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2008年02月 アーカイブ
2008年02月29日

即興と西野流呼吸法

31f8yZO23UL._AA240_.jpg「人間力向上セミナー」にせよ、「早わかりクラシック音楽講座」にせよ、「就活講座」にせよ、僕は事前には最低限の「アウトライン」を準備することしかしない。なぜなら常に自分自身の緊張感を保ち、初心の気持ちで対峙するためには「型」を限定しない方がいいからだ。その場の空気や聴いていただく相手の様子を伺いながら状況や状態を都度判断し、アドリブでやるからLive感というものが生まれる。そういう意味では長年の経験や蓄えてきた知識がものをいう。とにかく「引き出し」をいかにたくさん持ち、相手の反応に応じて適確な情報を引っ張り出せるかが鍵となる。
BCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)を主宰する鈴木雅明氏が対談形式で著した「バッハからの贈りもの」を読んでいて、彼が「西野流呼吸法」について言及している箇所があり、なるほどと納得した。
鈴木氏は「アタマでできたものは一番信用できない」という。
西野流でいう「対気」は、相手に合わせて各々全く違う反応を引き出すことをその旨とする。一人一人別の人間なのだから当たり前のことなのだが、サービス一つとっても最近はマニュアル化し過ぎている。ある時、新幹線の中で、順番にコーヒーを渡して「お熱いので、お気をつけください」と言ってきたサービス嬢が、鈴木氏がアイスクリームを買ったのに、「お熱いのでお気をつけ・・・」って、ここまで言って、気がついたというエピソードを例に喩え、それを頭のマニュアル化の典型だという。「呼吸法」は一人一人の凝り固まった身体と頭を解放するらしい。そして、音楽の基本も同じで「身体ですべてを理解できるようになること」が重要だと畳み掛ける。そういう意味では、バロック期は今のロックやジャズなどと同様、演奏者の即興性に委ねられていたゆえ、音楽がその場の聴衆や状況によって「今その瞬間」に生み出されているという緊張感とHotさを持っていたのだろうと推測できる。

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2008年02月28日

海潮音、パッサカリア

51AMN8G2ZML._AA240_.jpg雲一つない晴天の朝、7:30過ぎには起床する。ここ2、3日は風が強く、外出すると意外に寒い日が続いていたが、今日は違う。
メールを開くと、先日の「ES講座」の宿題が4人の学生から届いていたので、添削して返信する。自分をアピールすることについては掘り下げていけばエッセンスが見つかるわけで、それを形にしていくことはさほど難しい作業ではない。ところが、志望動機となるとやはり一筋縄ではいかない。その業界や企業に興味を持った理由をそのまま正直に書いていくしか結局方法はないと思うのだが、どうしても皆格好をつけたがる。きっかけとなった「原体験」やなぜ魅かれたのかを相手にわかるように書けばいいだけなのだが・・・。

正午、表参道にある行きつけの美容院「Cleep」で散髪。ここのところは1ヶ月に1回というペースを守って通っているが、髪を軽くするととても爽快だ。
ふと思い立って上田敏訳詩集「海潮音」をおもむろに開く。

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2008年02月27日

ブゾーニの「シャコンヌ」

busoni.jpgニューヨーク・フィルハーモニックが北朝鮮の平壌で初の公演を行った。マスコミのとりあげ方を見ると、「米朝の和解の第一歩」であるようなニュアンスの記事が多い。今回の公演は北朝鮮側からの要望だったらしいが、プログラムもドヴォルザークの「新世界」交響曲やガーシュインの「パリのアメリカ人」などアメリカ色の強いもので、結果的に金総書記の欠席や当日当夜の北朝鮮のマスコミの反応などから推測してみても、どうも政治的パフォーマンスのひとつに過ぎないのではないか、と僕などは考えてしまう。裏事情があれど知る由もないゆえこれ以上語りようもないが・・・。

昨日に引き続き学生諸君の「エントリーシート講座」を開く。彼らは2回目。2月も下旬に入って就職戦線も活発化しているようで、学生の動きも慌しくなってきている。「売り手市場」といわれる昨今、厳しいのはどちらかというと採用側であると思われているようだが、学生側も一部の優秀なサラブレッドは別にして、やはり相応の準備をしない限り第一志望企業の「内定」をゲットするのは難しい。とはいえ、みんなで協力しながら議論し、支えあって活動する「就活」は楽しいもので、夢を持って社会に挑戦するという気持ちで前向きに戦って欲しいものである。

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2008年02月26日

左手のためのシャコンヌ

brahms_chaconne.jpg先日の講座でとりあげたバッハ熱の余韻が覚めやらぬうちにとカンタータや受難曲、クラヴィーア曲などをいくつか聴いてみる。どこからどういう風に耳を傾けても、西洋古典音楽の源流はモンテヴェルディでもシュッツでもなくJ.S.バッハにつながるのではないかと思えてしまう。それほど崇高で何ものにも代え難い魅力を持ち、何度聴いても飽きない人類の至宝であると断言できる。ゆえに、普段からクラシック音楽を聴く習慣のない方はそれを知らないだけで損をしているように僕は思う。せめてバッハの小宇宙的な要素を汲み取るためにいくつかの代表的な創造物はモノにしたほうが良いのではなかろうか。余計なお世話だが・・・。

無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番ニ短調BWV1004の終曲、「シャコンヌ」にはしびれる。Mさんが「まさに当時のプログレッシブ・ロック」ではないかと形容したが、確かに「前衛的」である。これほどまでに宇宙の「混沌から調和へ」というコンセプトを見事に音化し、不要なものが極限まで削ぎ落とされた「純」音楽を他に僕は知らない。楽曲を分析した解説書を読むと、この音楽の構成が次のように書かれている。
「8小節からなる主題をもとに、257小節に及ぶ長大な30の変奏曲。全体は3部から構成される。第1部は131小節、第2部(中間部)は76小節、第3部は49小節となっている。調性は、第1部と第3部はニ短調、中間部は明るいニ長調。」
バッハの音楽は数学的だといわれる。確かにそういわれればその通りだ。シャコンヌ一つとってみても、その楽曲のバランスたるや驚異的だ。

