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2007年11月 アーカイブ
2007年11月30日

フルトヴェングラー、ドン

21QUmbIU-2L._AA192_.jpg人は誰でも他人と比べて自分がどうだという物差しでモノを見る癖がある。「好き嫌い」、「能力の是非」、「明暗」、「陰陽」で「判断」してしまうのだ。
しかし、自然も人間も全てこの世に存在するものは表裏一体で、何が正しいとか何が間違っているとか、絶対的な「答え」など存在しないように思うのである。その意味では、身の周りに起こり、存在する全てに対して「感謝」し、「認める」ことができるようになるまで人は自分自身と闘い続けなければならないのだろう。「清濁あわせのむ」姿勢、「玉石混交」。「聖」も「俗」も含めて360度見渡せる余裕と「鳥の目」。

ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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2007年11月29日

そんなに急いでどこへ行く

419TQK43S3L._AA240_.jpg友人が急性虫垂炎で緊急入院したということで、お見舞いに行ってきた。まぁ、2、3日の入院で済むし、病気といっても要は「盲腸炎」、病気のうちには入らない。
ということで、日々激務の当人にしてみれば態の良い「休暇」のようなものなのだろう。

そういえば僕は意外に身体が丈夫で、生まれてこの方大病を患った記憶もないし、現実一度も入院したこともない。たった2日間だが、病院での日常について聞いてみると、起床や消灯時間もしっかり決められており、朝、昼、夜と食事も定時に運ばれてきてとても健康な生活をしており、気持ちに余裕もできるということだ。心身ともにきれいにできるいいチャンスなのかもしれない。
何だか不謹慎な話だが、病院のロビーで2人して話していて、特に激務のサラリーマンにとってはこういう規則正しい生活をして身体を休めるために、たまには入院もいいものなのかもしれないね、という結論に落ち着いた。もちろん不治の病では困るんだけど・・・。

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2007年11月28日

衝撃のプログレッシブ・ロック

41HNA8A8TYL._AA240_.jpg人との出逢い、モノとの出逢い、コトとの出逢い。それは人間の幅を広げる大いなるチャンス。今日も素晴らしい「出逢い」を体験させていただいた。人々に「感謝」である。
僕は「人間力」講座のほか「クラシック音楽講座」を主宰している。残念なことに楽器は弾けない。しかし、モノ(音楽)の善し悪しを判断する「審美眼」は持ち合わせていると自負している。

そういう僕もクラシック音楽との出逢いは「偶然」であった。「偶然」とは「然るべくして偶う」と書く。全ては「必然」なのである。
実は、小学生から中学生の頃、確かTBSで山口百恵の主演する「赤いシリーズ」がブームであった。中で山口百恵が出演しない「赤い激流」というドラマがあった。水谷豊が主演のドラマで、ショパンの「英雄ポロネーズ」やベートーヴェンの「テンペスト」のフィナーレが番組内で流れていたことに衝撃を受け、初めてクラシックの作曲家の存在を意識したのである(もちろん義務教育を受けている頃、音楽室の肖像画によりある程度の認識はあったのだが)。以来、クラシック音楽にはまった。はまりにはまった。しかし、一方で「クラシック音楽」至上主義的な考えも生まれ、いわゆる「ポピュラー音楽」を否定していた時期もある。ちょうど高校生の頃だ。

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2007年11月27日

ベジャールの思い出

bejart9997.jpg先日モーリス・ベジャールが亡くなった。80歳だという。映像で残っている彼のきびきびした精悍な姿を見慣れているせいか、まだ50代、60代なのではという錯覚に捉われていた。
もう20年近く前になるが、当時モーリス・ベジャール・バレエ団を旗揚げしたばかりの頃で、ジョルジュ・ドンやミシェル・ガスカールなど全盛期の頃のそうそうたるメンバーを引き連れ、来日公演をやっていた古き良き時代で、伝説の天才ダンサーたち見たさに、会場はいつも若い女性たちで熱気むんむんだったことを昨日のように思い出す。

僕が生でベジャールのバレエを見たのも、ドンが踊っているの観たのもこの時が最初。実は、その時の公演時に友人が寿司屋のカウンターで隣に座ったフランス人らしき人が注文に困っていたので助けてあげたところ、何とベジャール・バレエ団のダンサーだったという。そのつてで早速舞台裏に来いというメッセージをもらい、何日か後の公演の際、確かNHKホールだったと思うのだが、控え室にお邪魔したことがあった。
その時にベジャールに会ったし、ドンにも会った。というより、見た、という方が正しい。まだまだ還暦前後の若きベジャール。僕が直接お会いしたのはその1回きり。とても感激したことを覚えている。とにかく懐かしい。
その後、91年にジョルジュ・ドンが亡くなるまで来日ごとに彼らのバレエを追い続けた。「春の祭典」も観た。「ニーベルングの指環」も観た。ドンの最後の「ボレロ」も観た。そして「ニジンスキー・神の道化」も観た。
しかし、僕自身は残念ながらオン・タイムではないのだが、思うにやっぱり1980年頃の二十世紀バレエ団の頃が最高である。

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2007年11月26日

原点回帰

beethoveninberlin.jpg金曜日に受けた「ボイス・トレーニング教室」の気づきは、「地に足をつけて全身でエネルギーを循環させること」、「身体全部を使って呼吸をすること、エネルギーを『感じること』が重要だということ」、「無理せず全身の力を抜き、自然に声を出すこと」である。

