも受け付け難い「イジイジ」感を感じたこともまた事実なのである。

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2007年10月30日

究極の美

Scriabin_Ponti.jpgドストエフスキーの最高傑作「カラマーゾフの兄弟」。今夏、新訳された文庫本が何と30万近く部数を伸ばしたという。カラマーゾフ家周辺で起こる女性関係を巡っての愛憎や殺人事件を横軸に、そして全く性格の違う3兄弟による「神の存在への是非」という思想を縦軸に壮大な哲学的ドラマを織り成すこの長編小説が何ゆえ今の時代に好まれるのだろうか?
直情的だが素直な心の持ち主である長男ドミートリー、理詰めで神の不在を説く次男イヴァン、そして、ゾシマ長老に使える僧であり、神への信仰心篤い三男のアリョーシャ。如いて言うなら人間の持つ脳の三様-順番に「EQ的なるモノ」、「IQ的なるモノ」、「SQ的なるモノ」-をそれぞれ表しているのではないかと思わせる人物設定は、現代の荒廃した社会に棲む我々が直面している問題を、今こそどのように解決していくべきなのか回答してくれている「バイブル」的存在として支持されているからなのかもしれない。
とにかく一見普通のミステリー小説にも思えるこの大作は、人間の持つ「聖俗」両面を見事に描き出しており、多くの方に読んでいただきたい古典的大傑作なのである。

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2007年10月29日

大人の「恋愛」

4104BFVXJEL._AA240_.jpg昨日から弟夫婦が子供連れで東京ディズニー・リゾートを訪れているので昼間に舞浜で落ち合い、イクスピアリのレストランで食事をした。彼らはこれまで何度か東京に来ているが、実は会って共に食事をしたのは初めて。というのも、昨年までやたらに仕事の縛りが厳しく、プライベートでも時間がそうそうはままならなかったということと、そして、弟とはいえ一回りほども歳が離れているゆえ、僕が東京に出てきたのは彼がまだ7歳の頃のことで、そういう意味では人生の中で「家族らしき」交流をしてこなかったなどの理由から(別に仲が悪いわけでは決してないのだが)、今日のような機会がなかった、というより作らなかったからである。
しかし、人間誰しも歳をとるにつれ思考や行動パターンは自ずと変わり、余裕もでき、歳の差が12歳あろうと、相手は所帯も持ち子供もいるわけだから、ある意味僕以上に「大人」なわけで、何だか見習わないといけないような「現実感」や「安心感」も感じられ、「人間臭い」有意義なひとときでとてもよかった。

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2007年10月28日

「愛」のスイッチ

61rK8IKNNzL._AA240_.jpg今日は第9回「早わかり古典音楽講座~ワーグナー:愛による救済」だった。報告は後日に譲るとして、まずは反省点。合計14時間にも及ぶ楽劇の全貌を3時間でまとめて話そうとしたこと自体が少々無理あり。しかも、オペラそのものを題材にするのか、ワーグナーの思想をテーマにするのかにより内容が当然違ってくるはずなのだが、その辺を一緒くたにしてしまったものだから正直視点がぼやけてしまったところが一番の問題だったか・・・。

とはいえ、今日の本題は、実は終了後の井戸端会議的なところからスタートしたようなものだった。残ったのは僕を含めて5名。ある人から「愛による救済」というところに関する質問があった。ワーグナーの場合、楽劇「トリスタンとイゾルデ」然り、楽劇「ニーベルングの指環」も然り、舞台神聖祝典劇「パルジファル」も然り、全て「究極の愛」が通奏低音になっている。ワーグナーは、一生かけて「女性の愛による救済」をテーマに楽劇を書き続けた。「女性の愛」が「男性を救う」のだ。マティルデ・ヴェーデンドンクとの不倫愛もそう、最後の妻コージマの愛もそう。女性の愛により自分自身は救われているのだとワーグナーは確信していたのだろう(男の勝手な妄想でもあり解釈でもあるのだが・・・)。

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2007年10月27日

「愛」を感じよう

410FAYY2SJL._AA240_.jpg副島隆彦氏の講演会を聞いた。テーマは「ドル覇権の崩壊-その後を予測する」というもの。彼の著作は以前から面白く読ませてもらっているのだが、内容はいずれも過激だ。しかし、その予測はかなりの確度で的中しているゆえ侮れないどころか信憑性があるので、会員というか信者(?)からしてみると一種のバイブル的なものになっており、今日の講演会も日本青年館の中ホールがほぼ満杯だった。
しかし、その著作から想像させる「激性」はその人柄や話しぶりからは感じられない。どちらかというと「愛」がある。ゆえにファンが多いのだろう。