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2008年02月25日

バッハ、ラフマニノフ、ショスタコは内向的である

mravin_schostako.jpg一昨日の講座ではラフマニノフの第2協奏曲をとりあげたことは既に書いた。その時にも話したことだが、ラフマニノフは時代遅れのロマンティスト、映画音楽作曲家といようなレッテルを貼られ、どちらかというと二流に近い音楽家に思われていることも多い。
しかし、不評だった交響曲第1番を聴くにつれ、やっぱり稀に見る天才だと実感する。でなければ、100年経った今でも聴き継がれることはないように思うのだ。

それに・・・

ちょうど講座でロシアやソ連のクラシック音楽について言及する機会があり、ショスタコーヴィチやプロコフィエフについても語ったのだが、いわゆる「社会主義リアリズム」という限られた枠の中で、鋭い創造性を発揮した彼らには脱帽ものだと感じる。

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2008年02月24日

アルゲリッチのバッハ

41YSFRFN0RL._AA240_.jpg「第13回早わかりクラシック音楽講座」無事終了。毎月開催するたびに参加いただける皆様のお陰だと実感でき、いつも新たな発見や気づきがあることがとても大きい。今回は無謀にもJ.S.バッハをとりあげると決め、直前まで頭を悩ませてくれたものの、いざ講習を始めると意外にすんなりと進めることができ、我ながら腕も上がってきたのかな、と自画自賛・・・。今回初めて参加いただいたMさんには「先生みたいですね」と感想をいただいたのだが、やっぱり「先生だよな」ってこれまた改めて自覚した次第。人に何かを教えるって楽しいし、何よりクラシック音楽の妙味を知っていただけるだけで僕はとても嬉しいのです。

J.S.バッハは深遠である。特に、ケーテン宮廷楽団長時代(1717~1723)に産み出した数々の世俗音楽(器楽曲)は各々が個性的な楽曲で、一人の人間が創り上げたとは到底思えない完成度を誇っている。中でも無伴奏の器楽曲-無伴奏チェロ組曲、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ、無伴奏フルート・ソナタ-は魂に直接響く、すべての「我欲」を削ぎ落としたストイックな神懸かり的音楽で、この3点を残したという事実だけでも音楽史上の奇跡に近いと僕は思う。

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2008年02月23日

リストのロ短調ソナタ

00028943178020_165x165.jpg「早わかりクラシック音楽講座」第12回ラフマニノフ第2協奏曲【補講】が無事終了!かつて、くらもちふさこ氏の「いつもポケットにショパン」(名作です!)という漫画で季晋ちゃんがオーケストラと協演したのもこの曲。そして「のだめカンタービレ」で千秋君が披露して絶賛を博したのも同じくラフマニノフのこの曲。単にヴィルトゥオーゾ的な要素をもつだけでなく、映画音楽然としたロマンティックな味わいを持つ20世紀の生んだ傑作協奏曲だけあり、講座も白熱し、気合いも入り、参加いただいた方にも喜んでいただけたようで良かった。明日はいよいよ本講座でJ.S.バッハをとりあげる。とにかく奥の深い作曲家だけにどうなることやら・・・。

夕方、先日の「人間力向上セミナー・パート2」の個人セッションでYさんと新宿で落ち合い、2時間弱ほど語る。数ヶ月間の気づきや進化をいろいろとシェアーしていただいて、僕もアドバイスをいくつかし、そのあとKさんも合流し、3人で一杯飲みながら夕食を摂る。
Kさんが例によって面白い話をしてくれた。テレビで有名な脳科学者のM氏は彼女の友人らしく時折会っては様々議論をするという。先日も人間の脳には「ミラー・ニューロン」という神経節があり、その部位が反応し、身近にいる人の影響を鏡のように受け、言動や表情までもが似るようになってしまうとのこと。へぇ、と感心しながら聞く。確かに「環境」は大きい。身の周りにいる人がどういうタイプの人かによって性格までも変容させるだけの力がある。

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2008年02月22日

レコーディング~バッハ~「熱情」ソナタ

backhaus_beethoven.jpgかながわアートホールで丸一日レコーディング漬け。楽屋にエンジニアの方と3人で篭っているとさすがに外の空気を思いっきり吸いたくなってくる。聴衆のいない平土間のホールは残響もたっぷりあり、日頃隣の部屋で鳴っているピアノの音とは比べられないほどきらきらした輝かしい音色を奏でてくれる。そもそも自宅にあるピアノはBösendorfer、このホールのピアノはSteinway & Sonsだから音が違って当たり前なのだが・・・。
11:30少し前に会場入り。早速録音予定の音楽を弾き始める。いくつかTakeを録りつつ、昼食をはさみ結局終了したのは20:00過ぎ。お疲れ様でした。CDは3月下旬発売予定です。お楽しみに!ちなみに僕が弾いたんじゃないですよ(笑)

保土ヶ谷までの往復の車中で鈴木雅明氏の「バッハからの贈りもの」を斜め読みする。明後日の講座を控えての予習という意味合いもあるが、なるほど日本が誇るバッハ研究家であり、有数の演奏家である鈴木氏ならではの含蓄のある言葉の数々はとても興味深く、勉強になる。この本の中で述べられていることで、同感と思ったことの一つが下記。
「バッハが生活者としてのたくましさと創造者とのバランスがとれていたのは象徴的であり、脅威でもあるということ。」
このバランスは現代社会においても重要なことだが、なかなかそういう人はいないというのも事実。バッハがある意味「天才」、否「宇宙人」といわれる理由はそこにあるのかもしれない。講座でも触れるつもりだが、生活者というのはいわば「俗」の部分であり、創造者とは「聖」の部分である。面白いのは、バッハは生活のために「教会音楽」を書き、絶対的な創造者の一人として「世俗音楽」を書いたということ。それはすなわち、「教会音楽」こそバッハにとっては「俗」であり、「世俗音楽」が「聖」であるという逆転現象なのである。バッハの「教会音楽」は四角四面の型にはまっており、「世俗音楽」は宇宙的拡がりを感じることは以前書いたが、また一つその理由が明らかになった感じだ。
まさに「汲めども尽きぬミューズの泉、語れどはてなき」ヨハン・セバスティアン・バッハ。

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2008年02月21日

Cheap Trick、スルタノフ!