昨晩、知人と飲みながら「仕事」のアイデアをざっくりともらった。
今日の昼、同居人と話しをしていて、「原点回帰」だとあらためて気づいた。多くの人に喜んでいただくには、気持ちよく楽しくなる「場」をいかに提供するかである。かれこれ20年ちょっと前に僕があるセミナーを通じ思い、感じた「原点」とはやっぱり「一体感」なのである。みんなで歌を歌うこともそう(素人が第九の合唱に参加すると、一体感で涙が出てくるらしい)。何かイベントで盛り上がるってこともそう。人間は「一つ」になりたがってるんだ、やはり・・・。

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2007年11月25日

自分を知ること

415WW7B7NVL._AA240_.jpg当たり前の話だが、人は「脳」で動いている。この世に生を享けてから、「脳」には環境や両親の教育、学校での出来事、体験などを通して様々な情報がインプットされる。プラスの要素もあればマイナスの要素もある。そして、後天的に作られた「脳」でもって人生を歩むのである。自分の「脳」に無意識であることはいかに恐ろしいことか。「自分を知る」ということは「自分の脳」を知るということ、すなわち、何が原因で今の自分自身になったのかを認知するということである。
「これは私の性格だからしょうがない」と、人は誰でも自らに言い聞かせ問題を棚上げする。しかし、認識している「性格」は正確に言うと「性格」ではない。決して先天的なものではないはずだ。それは、後天的に学習した「習慣化した癖」であることが多い。ゆえに、修正することもできるし、治すこともできる。要は、「自覚」が大切なのだ。

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2007年11月24日

過信は禁物

B00007M859.03.LZZZZZZZ.jpg「就職活動はショッピングである。もちろん企業から選んでもらえないとお話にならないのだが、会社を選べるあなた自身になろう」と学生に常々語りかけてきた。今から7、8年前の就職氷河期といわれた頃、学生は就職先の企業を探すのに一苦労した。以来、就職活動に向けての準備は絶対に必要だと口を酸っぱくして説いてきた。
今の学生にとっては信じられない話だろう。

大企業の新卒採用担当者が優秀な学生を確保するべくこぞって地方大学行脚を繰り返しているらしい。こういうニュースをまともに見ると学生は安心して「就職は余裕だろう」と思ってしまう。しかし、本当に誰でも余裕で内定が獲得できるのだろうか?
現実はそうではない。やはり、「できる人材」、「魅力的な人材」に人気は集中するのだ。だから「自分は大丈夫だろう」という過信は慎んだほうが良い。受験同様準備は重要なのだ。

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2007年11月23日

人の声

41jxKtn0eCL._AA240_.jpg思わぬ展開。たいしたことじゃないが、今日はいろんな人たちが電話をかけてきた。仕事につながりそうなので良い感じかな、と思っている。

ずっと人間の教育に関わっていて、やっぱり人を相手にカウンセリングしたり講義をすると自分が生き生きしてくるのだ。若手社会人に対して教えたいことがある。そして、学生には就職支援をしたい。常に潜在的に僕自身の中にある願望である。

今日の午後、知人の紹介で近藤京子先生のボイス・トレーニングに参加した。自らの身体を楽器に見立てていかに通る声を出すかを体感と理論の両面から教えていただいた。なるほど。いちいち感心させられる(教え方がとても上手。参考になります)。大事なのはグラウンディング。そう、大地にしっかりと根を張り、身体をパイプにして「気」を循環させるというイメージ。それがポイントである。口先や小手先のテクニックでは聴衆を「感心」させられても「感動」させることはできないという。言い得て妙。

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2007年11月22日

ミシュラン

00000412399.jpgミシュラン東京版が本日発売された。いわゆるグルメじゃない僕にとってはどうでもいいニュースなのだが、3つ星のお店には電話がひっきりなしに鳴り、普段の仕事が全く手につかない有様でお店によっては向こう数ヶ月予約で埋まってしまうほどらしい。

うーん、能天気というか何というか、日本人は幸せなのか不幸なのかよくわからない。結局、ブームや人気というものは「食」の世界に限らず、ある意味マスコミが創り上げた虚像であり、何だか「情報」に踊らされているようで滑稽に思えてしまう。
時折僕も信頼できる友人の紹介で「美味しい」と聞いたレストランには出掛ける。美味しいかもしれないし、それほどでもないかもしれない。人の味覚や好みは千差万別だから、友人が美味しいといったから自分にも合うかといったらそればかりはわからない。しかし、経験する前から否定するのも可笑しいから一度は出向いた方がいいと思うので、とにかく出掛けてみる。これまでの経験から言うと相手が食通の友人で、自分の舌の好みに近い人なら余程のことがない限りまぁ間違いはない。

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2007年11月21日

自律的に生きる

139.jpg「人の褌で相撲をとる」という言葉がある。どうしても「ずるい奴」、「姑息な奴」というマイナスのイメージがつきまとう。確かにリスクは軽減されるのかもしれない。安全に見えるのかもしれない。しかし、そんなのは一時のことである。よくよく熟考してみると世の中に「保障」というものは存在しない。あるとするなら「自分自身」の中にあるだけだ。だとするなら、他人に頼るのではなく自律的に生きることを選択すべきである。