晩年、完全に耳が聴こえなくなったベートーヴェンが残した弦楽四重奏群。いわゆる「傑作の森」期の楽曲や残されたエピソードから我々がもつ「劇的」なベートーヴェン像とは隔絶し、内省的な、そして僧侶のような「アガペー(博愛)」を伴った彼自身の小宇宙が転化した人類の至宝ともいうべき音楽が記録されているのが特徴か。
そう、ベートーヴェンの紡ぎ出す音楽にも「愛」が感じられるのだ・・・。

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2007年10月26日

満月の夜に想う

arrau.jpg外は生憎の雨。せっかくの満月が拝めないのは残念だ。
昨日からどういうわけか身体が重かったが、楽になった。今日のお昼ごろキャリアカウンセリング協会から実技試験の合否通知が届くことが昨日からわかっていたものだから、そのプレッシャーだったのかもしれない。お陰さまで「合格」でした。あとは資格申請をし、正式に受諾されるのを待つのみ。1ヶ月近くかかるらしい。

ドビュッシーの「月の光」を聴く。

ドビュッシー:ベルガマスク組曲~月の光
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
※CDは廃盤。Boxセットはあり。

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2007年10月25日

ポリスの共時性

41R5JVSTQFL._AA240_.jpg最後の最後、土壇場でとある企画が頓挫した。また一から出直し。というより、世の中そんなに簡単にコトが運ぶことは稀で、山あり谷あり、壁にぶつかって、方法を変え、行き着くものなのだから、とにかく諦めず粘ることだ。「天気を見て、農作業をしている人々に直に聞いてみて」、「自然の流れ」に任せるのがベストである。とはいえ、「聞き回る」という行動は常に起こさなければならない。

ポリスが結成30周年を記念して再結成し、とうとう26年ぶりに日本の土を踏む。最後のアルバム発表は、ちょうど僕が大学に入学した年のことだから1983年のことである。その頃The Beatlesの音楽と出逢い、クラシック音楽一辺倒だった僕にとってロックやジャズなどのポピュラー・ミュージックへの扉が開かれた時期でもあった。
若者の間ではFEN(極東放送)のAmerican Top 40という番組が流行り、ラジオの周波数を810kHzにあわせ、ドライブしながら友人たちとよく聞いたものだった。まだまだCDも出始めた頃で、高額だったゆえ手は出ないし、大学生にはLPですらなかなか買えない頃だったので、FM放送を含めたラジオからの情報はとても貴重だったことを思い出す(そういえばJ-Waveも確かこの頃に開局したと記憶する)。

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2007年10月24日

超絶技巧!~高須博ピアノ・リサイタル

wagneriana.jpg新宿区角筈区民ホールでの「高須博ピアノ・リサイタル~The Art of Transcription」に行って来た。有名なオペラからの抜粋やオーケストラ曲のピアノ編曲版ばかりを集めたとても洒落たコンサートであった。まだ録音機器の無かった時代、一般大衆がオペラや管弦楽曲を日常的に聴くにはピアノへの編曲という方法しかなかった。よって、当時の作曲家は競って有名楽曲をピアノや室内楽に編曲しているのだが、中でも、引く手数多、あちこちでもてはやされたのがフランツ・リスト。とはいえ、今回のプログラムにはリスト編曲のものは登場しない。第1曲目の「トラヴィアータ・ファンタジー」からラストの「火の鳥」抜粋まで息をもつかせぬ超絶技巧の嵐。聴いてて、手に汗握る連続でこんなに興奮して感動したリサイタルは久々であった。楽曲そのものは非常にポピュラーなものが多かったので、2時間弱全く飽きさせないのもよし。ある意味、ハイドシェックのリサイタルを凌ぐ何かがある、と思わせるプログラム構成の妙味。そして、ほぼ休みなく弾き続ける彼の肉体の強靭さには舌を巻く。とにかく一聴もの。いや、こういう技巧派の演奏は聴くというより観ると言った方が正しい。2会場に空席がちらほら見えたことを考えると、もったいなくて残念で、もっとたくさんの人たちに聴かせたい、そう思った演奏会であった。