CD14s.jpg勉強がてら東放学園の公開「ロック講座」に参加した。題して「ロック史~リック・ニールセン、ロック人生、30年を語る~」というもの。QueenやKissなどと同様70年代に日本がブームの火付け役となり、その後本国アメリカでもメジャーになった伝説のバンドCheap Trickのいわずと知れたギタリスト。合計90分間の公開講座で当然ながら演奏はない。しかしながら、古き良き70年代ロックの王道を歩み続けてきたバンドの中心メンバーを招いての授業だけに一般のオールド・ファンも交えての楽しい会。ともかくRick Nielsenは典型的なアメリカ人らしく妙に明るい。インタビュー形式で進められた講座の内容は表層的なものに過ぎないが、20歳前後の若い生徒に混じりながら、中年のおじさん、おばさんが何人もパイプ椅子に腰掛け、興奮して聞いている様を見ると、やはりジャンルを問わず音楽が人間に与える影響の大きさを実感する。Cheap Trickに関してはそれほど僕も詳しくないので彼らの音楽に関しては詳述を避けるが、どうやら78年にリリースされた「At Budokan」が爆発的にヒットし、武道館を世界的に有名にしたようだ。今日の授業でもRick本人が語っていたが、それ以前にはThe BeatlesやDeep Purple、Bob Dylanなども武道館で来日ライブを行い、音源もリリースされていたもののCheap Trickによって初めて武道館が来日アーティストにとっての憧れの殿堂となったということだ。どうやらその事実が彼らにしてみれば自慢らしい。

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2008年02月20日

ラッシュ・アワーのMJQ

513YBQDJSEL._AA240_.jpg午前中、羽田方面にて所用があったので山手線に乗る。ラッシュアワーの山手線は何年ぶりだろうか(というよりラッシュアワーは何年ぶりだろう)?前職の時も出勤時間はアバウトだったので通勤ピークタイムに電車に乗り合わせることはまずなかった。車内の尋常でない混雑ぶりを体感しながらサラリーマンは毎日のようにこういう状況に置かれるのかと感心した。
京浜急行の車内では先日Dにすすめられた「環境問題はなぜウソがまかり通るのか(武田邦彦著)」を読む。「環境問題」という大義名分の下、マスコミに煽り立てられた「ダイオキシン問題」や「地球温暖化の故意の誤報」などをとりあげ、国民がいかに騙され、一部のビジネスの餌食と化しているかが警鐘を込めながら懇切丁寧に書かれている。滅法面白い。やっぱり何事も人の話やマスコミの情報を鵜呑みにするのではなく、自分の目や耳で確かめるべきですね。自ら体験・体感してこそ知識となり智慧となるものです。

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アレグロ・コン・ブリオ~「愛」+「勇気」=「ワンネス」:2008年02月アーカイブ
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即興と西野流呼吸法

31f8yZO23UL._AA240_.jpg「人間力向上セミナー」にせよ、「早わかりクラシック音楽講座」にせよ、「就活講座」にせよ、僕は事前には最低限の「アウトライン」を準備することしかしない。なぜなら常に自分自身の緊張感を保ち、初心の気持ちで対峙するためには「型」を限定しない方がいいからだ。その場の空気や聴いていただく相手の様子を伺いながら状況や状態を都度判断し、アドリブでやるからLive感というものが生まれる。そういう意味では長年の経験や蓄えてきた知識がものをいう。とにかく「引き出し」をいかにたくさん持ち、相手の反応に応じて適確な情報を引っ張り出せるかが鍵となる。
BCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)を主宰する鈴木雅明氏が対談形式で著した「バッハからの贈りもの」を読んでいて、彼が「西野流呼吸法」について言及している箇所があり、なるほどと納得した。
鈴木氏は「アタマでできたものは一番信用できない」という。
西野流でいう「対気」は、相手に合わせて各々全く違う反応を引き出すことをその旨とする。一人一人別の人間なのだから当たり前のことなのだが、サービス一つとっても最近はマニュアル化し過ぎている。ある時、新幹線の中で、順番にコーヒーを渡して「お熱いので、お気をつけください」と言ってきたサービス嬢が、鈴木氏がアイスクリームを買ったのに、「お熱いのでお気をつけ・・・」って、ここまで言って、気がついたというエピソードを例に喩え、それを頭のマニュアル化の典型だという。「呼吸法」は一人一人の凝り固まった身体と頭を解放するらしい。そして、音楽の基本も同じで「身体ですべてを理解できるようになること」が重要だと畳み掛ける。そういう意味では、バロック期は今のロックやジャズなどと同様、演奏者の即興性に委ねられていたゆえ、音楽がその場の聴衆や状況によって「今その瞬間」に生み出されているという緊張感とHotさを持っていたのだろうと推測できる。

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2008年02月28日

海潮音、パッサカリア

51AMN8G2ZML._AA240_.jpg雲一つない晴天の朝、7:30過ぎには起床する。ここ2、3日は風が強く、外出すると意外に寒い日が続いていたが、今日は違う。
メールを開くと、先日の「ES講座」の宿題が4人の学生から届いていたので、添削して返信する。自分をアピールすることについては掘り下げていけばエッセンスが見つかるわけで、それを形にしていくことはさほど難しい作業ではない。ところが、志望動機となるとやはり一筋縄ではいかない。その業界や企業に興味を持った理由をそのまま正直に書いていくしか結局方法はないと思うのだが、どうしても皆格好をつけたがる。きっかけとなった「原体験」やなぜ魅かれたのかを相手にわかるように書けばいいだけなのだが・・・。