日経平均株価が1年4ヶ月ぶりに1万5千円割れだという。為替相場が一時108円という円高に急騰したことが背景にあるようだ。戦後日本はアメリカの庇護の下、復興、急成長を遂げてきた。確かに合衆国のお陰で今の日本があることは否めない。しかし、語弊のある言い方が許されるなら、日本国は政治の世界においても、経済界においても、明らかにアメリカという巨大組織に支配され、言われるがまま、なすがままの乳飲み子のようになってしまっているように僕には感じられる。とにかく日本としてのアイデンティティが全く感じられないのだ。

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アレグロ・コン・ブリオ~「愛」+「勇気」=「ワンネス」:2007年11月アーカイブ
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2007年11月30日

フルトヴェングラー、ドン

21QUmbIU-2L._AA192_.jpg人は誰でも他人と比べて自分がどうだという物差しでモノを見る癖がある。「好き嫌い」、「能力の是非」、「明暗」、「陰陽」で「判断」してしまうのだ。
しかし、自然も人間も全てこの世に存在するものは表裏一体で、何が正しいとか何が間違っているとか、絶対的な「答え」など存在しないように思うのである。その意味では、身の周りに起こり、存在する全てに対して「感謝」し、「認める」ことができるようになるまで人は自分自身と闘い続けなければならないのだろう。「清濁あわせのむ」姿勢、「玉石混交」。「聖」も「俗」も含めて360度見渡せる余裕と「鳥の目」。

ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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2007年11月29日

そんなに急いでどこへ行く

419TQK43S3L._AA240_.jpg友人が急性虫垂炎で緊急入院したということで、お見舞いに行ってきた。まぁ、2、3日の入院で済むし、病気といっても要は「盲腸炎」、病気のうちには入らない。
ということで、日々激務の当人にしてみれば態の良い「休暇」のようなものなのだろう。

そういえば僕は意外に身体が丈夫で、生まれてこの方大病を患った記憶もないし、現実一度も入院したこともない。たった2日間だが、病院での日常について聞いてみると、起床や消灯時間もしっかり決められており、朝、昼、夜と食事も定時に運ばれてきてとても健康な生活をしており、気持ちに余裕もできるということだ。心身ともにきれいにできるいいチャンスなのかもしれない。
何だか不謹慎な話だが、病院のロビーで2人して話していて、特に激務のサラリーマンにとってはこういう規則正しい生活をして身体を休めるために、たまには入院もいいものなのかもしれないね、という結論に落ち着いた。もちろん不治の病では困るんだけど・・・。

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2007年11月28日

衝撃のプログレッシブ・ロック

41HNA8A8TYL._AA240_.jpg人との出逢い、モノとの出逢い、コトとの出逢い。それは人間の幅を広げる大いなるチャンス。今日も素晴らしい「出逢い」を体験させていただいた。人々に「感謝」である。
僕は「人間力」講座のほか「クラシック音楽講座」を主宰している。残念なことに楽器は弾けない。しかし、モノ(音楽)の善し悪しを判断する「審美眼」は持ち合わせていると自負している。

そういう僕もクラシック音楽との出逢いは「偶然」であった。「偶然」とは「然るべくして偶う」と書く。全ては「必然」なのである。
実は、小学生から中学生の頃、確かTBSで山口百恵の主演する「赤いシリーズ」がブームであった。中で山口百恵が出演しない「赤い激流」というドラマがあった。水谷豊が主演のドラマで、ショパンの「英雄ポロネーズ」やベートーヴェンの「テンペスト」のフィナーレが番組内で流れていたことに衝撃を受け、初めてクラシックの作曲家の存在を意識したのである(もちろん義務教育を受けている頃、音楽室の肖像画によりある程度の認識はあったのだが)。以来、クラシック音楽にはまった。はまりにはまった。しかし、一方で「クラシック音楽」至上主義的な考えも生まれ、いわゆる「ポピュラー音楽」を否定していた時期もある。ちょうど高校生の頃だ。

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2007年11月27日

ベジャールの思い出

bejart9997.jpg先日モーリス・ベジャールが亡くなった。80歳だという。映像で残っている彼のきびきびした精悍な姿を見慣れているせいか、まだ50代、60代なのではという錯覚に捉われていた。
もう20年近く前になるが、当時モーリス・ベジャール・バレエ団を旗揚げしたばかりの頃で、ジョルジュ・ドンやミシェル・ガスカールなど全盛期の頃のそうそうたるメンバーを引き連れ、来日公演をやっていた古き良き時代で、伝説の天才ダンサーたち見たさに、会場はいつも若い女性たちで熱気むんむんだったことを昨日のように思い出す。

僕が生でベジャールのバレエを見たのも、ドンが踊っているの観たのもこの時が最初。実は、その時の公演時に友人が寿司屋のカウンターで隣に座ったフランス人らしき人が注文に困っていたので助けてあげたところ、何とベジャール・バレエ団のダンサーだったという。そのつてで早速舞台裏に来いというメッセージをもらい、何日か後の公演の際、確かNHKホールだったと思うのだが、控え室にお邪魔したことがあった。
その時にベジャールに会ったし、ドンにも会った。というより、見た、という方が正しい。まだまだ還暦前後の若きベジャール。僕が直接お会いしたのはその1回きり。とても感激したことを覚えている。とにかく懐かしい。
その後、91年にジョルジュ・ドンが亡くなるまで来日ごとに彼らのバレエを追い続けた。「春の祭典」も観た。「ニーベルングの指環」も観た。ドンの最後の「ボレロ」も観た。そして「ニジンスキー・神の道化」も観た。
しかし、僕自身は残念ながらオン・タイムではないのだが、思うにやっぱり1980年頃の二十世紀バレエ団の頃が最高である。