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2007年10月23日

パヴァーヌ~かもめの歌

41HN0CNNGBL._AA240_.jpg今年はラヴェルの没後70年ということもあり、知ってか知らずかあちこちで彼の音楽を聴くことが多い。ラヴェルの楽曲を特別愛着持って聴いてきたわけではないのだが、一時期バレエにはまっていた時期があったゆえ、近現代フランス音楽の中では結構お気に入りの部類の音楽であるのは間違いない。殊に「亡き王女のパヴァーヌ」という音楽が好きで、時折CDトレイに音盤を乗せて、悦に浸っている。その際、取りだすのは必ず、クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団盤である。

今日も久しぶりにこの楽曲を聴いていたのだが、聴きながらふとキング・クリムゾンの「かもめの歌」を思い出した。第4作目「アイランズ」に収録されているオーボエがメロディを奏でるクラシカルな室内楽的名曲なのだが、曲想や旋律、雰囲気がとても似ているのだ。

King Crimson:Islands

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2007年10月22日

勇気の音楽

41RDDC1PT2L._AA240_.jpgワーグナーの破天荒ぶりは並大抵のものじゃなく、借金という借金を重ね、近しい人にいろいろと迷惑をかけたという意味では最低の人間だったらしい。しかしながら、その芸術的才覚は人類史上稀にみるほど天才的で、その才能に惚れこんだバイエルン王が一生を保障するだけの資金を提供したことは有名な話である。
人間的に最低というのは、女性関係でもそうで、最初の妻との結婚生活のときも、マティルデ・ヴェーデンドンクとの不倫問題で物議を醸したし、友人であったベルリン・フィルハーモニー初代常任指揮者のハンス・フォン・ビューローの妻であったコージマを寝取って自分の伴侶にしたりと、そのハチャメチャぶりは脱帽ものである。とはいうものの、そういった女性関係から彼の傑作楽劇が生まれているというのも事実で、「英雄色を好む」じゃないが、性欲はイコール創造欲求であるということも否めない。

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2007年10月21日

神の音楽とグレン・グールド

gould.jpg夕方、ビジネス・パートナーとミーティングを開き、いろいろと語った際、「できない人には言わないですよ。世のために表に出さないといけないノウハウや経験を持っていて、それを明確に形にして人助けしないとある意味犯罪ですよ」と冗談交じり、半分本気で言ってくれ、さらには、パートナーシップを組むにあたり「岡本さん自身の行動やスタイルをきちんと修正し、具体的な目標設定をしないともったいないですよ」というアドバイスまで受け、ありがたいと思った。一発ぶん殴られた感覚・・・。
なるほど、確かに必要としている、待っている人が五万といるのだな・・・。

夜半、27日(土)にチャリティーFlea Marketをやるというので、心機一転過去のこだわりを捨てるという意味も含め、知人に不要なスーツ類をいくつか差し上げた。基本的に食事を菜食にしてから5年近くが経つが、どうも身体が一回りも二回りも小さくなったようで、着ていたスーツがほとんどブカブカでみっともなくなったこともあるし・・・。
スーツを取りに着たT姉妹は最近僕の影響でクラシック音楽を聴き始め、何と今は「ゴルトベルク変奏曲」にはまっているのだという。早速グールドの55年盤81年盤を買い、聴き比べを楽しんだりしているらしい。家に来るなりそんな話になったので、ここぞとばかりにグールドの映像を見せてあげた。

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2007年10月20日

あうんの呼吸

311QRJED8WL._AA240_.jpg昨日、夜遅くにテレビをつけるとNHK教育「芸術劇場」で、The Five Brownsという5人の兄弟姉妹によるピアノ・アンサンブルの特集をやっていた。グリーグの「ペール・ギュント」からの楽曲やガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」フィナーレなど、一糸乱れぬアンサンブルで見事な演奏を披露していた。僕はプレイヤーではないので、その難易度を体感的に知っているわけではないのだが、ピアニストの友人に聞いてみると、5人でぴったりと合わせて弾き切ることは並大抵の技量ではないらしい。それと、技術の問題は当然のこととして、所謂「あうんの呼吸」は抜群で、やはり幼年期を共にした血のつながった兄弟でないとありえないことなのかもしれない。

一方、今朝の朝日新聞朝刊では、中国のいわゆる「一人っ子政策」が曲がり角に来ているという記事。「一人っ子政策」とは、ご存知のように、人口急増を受けて毛沢東没後に始まった「計画生育」と呼ばれる出産制限政策のことをいうのだが、殺人まがいの強制中絶などが蔓延り、異例の訴訟にまで発展しているという。