正午、表参道にある行きつけの美容院「Cleep」で散髪。ここのところは1ヶ月に1回というペースを守って通っているが、髪を軽くするととても爽快だ。
ふと思い立って上田敏訳詩集「海潮音」をおもむろに開く。

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2008年02月27日

ブゾーニの「シャコンヌ」

busoni.jpgニューヨーク・フィルハーモニックが北朝鮮の平壌で初の公演を行った。マスコミのとりあげ方を見ると、「米朝の和解の第一歩」であるようなニュアンスの記事が多い。今回の公演は北朝鮮側からの要望だったらしいが、プログラムもドヴォルザークの「新世界」交響曲やガーシュインの「パリのアメリカ人」などアメリカ色の強いもので、結果的に金総書記の欠席や当日当夜の北朝鮮のマスコミの反応などから推測してみても、どうも政治的パフォーマンスのひとつに過ぎないのではないか、と僕などは考えてしまう。裏事情があれど知る由もないゆえこれ以上語りようもないが・・・。

昨日に引き続き学生諸君の「エントリーシート講座」を開く。彼らは2回目。2月も下旬に入って就職戦線も活発化しているようで、学生の動きも慌しくなってきている。「売り手市場」といわれる昨今、厳しいのはどちらかというと採用側であると思われているようだが、学生側も一部の優秀なサラブレッドは別にして、やはり相応の準備をしない限り第一志望企業の「内定」をゲットするのは難しい。とはいえ、みんなで協力しながら議論し、支えあって活動する「就活」は楽しいもので、夢を持って社会に挑戦するという気持ちで前向きに戦って欲しいものである。

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2008年02月26日

左手のためのシャコンヌ

brahms_chaconne.jpg先日の講座でとりあげたバッハ熱の余韻が覚めやらぬうちにとカンタータや受難曲、クラヴィーア曲などをいくつか聴いてみる。どこからどういう風に耳を傾けても、西洋古典音楽の源流はモンテヴェルディでもシュッツでもなくJ.S.バッハにつながるのではないかと思えてしまう。それほど崇高で何ものにも代え難い魅力を持ち、何度聴いても飽きない人類の至宝であると断言できる。ゆえに、普段からクラシック音楽を聴く習慣のない方はそれを知らないだけで損をしているように僕は思う。せめてバッハの小宇宙的な要素を汲み取るためにいくつかの代表的な創造物はモノにしたほうが良いのではなかろうか。余計なお世話だが・・・。

無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番ニ短調BWV1004の終曲、「シャコンヌ」にはしびれる。Mさんが「まさに当時のプログレッシブ・ロック」ではないかと形容したが、確かに「前衛的」である。これほどまでに宇宙の「混沌から調和へ」というコンセプトを見事に音化し、不要なものが極限まで削ぎ落とされた「純」音楽を他に僕は知らない。楽曲を分析した解説書を読むと、この音楽の構成が次のように書かれている。
「8小節からなる主題をもとに、257小節に及ぶ長大な30の変奏曲。全体は3部から構成される。第1部は131小節、第2部(中間部)は76小節、第3部は49小節となっている。調性は、第1部と第3部はニ短調、中間部は明るいニ長調。」
バッハの音楽は数学的だといわれる。確かにそういわれればその通りだ。シャコンヌ一つとってみても、その楽曲のバランスたるや驚異的だ。

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2008年02月25日

バッハ、ラフマニノフ、ショスタコは内向的である

mravin_schostako.jpg一昨日の講座ではラフマニノフの第2協奏曲をとりあげたことは既に書いた。その時にも話したことだが、ラフマニノフは時代遅れのロマンティスト、映画音楽作曲家といようなレッテルを貼られ、どちらかというと二流に近い音楽家に思われていることも多い。
しかし、不評だった交響曲第1番を聴くにつれ、やっぱり稀に見る天才だと実感する。でなければ、100年経った今でも聴き継がれることはないように思うのだ。

それに・・・

ちょうど講座でロシアやソ連のクラシック音楽について言及する機会があり、ショスタコーヴィチやプロコフィエフについても語ったのだが、いわゆる「社会主義リアリズム」という限られた枠の中で、鋭い創造性を発揮した彼らには脱帽ものだと感じる。

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2008年02月24日

アルゲリッチのバッハ

41YSFRFN0RL._AA240_.jpg「第13回早わかりクラシック音楽講座」無事終了。毎月開催するたびに参加いただける皆様のお陰だと実感でき、いつも新たな発見や気づきがあることがとても大きい。今回は無謀にもJ.S.バッハをとりあげると決め、直前まで頭を悩ませてくれたものの、いざ講習を始めると意外にすんなりと進めることができ、我ながら腕も上がってきたのかな、と自画自賛・・・。今回初めて参加いただいたMさんには「先生みたいですね」と感想をいただいたのだが、やっぱり「先生だよな」ってこれまた改めて自覚した次第。人に何かを教えるって楽しいし、何よりクラシック音楽の妙味を知っていただけるだけで僕はとても嬉しいのです。

J.S.バッハは深遠である。特に、ケーテン宮廷楽団長時代(1717~1723)に産み出した数々の世俗音楽(器楽曲)は各々が個性的な楽曲で、一人の人間が創り上げたとは到底思えない完成度を誇っている。中でも無伴奏の器楽曲-無伴奏チェロ組曲、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ、無伴奏フルート・ソナタ-は魂に直接響く、すべての「我欲」を削ぎ落としたストイックな神懸かり的音楽で、この3点を残したという事実だけでも音楽史上の奇跡に近いと僕は思う。

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2008年02月23日

リストのロ短調ソナタ

00028943178020_165x165.jpg「早わかりクラシック音楽講座」第12回ラフマニノフ第2協奏曲【補講】が無事終了!かつて、くらもちふさこ氏の「いつもポケットにショパン」(名作です!)という漫画で季晋ちゃんがオーケストラと協演したのもこの曲。そして「のだめカンタービレ」で千秋君が披露して絶賛を博したのも同じくラフマニノフのこの曲。単にヴィルトゥオーゾ的な要素をもつだけでなく、映画音楽然としたロマンティックな味わいを持つ20世紀の生んだ傑作協奏曲だけあり、講座も白熱し、気合いも入り、参加いただいた方にも喜んでいただけたようで良かった。明日はいよいよ本講座でJ.S.バッハをとりあげる。とにかく奥の深い作曲家だけにどうなることやら・・・。