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2007年11月26日

原点回帰

beethoveninberlin.jpg金曜日に受けた「ボイス・トレーニング教室」の気づきは、「地に足をつけて全身でエネルギーを循環させること」、「身体全部を使って呼吸をすること、エネルギーを『感じること』が重要だということ」、「無理せず全身の力を抜き、自然に声を出すこと」である。

昨晩、知人と飲みながら「仕事」のアイデアをざっくりともらった。
今日の昼、同居人と話しをしていて、「原点回帰」だとあらためて気づいた。多くの人に喜んでいただくには、気持ちよく楽しくなる「場」をいかに提供するかである。かれこれ20年ちょっと前に僕があるセミナーを通じ思い、感じた「原点」とはやっぱり「一体感」なのである。みんなで歌を歌うこともそう(素人が第九の合唱に参加すると、一体感で涙が出てくるらしい)。何かイベントで盛り上がるってこともそう。人間は「一つ」になりたがってるんだ、やはり・・・。

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2007年11月25日

自分を知ること

415WW7B7NVL._AA240_.jpg当たり前の話だが、人は「脳」で動いている。この世に生を享けてから、「脳」には環境や両親の教育、学校での出来事、体験などを通して様々な情報がインプットされる。プラスの要素もあればマイナスの要素もある。そして、後天的に作られた「脳」でもって人生を歩むのである。自分の「脳」に無意識であることはいかに恐ろしいことか。「自分を知る」ということは「自分の脳」を知るということ、すなわち、何が原因で今の自分自身になったのかを認知するということである。
「これは私の性格だからしょうがない」と、人は誰でも自らに言い聞かせ問題を棚上げする。しかし、認識している「性格」は正確に言うと「性格」ではない。決して先天的なものではないはずだ。それは、後天的に学習した「習慣化した癖」であることが多い。ゆえに、修正することもできるし、治すこともできる。要は、「自覚」が大切なのだ。

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2007年11月24日

過信は禁物

B00007M859.03.LZZZZZZZ.jpg「就職活動はショッピングである。もちろん企業から選んでもらえないとお話にならないのだが、会社を選べるあなた自身になろう」と学生に常々語りかけてきた。今から7、8年前の就職氷河期といわれた頃、学生は就職先の企業を探すのに一苦労した。以来、就職活動に向けての準備は絶対に必要だと口を酸っぱくして説いてきた。
今の学生にとっては信じられない話だろう。

大企業の新卒採用担当者が優秀な学生を確保するべくこぞって地方大学行脚を繰り返しているらしい。こういうニュースをまともに見ると学生は安心して「就職は余裕だろう」と思ってしまう。しかし、本当に誰でも余裕で内定が獲得できるのだろうか?
現実はそうではない。やはり、「できる人材」、「魅力的な人材」に人気は集中するのだ。だから「自分は大丈夫だろう」という過信は慎んだほうが良い。受験同様準備は重要なのだ。

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2007年11月23日

人の声

41jxKtn0eCL._AA240_.jpg思わぬ展開。たいしたことじゃないが、今日はいろんな人たちが電話をかけてきた。仕事につながりそうなので良い感じかな、と思っている。

ずっと人間の教育に関わっていて、やっぱり人を相手にカウンセリングしたり講義をすると自分が生き生きしてくるのだ。若手社会人に対して教えたいことがある。そして、学生には就職支援をしたい。常に潜在的に僕自身の中にある願望である。

今日の午後、知人の紹介で近藤京子先生のボイス・トレーニングに参加した。自らの身体を楽器に見立てていかに通る声を出すかを体感と理論の両面から教えていただいた。なるほど。いちいち感心させられる(教え方がとても上手。参考になります)。大事なのはグラウンディング。そう、大地にしっかりと根を張り、身体をパイプにして「気」を循環させるというイメージ。それがポイントである。口先や小手先のテクニックでは聴衆を「感心」させられても「感動」させることはできないという。言い得て妙。

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2007年11月22日

ミシュラン

00000412399.jpgミシュラン東京版が本日発売された。いわゆるグルメじゃない僕にとってはどうでもいいニュースなのだが、3つ星のお店には電話がひっきりなしに鳴り、普段の仕事が全く手につかない有様でお店によっては向こう数ヶ月予約で埋まってしまうほどらしい。

うーん、能天気というか何というか、日本人は幸せなのか不幸なのかよくわからない。結局、ブームや人気というものは「食」の世界に限らず、ある意味マスコミが創り上げた虚像であり、何だか「情報」に踊らされているようで滑稽に思えてしまう。
時折僕も信頼できる友人の紹介で「美味しい」と聞いたレストランには出掛ける。美味しいかもしれないし、それほどでもないかもしれない。人の味覚や好みは千差万別だから、友人が美味しいといったから自分にも合うかといったらそればかりはわからない。しかし、経験する前から否定するのも可笑しいから一度は出向いた方がいいと思うので、とにかく出掛けてみる。これまでの経験から言うと相手が食通の友人で、自分の舌の好みに近い人なら余程のことがない限りまぁ間違いはない。