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2007年10月19日

死の舞踏

412KFFREGML._AA240_.jpg昨晩久しぶりにクロード・ルルーシュ監督「愛と哀しみのボレロ」(1981)を観た。10数年前、初めて観たときはそれなりに手ごたえがあり良かったと感じたように記憶していたのだが・・・。しかし、残念ながら大手を振って万人にお薦めできる代物ではない、ということが確認できた。映画としては3時間ほどもある長編なのだが、何せ50年以上に及ぶ歴史を、しかも舞台がドイツ、フランス、アメリカ、ソ連と全世界に亘っている一大絵巻をたったの3時間でまとめてしまっているゆえ、大味になりすぎ、また登場人物があまりにも多く、途中でわけがわからなくなってしまうのだ(ルルーシュ監督のカメラ回しもとても退屈)。

とはいえ、ジョルジュ・ドンの舞踊は相変わらず見事だ。ベートーヴェンの第7交響曲フィナーレをバックにした派手な舞踏、そして何といってもこの映画を通して一躍有名となったかの「ボレロ」で見せる圧倒的な存在感。以前にも紹介した20世紀バレエ団でのスタジオ録画による映像より断然素晴らしい。何よりその動きにライブ感があり、たった数年の違いとはいえドンの肉体も明らかに若い。
ラストの大団円にて披露されるこのボレロを観るためだけにこの映画が存在しているのだといっても言い過ぎではない。その意味ではもちろん観る価値大いにあり、だ。

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2007年10月18日

シューベルトの舟歌

51QWYBJCVQL._AA240_.jpg歌曲王シューベルトは600曲以上のLiedを残した。とても多くの名曲の中で僕が最も心惹かれる楽曲は「水の上で歌うD.774」。
舟歌のリズムをもつ伴奏により、舟の漂い、湖水に映る夕陽の煌き、昼夜の微妙な陰翳の変化、そして時の移ろいを意識する無常感を映し出す絶唱。


シューベルト:「水の上で歌う」D.774 作品72
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
ジェフリー・パーソンズ(ピアノ)

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2007年10月17日

秋の夜長の・・・

176.jpg随分日が短くなった。朝晩の冷えも少しずつ厳しくなっているのが感じられ、いよいよ秋、そして冬の到来である。巷では秋の夜長のクラシック音楽などといわれるが、そうなると長大なワーグナーの楽劇やマーラー、ブルックナーの交響曲の出番である。
ゆっくりとかの音盤に耳を傾けながら読書をしたり、ゆっくり物事を考えたり、または音楽そのものに集中したりと、その楽しみ方は様々。とはいえ、実際、今月の「早わかり古典音楽講座」の準備でここしばらくワーグナー漬けだったりするのだが、この天才の楽劇などは4時間を越えるものが大半で、一度に聴ききることは到底無理だし、多少食傷気味になるというのも事実・・・。
たまには軽い音楽を気楽に聴いてみたくなる。

ワーグナー・シンパだったフリードリヒ・ニーチェが後年アンチ・ワーグナー派に転向し、その代わりに激賞したのが何とビゼーの「カルメン」や、オペレッタであったという。これらは決して「軽い」音楽ではないが、超弩級の楽劇に対峙するときのような精神的重圧感は伴わないゆえ、そういう意味ではとても気楽に聴ける音楽であったのだろう。思想的問題による反発は別にしても、ニーチェですらたまには気楽に音楽を聴いてみたかったのではなかろうか。

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2007年10月16日

美しきシューベルト

699.jpg冗長で退屈さを感じるものの、シューベルトのピアノ・ソナタは時折妙に聴きたくなる代物である。特に第18番のソナタが良い。いつだったかNHK-BSでリヒテルがこの曲を演奏しているのを観たとき、背筋に電流が走ったかのような衝撃を感じたことがある。それより前に音盤はいくつか所持していたにもかかわらず、なぜかこのときのリヒテルの映像で開眼させられた。
中庸のテンポで淡々と弾き切る彼の演奏が印象的で、何と最後のアンコールで同じソナタのフィナーレを再演したことが不思議により一層惹きこまれたことを昨日のように覚えている。

シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番ト長調作品78D.894「幻想」
クラウディオ・アラウ(ピアノ)

※分売のCDは廃盤なのだろうか?

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2007年10月15日

エクソシスト?!