夕方、先日の「人間力向上セミナー・パート2」の個人セッションでYさんと新宿で落ち合い、2時間弱ほど語る。数ヶ月間の気づきや進化をいろいろとシェアーしていただいて、僕もアドバイスをいくつかし、そのあとKさんも合流し、3人で一杯飲みながら夕食を摂る。
Kさんが例によって面白い話をしてくれた。テレビで有名な脳科学者のM氏は彼女の友人らしく時折会っては様々議論をするという。先日も人間の脳には「ミラー・ニューロン」という神経節があり、その部位が反応し、身近にいる人の影響を鏡のように受け、言動や表情までもが似るようになってしまうとのこと。へぇ、と感心しながら聞く。確かに「環境」は大きい。身の周りにいる人がどういうタイプの人かによって性格までも変容させるだけの力がある。

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2008年02月22日

レコーディング~バッハ~「熱情」ソナタ

backhaus_beethoven.jpgかながわアートホールで丸一日レコーディング漬け。楽屋にエンジニアの方と3人で篭っているとさすがに外の空気を思いっきり吸いたくなってくる。聴衆のいない平土間のホールは残響もたっぷりあり、日頃隣の部屋で鳴っているピアノの音とは比べられないほどきらきらした輝かしい音色を奏でてくれる。そもそも自宅にあるピアノはBösendorfer、このホールのピアノはSteinway & Sonsだから音が違って当たり前なのだが・・・。
11:30少し前に会場入り。早速録音予定の音楽を弾き始める。いくつかTakeを録りつつ、昼食をはさみ結局終了したのは20:00過ぎ。お疲れ様でした。CDは3月下旬発売予定です。お楽しみに!ちなみに僕が弾いたんじゃないですよ(笑)

保土ヶ谷までの往復の車中で鈴木雅明氏の「バッハからの贈りもの」を斜め読みする。明後日の講座を控えての予習という意味合いもあるが、なるほど日本が誇るバッハ研究家であり、有数の演奏家である鈴木氏ならではの含蓄のある言葉の数々はとても興味深く、勉強になる。この本の中で述べられていることで、同感と思ったことの一つが下記。
「バッハが生活者としてのたくましさと創造者とのバランスがとれていたのは象徴的であり、脅威でもあるということ。」
このバランスは現代社会においても重要なことだが、なかなかそういう人はいないというのも事実。バッハがある意味「天才」、否「宇宙人」といわれる理由はそこにあるのかもしれない。講座でも触れるつもりだが、生活者というのはいわば「俗」の部分であり、創造者とは「聖」の部分である。面白いのは、バッハは生活のために「教会音楽」を書き、絶対的な創造者の一人として「世俗音楽」を書いたということ。それはすなわち、「教会音楽」こそバッハにとっては「俗」であり、「世俗音楽」が「聖」であるという逆転現象なのである。バッハの「教会音楽」は四角四面の型にはまっており、「世俗音楽」は宇宙的拡がりを感じることは以前書いたが、また一つその理由が明らかになった感じだ。
まさに「汲めども尽きぬミューズの泉、語れどはてなき」ヨハン・セバスティアン・バッハ。

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2008年02月21日

Cheap Trick、スルタノフ!

CD14s.jpg勉強がてら東放学園の公開「ロック講座」に参加した。題して「ロック史~リック・ニールセン、ロック人生、30年を語る~」というもの。QueenやKissなどと同様70年代に日本がブームの火付け役となり、その後本国アメリカでもメジャーになった伝説のバンドCheap Trickのいわずと知れたギタリスト。合計90分間の公開講座で当然ながら演奏はない。しかしながら、古き良き70年代ロックの王道を歩み続けてきたバンドの中心メンバーを招いての授業だけに一般のオールド・ファンも交えての楽しい会。ともかくRick Nielsenは典型的なアメリカ人らしく妙に明るい。インタビュー形式で進められた講座の内容は表層的なものに過ぎないが、20歳前後の若い生徒に混じりながら、中年のおじさん、おばさんが何人もパイプ椅子に腰掛け、興奮して聞いている様を見ると、やはりジャンルを問わず音楽が人間に与える影響の大きさを実感する。Cheap Trickに関してはそれほど僕も詳しくないので彼らの音楽に関しては詳述を避けるが、どうやら78年にリリースされた「At Budokan」が爆発的にヒットし、武道館を世界的に有名にしたようだ。今日の授業でもRick本人が語っていたが、それ以前にはThe BeatlesやDeep Purple、Bob Dylanなども武道館で来日ライブを行い、音源もリリースされていたもののCheap Trickによって初めて武道館が来日アーティストにとっての憧れの殿堂となったということだ。どうやらその事実が彼らにしてみれば自慢らしい。

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2008年02月20日

ラッシュ・アワーのMJQ

513YBQDJSEL._AA240_.jpg午前中、羽田方面にて所用があったので山手線に乗る。ラッシュアワーの山手線は何年ぶりだろうか(というよりラッシュアワーは何年ぶりだろう)?前職の時も出勤時間はアバウトだったので通勤ピークタイムに電車に乗り合わせることはまずなかった。車内の尋常でない混雑ぶりを体感しながらサラリーマンは毎日のようにこういう状況に置かれるのかと感心した。
京浜急行の車内では先日Dにすすめられた「環境問題はなぜウソがまかり通るのか(武田邦彦著)」を読む。「環境問題」という大義名分の下、マスコミに煽り立てられた「ダイオキシン問題」や「地球温暖化の故意の誤報」などをとりあげ、国民がいかに騙され、一部のビジネスの餌食と化しているかが警鐘を込めながら懇切丁寧に書かれている。滅法面白い。やっぱり何事も人の話やマスコミの情報を鵜呑みにするのではなく、自分の目や耳で確かめるべきですね。自ら体験・体感してこそ知識となり智慧となるものです。