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2007年11月21日

自律的に生きる

139.jpg「人の褌で相撲をとる」という言葉がある。どうしても「ずるい奴」、「姑息な奴」というマイナスのイメージがつきまとう。確かにリスクは軽減されるのかもしれない。安全に見えるのかもしれない。しかし、そんなのは一時のことである。よくよく熟考してみると世の中に「保障」というものは存在しない。あるとするなら「自分自身」の中にあるだけだ。だとするなら、他人に頼るのではなく自律的に生きることを選択すべきである。

日経平均株価が1年4ヶ月ぶりに1万5千円割れだという。為替相場が一時108円という円高に急騰したことが背景にあるようだ。戦後日本はアメリカの庇護の下、復興、急成長を遂げてきた。確かに合衆国のお陰で今の日本があることは否めない。しかし、語弊のある言い方が許されるなら、日本国は政治の世界においても、経済界においても、明らかにアメリカという巨大組織に支配され、言われるがまま、なすがままの乳飲み子のようになってしまっているように僕には感じられる。とにかく日本としてのアイデンティティが全く感じられないのだ。

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2007年11月20日

「愛」と「勇気」と「一」

31FVQ510Q8L._AA200_.jpgクラシック音楽は人の魅力というか「人間力」を高める効果が何だかあるように思う。
特に純粋器楽曲。言葉とか人間の声というのはどうも「心」にすっと響いてこない。例えば、ドイツ・リート。歌詞はドイツ語である。日本語訳を読み、内容を理解しながら聴いたところで微妙なニュアンスまでは伝わってこない。イタリア歌劇。アリアも台詞もイタリア語だ。同じく感覚の機微までは理解できない。
それでは日本語の歌詞を持つ歌やオペラならいいのか?否、言葉そのものが邪魔をして感覚的に「感じること」ができなくなってしまう。

何だか、言葉というものが「壁」を作ったり、「枠」を設けたりしているのではないか。
今や英語が世界共通語。英語が話せればワールド・ワイドに仕事もできるし、旅行も自由にできる。世界は良くも悪くもアメリカ合衆国に牽引されている。何だかそういう時代になってしまったようである。とはいうものの、日本人で英語が話せない、理解できない人はまだまだ多い。世界の片田舎でももちろんできない人は多数いる。いつぞやハンガリーに旅行したとき、メニューに英語がなく(ハンガリー語とドイツ語のみ)、もちろん店員に英語が全く通じなくほとほと困ったことがあった。
やはり言葉は大きな「壁」である。

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2007年11月19日

謙虚と感謝

shopping.jpg世の中で成功している人たちは皆「謙虚」である。常にどんなときも身の周りの人や事実に感謝することを忘れない。その人がいて今の自分がある。あの人がいたからこういうことができたんだ。誰もが「協力してくれる人々」の存在によって生かされているということを忘れちゃいけない。

東京国際女子マラソンで野口みずき選手が大会新記録で圧倒的な強さを見せ優勝した。団地に部屋を借り、食事は交代で作り、失業保険をもらいながら公営体育館でトレーニングをした日々もあったという。苦楽を共にした友人の一人は「いろんな人に支えられて走れるんだと気づいた。ずっと恵まれた環境にいたら気づかなかった」と語った。野口選手のお父さんも、ゴールの瞬間ガッツ・ポーズで「皆さんのお陰です」と周りの応援団に挨拶をしたらしい。謙虚な人々に支えられ、自らも愚直にトレーニングに邁進し、勝ち取った栄光なのだろう。

井上陽水奥田民生:ショッピング

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2007年11月18日

早朝のミーティングにて

419GHCANAWL._AA240_.jpg東京大学や早稲田大学にはやはり気の利いた(といっては失礼な言い方なのだが)学生がまだまだいるものなんだと痛感した。今朝いつものようにIさんのところで「早朝ミーティング」に参加して、僕は黙って彼らが話すことや姿勢、素振りを見ていただけなのだが、そう感じた。
ちょっと前までは今の学生に対する失望感の方が先行していた。しかし、今日のような機会やとあるベンチャー企業で学生と対峙する機会をもつようになって少しずつ考えを改めるべきだな、と思うようになったのである。
マスコミで連日報じられるネガティブな情報。それも若者の堕落ぶりを書きたてるようなニュース。もちろん、総じて「若者がやる気をなくしている」という傾向は実際あるのかもしれない。しかし、「しかし」である。明日の日本、世界を担うリーダーになりうる若者も間違いなく存在する。そして、彼らは貪欲に一流といわれる諸先輩から「何か」を学び取ろうと必死になっているのである。ともかく日曜日の朝6:30という早朝に集まってくる輩である。僕自身が学生だった頃とは比較しようもないほど彼らの目の輝きは違っている。そして話す内容がそもそも違う。

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2007年11月17日

人間力

463.jpg僕は人前で話すことを生業にしている。20年近く若者に「人間力」というものについて教えてきた結果、何だかその分野では右に出るものはいないのではないかと思うほど、我ながら洗練されてきている。もちろん「謙虚さ」は忘れてはいけないので、常に学ばせていただくという姿勢は保ったままだ。
そういう僕でも流石に慣れないことはどうしても緊張する。しどろもどろになったりもする。要は人間なのである。完璧にはなりきれない。当然なのだ。
しかし、よくよく考えてみると「話す」技術の問題ではなさそうだ。テクニックではなく話す対象、つまり相手に対する「想い」の深さの問題なのである。相手に「想い」があれば自然に気の利いた言葉は出てくるものである。逆に、「想い」がなければテクニックに頼るしかなく、「頭で考えて」しまうのだ。
これは「負け惜しみ」でも何でもなく「真理」である。