514V9aS6dEL._AA240_.jpgお昼に久しぶりの知人と食事をしていて、企業の中の「鬱病」やストレス・マネジメントに話が及び、人材育成などの仕事に就いていると個人からもその手の悩みを含めた依頼が非常に増えており、明日は我が身で他人事ではないかも、などとついつい話に花が咲いた。まぁ、1日のうちに10数時間もパソコンに向かい、人と深く交わることなく、しかも休みを返上してまで仕事をしていれば「精神に破綻を来す」のもしょうがないといえばしょうがないことなのかもしれない。しかしながら、本来、企業がメンタル・ヘルス面により一層の意識を向け、改善を行っていかなければならないはずで、残念ながらそこまで手が回っていないというのが現実のようである。

これまで仕事を通じて10,000人近くの若者と接してきた経験から推測すると、例えば世にパニック症候群とか「精神病」とかいわれているものの多くは意外に病気ではなく、「磁場」の問題や「憑依現象」だと考え主張する人も一方ではいるようで、このあたりの論議は「見える」「見えない」、「信じる」「信じない」という世界の話になってしまうのでなかなか結論は出せないのだが、僕自身はやはり「目に見えない何か」の影響が強いのではないかと思うのである。

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2007年10月14日

涙の「パルジファル」

402.jpg昨日の*AK* the piano duoのコンサートは一聴衆として冷静に現場を覗いてみて、率直に素晴らしかったと思う。特に、メイン・プログラムであるストラヴィンスキーの「春の祭典」は二人の呼吸がぴったりと合っていて、前半の少々苦しかった演奏を帳消しにするほどのエネルギーとパワーに漲った女性っぽい「男性的」な名演奏であったと賛辞を送りたい。
演奏についての微細な批評は他に譲るとして、こういう「原始的な音楽」が頻繁に演奏され、一般聴衆から受容されるようになるなら日本のクラシック音楽界も捨てたものじゃないなと感じさせるものであったことを付け加えておく。
面白いことに、同じ東京オペラシティ・リサイタルホールで、柳井修&森正Piano Duoによる同じく「春の祭典」をメイン・プログラムにしたコンサートが今日の午後(つまり翌日)からあったので、聴き比べの意味も含めて出かけた。
流石に男性のDuoだけあり、パワーは*AK*以上のものがあったことは否めないが、旋律の歌わせ方やリズム感、二人の呼吸など、そして何より作曲者の編曲版をベースに*AK*が独自にアレンジした版によっていたことを考慮に入れると、お世辞抜きに昨日のコンサートが間違いなく上をいくものであった。*AK* the piano duo天晴れ、である。
ともかくストラヴィンスキーが作曲した「春の祭典」という曲は2日連続で体感してみて刺激的奇跡的な楽曲であることをあらためて確信した。

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2007年10月13日

衝撃の天使

098.jpgワールド・ミュージックが一つのジャンルとして確立してからそんなに年月を経ていないと思うが、現在のような隆盛を誇るきっかけを作ったのはおそらく昨日書いたブライアン・ジョーンズなのだろう。そして、志半ばにして斃れたブライアンの後を引き継ぎ、現今の道筋を微細につけていったのはピーター・ガブリエルの功績だと僕は思う。

以前のブログにも書いたが、第5作「So」によって爆発的人気を獲得した彼は、その後もマイペースで独自の境地を深めていき、「ピーター・ガブリエル」という名前そのものがbigになるにつれて、ますます枯れた世界に突入していく彼の生き様はある意味「仙人」的でとても興味深い。

peter gabriel

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2007年10月12日

聖俗融合

41Y692EXCZL._AA240_.jpg明日はいよいよ*AK* the piano duoによる「春の祭典」コンサート。「変化極まりない奇怪なリズム、そして威圧的な管弦楽の咆哮」と評される20世紀の古典音楽を2台ピアノでどう料理するかが聴きもの見ものである。
「春の祭典」はご存知のように1913年のパリ初演時に大スキャンダルを巻き起こした当時としては極めて前衛的な楽曲なのだが、そもそも作曲者のストラヴィンスキーは前々作「火の鳥」を創作時に次のような着想を突然得てこの曲を書き始めたということだ。

「突然、荘重な邪教徒の祭典という構想が頭に浮かんだ。輪を描いて座った長老たちが一人の若い娘が死ぬまで踊るのを見守っていた。彼らは春の神の心を和らげるために彼女を犠牲にしていたのである。」

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2007年10月11日

傑作?