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2008年02月19日

メイプルソープ、港屋、ロストロ

rostro_bach.jpg前にも少し触れたロバート・メイプルソープ写真集の「猥褻訴訟」で最高裁が「猥褻ではない」と判断をくだした。一部に「男性器のアップの写真」が含まれていることが問題となったようだが、司法の判断は「写真集は芸術的観点で構成されており、全体としてみれば社会通念に照らして風俗を害さない」とした。時間の経過と共に社会通念も大きく変化する。ほんの少し前までは考えられなかったことが当たり前となり、「規制緩和」の名の下様々な事柄の垣根が取り払われ、ハードルが少しずつ低くなっていく。しかし、その一方で、携帯サイトなどは年齢制限により機種変後、突然掲示板サイトに書き込みができなくなったり、正規サイトでないと閲覧することができなくなるなど新しい問題も表出しているようだ。

人々の常識やモラルが低下しているという。本来家庭や学校で教えるべき要素であると思うが、「親」が「親」の、「教師」が「教師」の機能を果たさなくなった今の世の中において、何でもかんでも堅苦しく考えるのでなくもっと「人間性」をおおらかに謳歌してみてもいいのではないかとついつい考えてしまう。

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2008年02月18日

バッハ、teppy、なぜか中谷彰宏

51AJ4WVBSTL._AA240_.jpgフォトグラファーのT君が所用がてら来宅する。多少見くびっていた(笑)ところがあったが、出来上がった「写真」を見て、言い過ぎかもしれないが「天才(?!)」だと思った。バックの背景に被写体がすんなりと溶け込むと同時にくっきりと浮かび上がる。ともかく「光」の加減が絶妙。
いつもの「真っ赤な菜食パスタ」をご馳走することになり、ビール片手に食事をしながら談笑する。フォトグラファーもファインダーを覗きながら焼き上がりの映像をイメージしつつ、光の加減を調整しながら被写体の微妙な動きを瞬時に察知し、とらえ、シャッターを切るのだという。こういうことは長年の経験とセンスがものをいう世界だが、ことカメラの世界に限らず、絵画にせよ音楽にせよ、セミナーにしろ、プレゼンテーションにしろ、友人との会話にしろ「今のその瞬間」を絶妙に感知し、アドリブ的にとらえて相手(お客様)にサービスをするということが重要なのだと思う。Iさんから読んでくれと渡された中谷彰宏氏の話し方やプレゼンテーションについての一連の書籍にも似たようなことが書いてあった。プレゼンテーターはいくつもの引き出しをもち、その場にいるお客さんの状態や雰囲気に合わせ話ができないと一流にはなれないというようなことがいろいろな角度から語られている。

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2008年02月17日

「素直」、プロコフィエフの第3協奏曲

41EBKQDJMFL._AA240_.jpg年齢に関係なく人にとって重要な要素のひとつに「素直」というものがある。「素直」とはイコール「向上心」ともいえる。「向上心」とは「謙虚」であり、他者から学ぼうという姿勢である。人は「傲慢」になったときに転落する。他者依存の強い人ほど「傲慢」になる傾向がある。一方で軸を自らに有し、自律的に生きている人は俄然「謙虚」である。自分の二本の足で立っている人は余裕があるのだ。

ちょうど10年前、大分県で「別府アルゲリッチ音楽祭」がスタートした。チョン・ミョン=フンとの「マ・メール・ロア」の連弾や十八番であるプロコフィエフの第3協奏曲を披露すると聞いた時どうしても九州まで出向かねばという衝動に駆られた。仕事を放り出して音楽三昧をするというのはなかなか勇気がいることだが、何かと理由をつけ前後2日間をおまけにつけ温泉三昧、河豚三昧を兼ね、湯布院や臼杵を訪ねた。巨匠アルゲリッチが気に入るほどのロケーションであるゆえ悪いはずがない。最高の土地である。それに芸大オーケストラをバックにアルゲリッチが自由奔放に自らの全てを表現し尽したプロコがとにかく絶品であった。ただでさえ興奮を喚起するこの曲が彼女の魔法によってますます光彩を放つ様子が手にとるようにわかり、それだけで訪問した甲斐があると感激したことが昨日のことのようである。

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2008年02月16日

オネゲル

honegger.jpgワーグナーを信奉していたアルテュール・オネゲルは楽劇「トリスタンとイゾルデ」を好きでないと洩らした友人に「君は恋愛をしたことがないのか?」と問うたという。確かに「トリスタン」の恍惚感溢れる音楽を耳にして感動しない輩は、純粋に音楽的感性が鈍化しているのか、それとも「恋や愛」というものに対して全く縁のない「人間らしさ」の微塵までも捨て去ってしまった人(?)なのかもしれない。とにかく第1幕前奏曲冒頭から魂を揺さぶられるほど見事なまでに人間の「エロス」が音化されている。

オネゲルはあくまで20世紀の作曲家で作風は晦渋そのものだが、聴き込めば聴き込むほど味が出てくる。ワーグナーに似て好き嫌いが分かれる音楽家であると思う。そういう僕自身も若い頃、オネゲルはどうも苦手で、なかなかその真髄に触れることができなかった。しかし、ある程度の年齢を重ねた今となってみれば、2度の世界大戦を間近に見た体験から生ずるヒューマニスティックな精神と人間の本質に訴えかけようとする作風に大なり小なり敬虔な「宗教心」を感じる。

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2008年02月15日

ホスピタリティ

4125K2C313L._AA240_.jpg先日の「JAZZ四季会」の会場だった芝パークホテルが昨深夜火事に見舞われたらしい。開業から60年近く経過しているということでスプリンクラーも設置されていなかったようだが、職員の適切な誘導などで死者がでなかったことが救いだ。月並みな言葉で恐縮だが、サービスというのはお客様へのおもてなしである。職員がいかにホスピタリティに溢れているかによって明暗を分けるといってよい。