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2007年11月16日

トップの力量

hindemith.jpg昨日の守屋防衛省前事務次官の証人喚問における証言にせよ、吉兆の商品表示偽装問題にせよ世の中嘘が多すぎる。トップは責任逃れから嘘をつく。そして、下のものは「問題」と自覚しながら反論もできず、上の意向に沿い、最終的に傷口を広げる結果になる。いずれ問題が表面化することはわかりきった話なのだが、人間というもの目先の利益や身の保全に走ってしまうのである。浅ましさ、愚かさの限りだ。

人は生まれながらに身体を授かっている。その身体を大事に生かしていくために食べなければいけないし、眠らないといけない。人間の持つ「欲」こそキリスト教でいう「原罪」というものだろう。
20世紀のサルヴァドール・ダリ、16世紀のマティアス・グルーネヴァルトらが描いた「聖アントニウスの誘惑」と題する絵画がある。アンドレイ・タルコフスキー監督が遺作「サクリファイス」の次回作として構想していた映画も実は「聖アントニウスの誘惑」であった。

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2007年11月15日

地球は碧かった・・・

022.jpg音楽講座の新機軸として東洋絵画などとコラボレートしてみるのもいいかと、Kさんを交え午前中ミーティングした。なるほど中国絵画の専門家らしく話も面白く、先日の*AK* the piano duoの「ハルサイ」のときはこういう絵が脳裏に去来したとか、ベートーヴェンの第9を聴くとたくさんの鳥が見えるとか、僕などはおよそ及びもつかない観点で音楽を論じていただけるので人の感性というのは千差万別で、まさに人ってユニーク(Only One)なんだな、と実感した次第である。

次回の「早わかり古典音楽講座」はベートーヴェンの第9をとりあげるのだが、この楽曲を聴くと何を想い浮かべるかと問われると、僕は即座に「宇宙から見た碧い地球」と答えるだろう。究極の人類賛歌、自然賛歌、地球賛歌の音楽なのである。何だかガガーリンみたいだ。
ちなみに、音源は以前ブログに書いたフルトヴェングラーの指揮するいくつかのライブ盤が絶対的座右の盤なのだが、普段はあえてフルトヴェングラーを聴かないようにしている。初めて聴いたときの感動を常にHotな状態にしておくために(バーンスタイン盤ラトル盤朝比奈盤などをその時の気分によって聴き分けている)。

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2007年11月14日

「できることをする」ということ

31E9TC2CP2L._AA240_.jpgエイブラハム・マズローの言葉に次のようなものがある。
「人間が自分らしくあるためには、音楽家は音楽を演奏し、画家は絵を描き、詩人は詩を書く必要がある。結局、人間は自分ができることをするのが一番いいのだ。」
当たり前のことである。しかし、人は環境や他者の意見に惑わされることが多い。
なぜか?

語弊のある言い方をするなら(少々強引だが)、「私がやりたいことは何だろうか?」と考えるからである。現代は様々な理由により感性、主体性が鈍化している人々が多い。教育や子どもの頃からの環境に左右され、自分が何をしたいかではなくどうあるべきかと考え行動を起こす癖がついているのである。
「できることは何なのか?」を考えた方が確かに早い。人はそれぞれ独自の才能を持っているユニークな存在である。その点に気づくことができれば「道」は拓かれるはずである。

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2007年11月13日

のに・・・

51xopQQmtuL._AA240_.jpgふと開いた書物から気になった言葉。「観想」生活のすすめ・・・。
「観想」とは、活動(Action)という言葉に対するもので、英語ではContemplationという。すべてのことから離れて、静かに、深く考えるということだ。
要は、やるべきことが多く、忙しくて時間がないときほど「独り静かに自身を省みる」時間を持てということである。確かに・・・。
仕事や家庭で、四六時中時間に追われていると、本を読む暇さえなくなるという人も多い。音楽を聴く余裕もないという輩も多いことだろう。「やりたいこと」を減らすのではなく、「自省する」時間をとることが大事だ。

久しぶりに「相田みつを」の作品集を開く。

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2007年11月12日

リゲティの「祈り」

SRCR-1993.jpg人間の「想念」というのはやはりエネルギーだと痛感する。
「思考は現実化する」というが、「想念」がその環境、磁場に与える影響というのは計り知れないものがある。特に「怒り」や「哀しみ」というマイナスの「念」のパワーは「気の歪」を生じさせる。

よくポジティブな言葉を使うことを重視し提案している啓発本をみかける。確かに前向きな言葉を発することは重要なのだが、「言葉」はあくまで「想念」、「思考」を伝えるツールに過ぎず、表面上(つまり言葉の上で)どんなに取り繕って着飾ってみても「思念」そのものが汚れていれば、結局のところ場に与える影響はマイナスになりかねない。

言葉を発する人が自分自身の「想念」そのものを直視し、もしも過去の体験や環境からくるマイナス・エネルギーが溜まっているのであれば、本質的に浄化しないと、どんなに素晴らしい肯定的な言葉を発しても全てはきれいごとに聞こえ、その重みを半減させる。

