祈り
神はやはり存在すると思う。どこにいるのか?もちろん自分自身の「内」にである。自らの内面に「神」的な要素があるということなのだ。ゆえに自分を信じ、能動的に動き、受容すればすべての願いは叶うものなのである。
一昨日、ある知人になるほどという話を聞いた。人間は誰しも積極的かつ能動的に行動すればいいと思っている。しかし、人間がそもそも持つ能力は「能動的力量」と「受動的力量」の二つなのだと。例えば、水を飲もうという意思が働いてコップを口に近づけたとしても、身体が拒絶すれば飲めないということである。つまり、この「受身の力」なるもののほうは誰しも無意識なものだから、気がつかないのだが、どちらかというと「素直に受容する力=受身の力=受動的力量」のほうが重要なのだということである。
自分自身を信じる力は誰もがもっているようで意外に誰しも信じられていないのかもしれない。
「果報は寝て待て」、という。やるべきことはベストを尽くして十分にやり、あとは自らを信じて待つこと。それも「真理」なのである。
寡黙なビートル、ジョージ・ハリスンが残した大傑作ナンバー(アルバム「All Things Must Pass」所収)。当時ヒンドゥー教に傾倒していた彼が18世紀のゴスペル・ソング「Oh Happy Day」(そういえば、つい先日出席した友人の結婚披露パーティーでもゴスペル・グループが歌っていた)にインスパイアされて書いた曲。
My Sweet Lord
I really want to see you
I really want to be with you
Lord but it takes so long
My Lord
執拗に繰り返される「神」への祈り。
「祈り」というものは「想い」である。そして「想い」は「言霊」であり「波動」である。
未来に対する肯定的な「意思」を明確にすればすれほど、実現化は確実なものになる。そして、何事も諦めないことである。人生最後は「神頼み」。あながち嘘ではないかもしれない。