410B5J59MML._AA240_.jpg朝比奈隆が最晩年、まさに死の1ヵ月半ほど前に予定していた東京での特別演奏会に取り上げようとしていたプログラムはブルックナーの第3交響曲だった。残念ながら体調不良によるキャンセルによりその公演は中止になり、以降2度と朝比奈は聴衆の前に姿を現すことはなかった。結局彼は2001年12月29日に没したのだが、それからわずか2ヶ月も経たないうちに今度はブルックナーを得意としたもう一方の雄ギュンター・ヴァントまでもが、数ヵ月後に予定されていたベルリン・フィルハーモニーとのこちらは第6交響曲を振ることなく老衰で逝ってしまったのである。

死の床に伏していた朝比奈隆は幾度となく繰り返し「ブルックナーの第3交響曲は自分でなければ聴衆に納得してもらえる演奏はできない」と身内の人間に語っていたそうだ。ブルックナーを得意とした朝比奈隆でもそうは頻繁に舞台にかけるだけの自信は最晩年まで持てなかったようで、それくらいこの曲の演奏は大変に難しいらしい。その彼が齢93にしてようやく一つの「答え」を見つけたようで、久しぶりに手兵大阪フィルハーモニーとの東京でのパフォーマンスだったゆえ、御大としてもさぞかし悔しい思いであったのだろう。

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2007年10月10日

単純な原点へ

41D3SEMK3JL._AA240_.jpg本日は、ドイツのワーグナーと並びイタリアが生んだ大オペラ作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの誕生日らしい。彼が生涯作曲したオペラの数は26。そのうち音盤や劇場での生体験を通じて僕が知っているのはわずかに10作品(①アッティラ、②マクベス、③リゴレット、④イル・トロヴァトーレ、⑤椿姫、⑥仮面舞踏会、⑦運命の力、⑧アイーダ、⑨オテロ、⑩ファルスタッフ)。しかも、これまで没頭して聴いたという時期が一度もないゆえ残念ながらあれこれと論評を述べたり感想を書いたりする資格は全くない。それなりに楽曲は聴いているので知ってはいるのだが、残念ながら「心の琴線」に触れる音楽ではないのである(決して音楽の質が良くないというのではなく、僕自身の趣味嗜好と単に合わないだけなのだが)。
そんなヴェルディの創作した楽曲の中でも唯一「レクイエム(死者のためのミサ曲)」だけは好んで何度も聴き、幾度も感動した経験がある。

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2007年10月09日

自然に還れ!

41TYW2EJW2L._AA240_.jpg朝からネットを見ていたら『企業の「心の病」診断 広がる支援ビジネス』という記事が目に飛び込んできた。つい数年前まではほとんど表に出てこなかった「メンタル・ヘルス」問題が注目を浴びている。今日の朝刊でも新任教師の自殺についての記事が出ていたし、先日結婚式で久しぶりに出会った友人たちの何人もが「会社内で鬱病や自殺が増えている」と口を揃えて言うのを聞くと、日本社会にとってこの問題は早急に解決しなければいけない大変な問題なのだろう。
「心の病」になる可能性は誰しもが持っている。ストレス過多の世の中で、しかもコミュニケーション・レスとくれば人間誰しもそう強い生物でないゆえ「孤独」に陥り、本人が気づかないまま「鬱状態」になったりするものなのである。僕は専門医ではないので現時点では残念ながらこの問題に正面から深く入り込むことは難しいかもしれないのだが、少なくとも「心の病」に罹る前の予防手段としての方法論は持ち備えているので近い将来何か具体的に役に立てるよう行動しようとあらためて考えさせられた(人間は心身ともに生まれながらにして「自然治癒力」というものを持っており、自己に対して相応のケアをし、他人のことを深く受け入れ、自身を開放しながら深いコミュニケーションをとるようにするだけで随分状態は変わってくるはずなのである)。

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2007年10月08日

子守唄

wagner_siegfried_rogner.jpg昨日の結婚式には新郎新婦と同世代の輩が大勢集まった。年のほどは30歳代前半。当然出産ラッシュが重なっており、赤ちゃん連れというカップルが目立った。以前就職支援の講座をやっていたお陰で、10数年前学生だった受講生が父親や母親になっているわけで、二世誕生の喜びを分かち合う姿を見ていると、年月の経過の速さを実感し、何だかとても不思議な感覚に襲われるものである。しかし、どの子も父親、母親にそっくりで本当に可愛い。

ところで、僕が好きな映画監督の一人にルキノ・ヴィスコンティがいる。イタリア貴族出身の彼は初期にはネオ・リアリズモ、後期にはドイツ3部作など芸術的哲学的で退廃感を醸し出した傑作映画をいくつも製作した。一般的には「ヴェニスに死す」が有名だが、計4時間の超大作「ルートヴィヒ」は見所満載の超大河ドラマで、主演のヘルムート・バーガーやロミー・シュナイダーの名演技を含めより一層の感動と充実感が味わえる作品である。