一方、相変わらず中国産ギョーザに関しては「真相」が定かでないようだ。安価で殺虫能力に優れているという理由から禁止されている農薬メタミドホスをいまだに使用している農民があとを絶たないらしい。しかも、中毒が怖いから自分たち家族が食べる野菜には絶対に使用しないという。食べていかなければならないという農民たちの事情も確かにあろう。しかし、狂っている・・・。資本主義の功罪とはいかばかりか・・・。

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2008年02月14日

Happy Valentine’s Day

41XKWM2M8RL._AA240_.jpg結局今日は「東新宿」~「春日」間(片道ものの10分ほどの距離なのだが、後楽園あたりで数時間も時間を潰すわけにもいかず)を2往復した。
午前中、小石川植物園にて相方のCD&コンサート用の写真撮影。フリーカメラマンであるT君の撮る写真は波動が高く良い写真で有名。雲一つない晴天でまさに屋外撮影日和。何だか昨日までとはうって変わって空気が妙に気持ちよく、「春が間近である」ことを感じさせてくれる。撮影は1時間半ほどで終え、東京ドーム・シティ「La Qua」のインド料理レストランにて3人で食事をし、一旦自宅に戻る。

夕方まで雑用をこなす。BGMはバルトーク。彼の音楽は知性に溢れている。と同時にとても人間臭い温かみをあわせ持つ。10年ほど前ブダペストを訪れた際、バルトークの生家にも足を運んだのだが、晩年亡命先のアメリカで貧困のうちに亡くなってしまうとは到底信じられないほど立派でお洒落でかつ健康的な家だったことを思い出す。彼の作風にはヨーロッパの持つ貴族的で退廃的なニュアンスが僕には感じられるのだが、その「暗さ」が明るいアメリカの大衆には受け入れ難いものだったのかもしれない、などと想いを馳せながら、バルトーク自身が1935年に録音したSP復刻の「アレグロ・バルバロ」を聴く。音はさすがに貧しい。しかし、やっぱりかっこいい。これはクラシックというより「ロック・ミュージック」である。

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2008年02月13日

天才バルトーク

41YBMR05AKL._AA240_.jpg昨日Iさんから中谷彰宏氏の「お金」にまつわる一連の著書を7冊いただいた。いわゆるファイナンシャル・リテラシーを磨きなさいという意図があってのプレゼントである。この手のビジネス、啓発書はあっという間に読めるのでお手頃。1時間余りでざっと4冊ほど目を通した。とにかく謙虚に「損して得とれ」的なアドバイスが散りばめられている。これはこれで参考になります(普段この手の本は全く読まない)。感謝。

「神は人に二物を与えなかった」というが、教育のスペシャリストとしての能力に長けているという自信はあるのだが、会社経営だとかお金儲けだとかビジネスに関しては正直疎い。とはいえ、最低限の知識やハウツーは身につけねばならないと思っているし、身の周りで様々なアドバイスをいただける仲間がいるのでがんばろうと思っている(笑)。
とにかく人に喜んでいただけるよう「真理」を学び教示することと「ビジネス」を両立してこそ初めて本物だと思うから。

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2008年02月12日

楽しもう!

31QhI9a0tfL._AA192_.jpg今朝は7:00から先日の「人間力向上セミナー」の振り返りと改善のためのミーティング。当初は30分ほど、永くても時間というつもりで設定していたのだが、議論が白熱し、とうとう11:00まで合計4時間を費やした。しかしながら、ただ時間を漫然と過ごしたのと違いとても意義のある時間であった。これは昨日も書いたことだが「一人でも多くの方に喜んでいただき幸せになっていただきたい」、そして「現実社会でも輝いて生きていけるよう支援をしたい」という僕自身の気持ちを再確認させてくれたと同時に、どんなビジネスにおいてもいえることだが、「相手の気持ちをくみとりいかに巻き込むことが大事か」ということにあらためて気づかされたことがとても大きい。
人は誰でも他者と比較しがちである。しかし、上には上がいるというのは世の常で、結局は人と比較しても埒が明かない。「毎日昨日の自分自身との比較が大事である」、そして何よりも「楽しむ」ことが重要なのである。これが今日の収穫。

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2008年02月11日

念ずれば花開く・・・

elgargardiner.jpg「念ずれば花開く」という坂村真民氏の言葉がある。確かにその通りだと実感する。
昨日は一日家にいた。朝から頭の中を駆け巡っていた事案はやっぱり「人間力セミナー」のこと。他意はない。とにかく一人でも多くの方に伝えることが重要だという「焦り」とも「希望」ともつかないような願い。
Mから電話が入る。「人間力セミナー」に興味をもつ友人がいるのだという。「びっくり」とともに「やっぱりか」という想いが錯綜する。

早速、本夕新宿のホテル・センチュリー・サザンタワーのロビーにて会う。いろいろと話を伺っていくと、まさにニーズにぴったり。しかも、ネットワークのつながりもリンクしていて会うべくして会ったという感じ。

転職エージェント業も順調である。今日も人伝に情報を知った既知の友人から電話が入った。転職活動中だという。こちらも早速アポイントにつなげるべく動く。

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2008年02月10日

「のだめ」、ショパン

51QThR2XF0L._AA240_.jpg例の事件による所謂「加工品」の消費者離れで冷凍モノは軒並み売上が落ちている中ギョーザの皮が売れているという。ふとギョーザが食べたくなりスーパーに皮を買いに走る。
我が家は基本的に「菜食」なので、ギョーザの具も動物性のものは一切使わない。そう、肉なしである。冷蔵庫にある野菜、茸や蒟蒻などをプロセッサーにかけ秘伝の調味料で味付けした具を皮に包み外はパリパリ、中はもっちりと焼き上げる。食べさせた人皆が共通に発する言葉は「美味い!」。本当に美味しいのです。今夜はギョーザ鍋にしてポン酢で食す。絶妙な味加減でした。