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2007年11月10日

「癒し」のアマデウス様

410RS902E0L._AA240_.jpg数人のお客様を相手に、クライアント本人に気づき与えつつ事を進めていくのは気持ちの良い「疲れ」を伴う。決して嫌な「疲れ」じゃない。ただ、こういう時は心身をリフレッシュするのに邪魔にならない心地の良い「音楽」が必要だ。

頭を疲れさせない「癒し」の音楽は何か?それは好きな音楽なら何でもいいと思う。
例えば、僕にとってはバックハウスの弾くモーツァルトがそう。
バックハウスの弾くベートーヴェンならともかくなにゆえモーツァルトなのかと思う人も中にはいよう。しかし、なぜか「鍵盤の獅子王」の異名を持つバックハウスなのである。

まだCDが開発されない頃、僕はLPでバックハウスのモーツァルトを初めて聴いた。
それは色気のないゴツゴツしたクールなモーツァルトであった。
リリー・クラウスも聴いた。
ハイドシェックも聴いた。
バレンボイムも聴いた。
内田光子も聴いた。
グールドの弾く異形のモーツァルトももちろん聴いた(残念ながら受け容れ難い)。
しかし、やっぱりバックハウスのモーツァルトを一番聴きたくなる。そして、好きである。不思議なものである。

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2007年11月09日

おどけた静けさ

533.jpg明日からの2日間に備えて今日は静かに時を過ごした。「静かに」というのは音楽を聴かずに、ということではなく「心静かに」という意味である。お客様に自分自身が培ってきた全てを最高の状態で提供するために、とにかく邪念を払い、落ち着くことがとても重要なのである。

スターリンの大粛清まもないソビエト連邦において、いかにも子どものようなお茶目さとおどけた素振りを見せるドミトリー・ショスタコーヴィチの音楽はなぜかそういう日に邪魔にならず耳に心地よい。荒れ狂う世間の状況に背を向け、あくまで自らの心の内側を追及し「音の連なり」として表現していこうという作曲者の絶対的な意思がどの楽曲にも通じている。しかし、決して瞑想向きの音楽ではない。また、「静けさ」に支配された音楽でもない。

ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ロ短調作品54
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1965Live)

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2007年11月08日

「勝利」とは?

518.jpg「自己実現への道~交流分析の理論と応用」(社会思想社)を久しぶりに紐解いてみる。第1章「勝者と敗者」の冒頭の文章を以下引用する。

人間は誰しも新しい存在として、それ以前には絶対になかった存在としてこの世に生まれてくる。そして、彼は人生で勝利を得るために必要なものを備えて生まれてくるのだ。誰しも自分なりの方法で物を観察し、聞き、触れ、味わい、そして考えるのである。誰もが独特のユニークな潜在能力―可能性と限界をもっている。どんな人でも重要で、思索的で、よく気がつき、創造的、生産的な人間、すなわち勝者たりうる権利をもっているのである。

人は「勝つ」ということを履き違えて認識している。つまり、他者と比較することを幼少の頃から強いられ、他者より優位に立つことが「勝つ」ことだと信じ込んでいるのである。
しかし、この本の中で著者は言明する。

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2007年11月07日

茶番と真実

027.jpg昼間にちらっとテレビをつけるといつもの国会中継。冷静に見ていると、何だか全てが茶番に思えてくる。一昨日あたりからマスコミを騒がせている民主党の小沢代表が辞める辞めないという問題にせよ、テロ対策特別委員会の問題にせよ、何も知らないのは我々一般人だけで、何だかこういう問題に絡む全ての人と政治家がグルで、上手に芝居をうっているに過ぎないのでは、と考えてしまうのは僕だけだろうか?

今夜、とある会合で、昔読んだ老子について話が及び、そういえば老子の最初の言葉が「大道は無形にして天地を生育し、大道は無情にして日月を運行し、大道は無名にして万物を長養す、吾はその名を知らず、強いて名づけて道という」であることを思い出した。
要は、この宇宙にせよ、地球にせよ、我々が生まれてこの方、動いていることが当たり前だと思っているだけで、勝手に動いているのでもなく、「何か」大いなる力のようなものが働いているということを忘れてはいけない。そして万物に感謝しなければいけない、というようなことを言っているのである。

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2007年11月06日

野蛮人

41x8p9cW3JL._AA240_.jpgここのところ僕は考える。世の中で名を馳せていくには、反骨精神旺盛でとにかく諦めずに自分自身の描いた夢に向かって突き進むということがとても重要なのだということを。それは時には愚直に自らを信じることを源にしたパワーから生じるものかもしれないし、あるいはもっとスマートに「計算された意思」を源にしたエネルギーから生じるものかもしれない。いずれにせよ、これはビジネスの世界でも芸術の世界でも、おそらくスポーツの世界でも全く変わりのないセオリー。自らを信じ、強く思い行動すれば必ず「現実化」するのである。

20世紀の初め頃、ベラ・バルトークは、同郷のゾルタン・コダーイとともに開催したフランスでのコンサートの新聞評に「ハンガリーの若き2人の野蛮人」と書かれ、それに対する返答としてアイロニカルな意味を込め、「アレグロ・バルバロ」というピアノ曲を作曲したという。当時の大都会パリから見たハンガリーというのは確かに辺境であったのかもしれない。その田舎から出てきた音楽家に対しての当てつけといえば当てつけなのだが、しかし、流石に彼は自身の才能には自信があったのだろう、これ見よがしに「野蛮人」と題される楽曲を創作し、その曲が彼の代表作となっているのだから面白いものである。