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2007年10月07日

変革

41Zm71VKKJL._AA240_.jpg午前中から友人の結婚パーティー。先週も別の友人の結婚式だったから2週連続ということになる。2次会である知人と立ち話をしていたのだが、2007年は間違いなく「変革」の年である。意識しようが意識しまいが自ずと「何か」が確実に変わる年回りのようである。それは去年の初めくらいから言われていたことなので驚きはしないが、身の周りを注意して眺めてみると本当に大勢の仲間たちの「転換期」が訪れているのだと気づかされる。
「変化」が見た目に「プラス」の場合は人間そうは驚かないし、当たり前のように構えるのだが、「マイナス」や「壁」であったりすると途端にうろたえる。ひどい時は世の中のせいにしたり他人のせいにしてしまうのが世の常だ。
しかし、普段から「自省する」癖のついている僕らの仲間はさすがで、「壁」を「壁」として捉えず、むしろ「チャンス」として考えるので、確実に乗り越えることができるし、今この瞬間を楽しむことができるということがとても大きい。
とはいえ、ただの頭でっかちポジティブ思考だと話にならないわけで、一つ一つ着実に行動を起こし、形にしていくことが大事だ。

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2007年10月06日

Elegie

616N5P-Sc3L._AA240_.jpgほど良い空気感を感じさせる秋らしい土曜日。今朝は5:30起床で多摩川まで出掛け、数名の知人と川沿いを散歩しながら意見交換をした。ただのおしゃべりという気もするが、「早起きは三文の得」というだけあり、自然の中での早朝の会合は素晴らしく爽快だ。午前中一杯は小春日和の様相だったが、午後からは多少の曇り空。それでも、こういう気持ちのいい午後は、暗鬱とした古き良きノスタルジックな英国音楽を耳にしたくなる。
久しぶりに聴いたのは、ロキシー・ミュージック。それも再結成以前のブライアン・フェリーとフィル・マンザネラ、アンディ・マッケイが対等の立場でそれぞれを主張し表現していた頃の傑作アルバム、「ストランデッド」。ロキシー・ミュージックといえば一般にはラスト・アルバムである「アヴァロン」がセールス的にも人気的にも高いのだろうが、このバンドの本領はちょうどイーノ脱退直後の1970年代中頃までだろう。

Roxy Music:Stranded

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2007年10月05日

My Favorite Things

41QSZ0CRBXL._AA240_.jpg明日は特別講座を開催する。13日の*AK* the piano duoの事前学習講座としての位置づけ。とにかくコンサート前に十分に予習をし、しっかりと楽曲のバックグラウンドや構成を把握した上で本番に臨むと音楽を聴く悦びが倍加する。特に、「春の祭典」のような20世紀を代表する問題作の場合などは予備知識なしに聴いてもおそらく理解不能で眠くなってしまうのがオチだから、ご来場いただける方たちにしっかり楽しんでいただこうと思い企画したのである。
先にも述べたようにストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」は20世紀初頭にパリのシャンゼリゼ劇場で初演された際、ブーイングの嵐と拍手喝采が入り乱れる前代未聞の大スキャンダルを引き起こした当時としては画期的かつ前衛的大傑作として有名である。とにかく不協和音と変拍子の嵐、人間の本能の「動」と「静」をこれほどまで緻密かつ上手に音化した楽曲は少なくともクラシック音楽の世界ではないのでは、と思わせるほどである。もちろん、ジャズやロック音楽の世界でも同様のスキャンダル的なパラダイム・シフトはその後起こっており、明日はそのあたりから話をしてみようかと思い巡らせているところだ。

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2007年10月04日

今ここ

613T3DlVaeL._AA240_.jpgMさんのところで2ヵ月半ぶりに「トリートメント」を受けた。通い始めてかれこれ4年か5年になるが、継続的に「心身のクリーニング」を施すことはとても重要なことである。一昨日は「波動=エネルギー」に話が及び、それがなるほどと思える話だったので書き残すことにする。Mさんはスピリチュアル的にエネルギー・レベルが高い。ステージも半端でない。彼女は自分が大事な決断をするときや何か新しいことが起こるときは必ずといっていいほど「霊夢」を見るらしい。