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2007年11月05日

「愛」という名の通奏低音

31NX7792WNL._AA240_.jpg朝から打ち合わせで新宿のとあるホテルのロビーにいたのだが、昼食をはさんでかれこれ4時間ほどあぁだこぅだと考え、議論した。人間というもの、普段潜在的に意識したり、考えていることがアイデアとして浮かぶのだろうが、何となく閃いたことを口に出し、ちょこちょこと大枠を決め、お開きとなった。
こういう日記風のブログを毎日書いていて思うのだが、考えを文章にしたり、人に思っていることを整理して話していくと、自分自身の根底にある思想というか思考が顕わになってきて、とても面白いものだと感じる。

僕はここのところどの一点に足をつければいいのか常々思い巡らしているのだが、結論はやはり「愛」であると考えるようになった。「愛」などとはおよそ僕などには似ても似つかない単語で、どうもお尻がかゆくなるような違和感もあるといえばあるのだが、心底本音でそう思っているのだからこればかりはしょうがない。例えば、「古典音楽講座」でとりあげる作曲家にしても、日常的に聴いて楽しむ音楽にしても、または日々興味を持って読む本や観る映画ひとつとってみても、「愛」が通奏低音のように流れ支配しているものが圧倒的に好みであることはまず間違いない。おそらく人間ならば誰でもそうなんだろうけど・・・。

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2007年11月04日

常識という「枠」

263.jpgC君が初台でB級映画の会とやらを開催するというのでいそいそと出掛けた。何やらディープな世界に浸れるかとかなり期待して参加したのだが、いやぁ面白かった。
いくつかの前菜のあとのメイン・ディッシュは石井輝雄監督作の「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」。ホラーなのかミステリーなのかギャグ映画なのか、タイトルを聞いただけでは全く見当がつかなかったのだが、普通に楽しく観させてもらった。
1969年上映のカルト的な映画なので、抵抗感ある人には厳しいかもしれないが、映画好きの人なら一度は観てみる価値ありだと思う。僕的には根底に流れているテーマは「人間愛」なのかな、という感想。ただ、表現の仕方があくまで正統派でないのでそのあたりは意見が分かれるところか・・・。

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2007年11月03日

ブラームスの第4

941.jpg昔、まだ高校生の頃、その頃はまだCDなるものが開発されるちょっと前で、いわゆるLPレコードやカセット・テープが主流の時代で、ものによっては数百円で手に入る今のCDとは明らかに違い、新発売だと最低でも千円札2枚は必要だったものだから、音盤の1枚1枚が10代の僕にとってとても貴重なコレクションになっていったことを今更のように思い出す。
秋の今頃はちょうどブラームスを聴くのに相応しい時期で、そのときも確か今時分だったと記憶するのだが、ちょうど当時かぶれ始めていたハンス・クナッパーツブッシュの指揮するブラームスの第4交響曲(1957Live)が店頭に並んでおり、気になってなけなしのお金を投じて手に入れたことが懐かしい。Seven Seasというレーベルから出ていたものだが、おそらく海賊版で、それでも鑑賞には十分に耐えうる音質だったし、何よりその解釈にぶったまげた。

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2007年11月02日

好きこそものの上手なれ

51XKNSRGBNL._AA240_.jpg日本シリーズで中日ドラゴンズが53年ぶりの優勝を果たした。MVPに輝いた中村紀洋は涙ながらに「一度リストラされたが、自分を信じてやってきた。そういう人たちの励みになれば。」と語っている。
彼の場合、「自分を信じること」の前に、奥さんから「野球小僧」と称されるほどそもそも「野球」という好きなことに向かい、そしてその好きなことを継続してきたことの結果なのだから、MVPも当然いえば当然のことである。「信じられる何か」をもっているということは人間にとって最も重要なことで、要は「好きこそものの上手なれ」ということなのだ。
この言葉は、僕がキャリア・カウンセラーとして常々学生たちに語ってきたことと相通じることで、人生の転機にある今の僕自身についてあらためて「自分の好きなことは何なのか?」を振り返らせてくれ、自らを省みる大きなきっかけになったと思う。

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2007年11月01日

祈り

41DGND2AJ0L._AA240_.jpg神はやはり存在すると思う。どこにいるのか?もちろん自分自身の「内」にである。自らの内面に「神」的な要素があるということなのだ。ゆえに自分を信じ、能動的に動き、受容すればすべての願いは叶うものなのである。

一昨日、ある知人になるほどという話を聞いた。人間は誰しも積極的かつ能動的に行動すればいいと思っている。しかし、人間がそもそも持つ能力は「能動的力量」と「受動的力量」の二つなのだと。例えば、水を飲もうという意思が働いてコップを口に近づけたとしても、身体が拒絶すれば飲めないということである。つまり、この「受身の力」なるもののほうは誰しも無意識なものだから、気がつかないのだが、どちらかというと「素直に受容する力=受身の力=受動的力量」のほうが重要なのだということである。

自分自身を信じる力は誰もがもっているようで意外に誰しも信じられていないのかもしれない。
「果報は寝て待て」、という。やるべきことはベストを尽くして十分にやり、あとは自らを信じて待つこと。それも「真理」なのである。

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