先日は「碧くきれいに澄んだ湖面に自分の身体がどんどん吸い込まれていき、昇天するかの如くの得も言われぬ心地よさと恍惚感が自分を襲う」という夢を見たらしい。翌朝起きて何の意味があるのだろうと自問しても当然答えは見つかるはずがない。ところが、その日の午後たまたま郵便局で見かけた「かもめーる」葉書。どうやら今年の「かもめーる」葉書らしいが、絵柄はまさにその薄碧い水辺の絵だったということ。とても気に入ったのでその葉書を購入し部屋に置いておくととても良いらしい。そこで、「なるほど、そういうことか」と気づいた。たとえきれいな「波動の良い」葉書であったとしても所詮は「絵」であり、それは「現実」ではない。特に、「気」や「エネルギー」というのは、その場で感じるものであり、「額縁」や「紙の上」に閉じ込められるものではない、ということを再認識したらしい。

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2007年10月03日

寂寥・・・

rachmaninov_no2.jpg作家埴谷雄高が没して10年。このたび大長編小説「死霊」の構想メモが発見されたらしい。難解な哲学小説の原型を示す貴重な資料ということで文学界、思想界から注目を浴びているようだ。埴谷といえば未完のまま第9章で「了」となった上記「死霊」が代表作だが、残念ながら僕自身は第3章までで読むのを挫折したままだ。哲学的難解小説とはいえ、頻繁に繰り返されるモチーフや言葉の意味を冷静におさえ、黙考していけば自分なりの「死霊」理解につながるとは思うのだが、いかんせんそこまで独り静かに座して禅問答をするが如くの時間の余裕を持たぬ今は少々無理かと断念し、棚上げとなったままなのである。

「虚体」、「自同律の不快」のように見るからに意味不明の造語が並ぶわけだが、「虚体」とは、ユングの「集合無意識」あるいは「原型」やプラトンの「イデア」と同様の概念であり、宇宙万物の創造主のことを指すのだろうし、一方「自同律の不快」とは「自分が自分であることに対して不快感を感じること、つまり現実に見える自分は自分ではない」ということで、こちらも我々の奥底に眠る「霊性」に気づいているがゆえ、物質性よりも精神性を重視する作家独自の見解、言葉の選び方なのだと推測できる。

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2007年10月02日

男と女・・・

41MFN5NQWRL._AA240_.jpg近代から現代にかけてのフランス音楽の礎を築いたのはフォーレ、ドビュッシー、ラヴェルの3人である。作風は三者三様でいずれも天才の名に値する作曲家なのだが、ドビュッシーに関しては一部の楽曲を除いてどうも好きになれない。というより、「理解できない」、「心に染みてこない」と言った方が正確かもしれない(あくまで僕にとってはということだが)。ほぼ同時期に活躍した同年代のラヴェルに関しては随分いろいろな楽曲を耳にし、それなりに「聴き込んだ時期」もあった。とはいえ、上記3人の中で最も僕の好みに合うのが間違いなくガブリエル・フォーレその人である。「神の言葉を伝える」天使ガブリエルの名を持ったこの天才の音楽は地味であるがとても柔らかく静かで、心を鎮めたい時に聴くととても耳に心地よい。

フォーレ:劇音楽「ペレアスとメリザンド」作品80
ミシェル・プラッソン指揮トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団
フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾソプラノ)

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2007年10月01日

目覚めよ!

419GVBSQMHL._AA240_.jpgここ2、3日、外の状況はあまり良くないように思われる。今朝もどうも身体が重く、思いのほか寝過ごしてしまった。心身ともにきれいにしろという信号なのかもしれないなどと考えながらとりあえずバッハの教会音楽を聴いてまずは「心のお清め」をする。

バッハの宗教音楽はプロテスタントの信者のために書かれたものであるゆえ、我々一般的な日本人のように「無宗教」に近い人種にとっては多少「抹香臭さ」が鼻についてそういつも日常的に気軽に聴ける音楽ではない。とは言うものの、(以前四角四面に閉じ込められているという感想を書いたが)たまに聴くと途轍もない感動を呼び起こしてくれるところがこれまた素晴らしいところだ。
特に、音楽史上燦然と聳え立つ人類の至宝ともいえる「マタイ受難曲」はいわゆる「四角四面の枠」を明らかに超えており、言葉で言い表せない圧倒的な内容を持つのだが、所要時間3時間超で、しかも聖書のマタイ伝が台本になっているゆえ、物理的にも精神的にも相当のエネルギーを要求され、そう易々とはCDトレイに乗っける気がしない。

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