食後は「のだめカンタービレ」。はまっております。「あ、この曲も使われてたんだ・・・」、とか「やっぱりギャグ・マンガだな」とか考えながらテレビの前に座すること数時間。
放映されたのは1年ほど前だと思うが、確かにマンガも売れ、ドラマにもなり一世を風靡したのも頷ける。他愛も無い展開だが、クラシック音楽好きには堪えられない「専門性」が随所に垣間見られる。

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2008年02月09日

明るく素直に

heidsieckduo.jpg先日の「人間力向上セミナー・パート2」のフォロー・セッションのため江戸川橋まで出掛け1時間ほどAさんとお茶を飲みながら話をする。彼女は20代半ばだが既に子持ちで、素直で明るく、考え方もしっかりしていて一緒にいてとても気持ちが良い。何気なく子どもの頃のこととか親御さんの性格とか聞いてみるとなるほどと納得できる答えが返ってくる。お父さんは普通のサラリーマンなのだが、いつも人に奢ったりお金をあげたりととても気前がよく、当然ながら周りからもとても愛される人柄のようだ。彼女としては子どもの頃からそういう父親に対してちょっとやり過ぎなのではないかと感じつつ、どちらかというと否定的にしか見られなかったらしいのだが、そういうお父さんはいつも幸せで、「人に喜んでいただけること」が自分の喜びであるかのように常に謙虚に振舞うのを見て、結果的に過剰な自己主張をしないという生き様がどれだけ自分自身の人生にプラスを与えているかに心から気づけ、感謝の念が湧いて出てきたそうだ。「愛とはもらうものではなく、与えるものである」とはよく言ったものである。そういう親の背中を見て育った子どもは本当に素直で明るい。

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2008年02月08日

快・不快

41J5AX8V9XL._AA240_.jpg朝から部屋の全ての窓を開け、暖房も入れずに「外気」を感じながらしばらく過ごす。確かに寒いには寒い。しかし、とても気持ち良い。そして「やっぱり身の周りで起こる全ての事実を受け入れよう」と思う。どうも人間は「自分を正当化する」癖がある。いや、というより誰しも「自分が正しいんだ」といつも思っている。我ながらついつい落とし穴にはまってしまう。
世間では去年、本当にたくさんの「嘘」がばれた。今年も引き続き問題は山積みである。「時津風部屋の弟子傷害致死事件」、中国での農薬混入が確実になったという「冷凍ギョーザ事件」、結局はどれもこれもが人間の傲慢さや自己中心性にその端を発しているように思う。一方で「赤福」は一昨日から営業を再開し、待ち望んでいた顧客が列を作り、昼過ぎには用意された全てが売り切れたらしい。我々一般大衆も勝手なもので、数ヶ月待たされるとすっかり「問題があった」ことを忘れてしまう。時間と共に人々の記憶は風化する。
今こそ「良心」に還ることが大事である。

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2008年02月07日

春の気配、蠢き

51Lw3oL2yXL._AA240_.jpg立春を過ぎ、今日は新月。よって「願事」を託す日でもある。
外はまだまだ寒い。しかしながら、午前中ミーティングを済まし、午後は個人セッションのため外出する。新宿界隈の雑踏の中を歩いてみても微かに何かが蠢く「春の気配」を感じる。そういえば去年の今頃は世田谷区船橋でRの公開研修を受講していたな、と思い出す。本当に1年とはあっという間である。2007年の前半は「意識のリハビリ」というか何というか、突然の状況の変化で我ながら戸惑いつつも次のステージに乗り出す時期を伺っていたように思う。昨夏以降、様々な出逢いがあり今に至るが、やっぱり身の周りに起こる出来事はすべて必然だったのだなと思い知らされるのだ。突然の急なギア・チェンジであったが正解であった。
人に喜んでいただける経験を幾度もすることで人は誰でも蘇る。そして磨かれる。

春。初春というにはまだ早いか・・・。とはいえ、「春」である。
こういうときは考えなくても良い、集中しなくても良い「軽い」音楽が耳の邪魔にならない。モーツァルトは気楽に聴けるが、ついつい集中してしまいがち。ベートーヴェンは重い。ならば、ハイドン。しかも、つい先日発売されたラトルがベルリン・フィルを振ったピリオド楽器のスタイルを意識したCDを取り出す。

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2008年02月06日

悲劇のロシア

780731e29fa03d6843a64110._AA190_.L.jpg亀山郁夫氏のテレビ講義「知るを楽しむ~この人この世界」~「悲劇のロシア・ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ」第1回放送分を観る。
その中で亀山氏がドストエフスキー文学の特徴として「人間のもつ傲慢さ」を挙げている。例えば最も有名な「罪と罰」。「傲慢さ」の究極の形が「殺人」であるが、この「傲慢さ」は弱者の中にも潜んでいると彼は分析する。「傲慢さ」は人間の心の闇の部分であり、2001年に起こったアメリカでの同時多発テロを例にも挙げ、「テロルのない世界」を既に19世紀中頃に作家は訴えかけていたのだと説く。

どうすれば人間は「傲慢さ」を捨て、「謙虚」になれるのか?
大地を見つめること、そして生命の普遍性に気づける意識を取り戻すべきだと亀山氏は結論づける。大地を見つめることとはすなわち「自然」と直接に対峙することである。「自然」と「人間」が一体であることを認識することが重要なのだ。

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2008年02月05日

バランス

suitnerbra3.gif今日はあらためて「バランス」ということについて考えさせられた。人間は誰しも「壁」を持っているが、最低限の所謂「自己防衛機能」というのはいつでも行使できる状態でないとまずい。つまり、人と人とが「一つ」になる体験というのは生きていく上でとても重要な要素なのだが、一方で「自分」という枠をしっかりともち、自己を内観する術を体得していないと「出会う全てのもの」の影響を丸々受けてしまい、立ち上がれなくなるほどのダメージを被ることが避けられない。
「社会性が欠ける」と見える人はひょっとすると子どもの頃からこの「自己防衛」という機能が低いのかもしれない。逆に言うなら真に「純粋無垢」で傷つきやすいのである。ゆえに人一倍「否定」に反応する。作曲家で言うならブルックナー然り、シベリウス然り。彼らの残した創作物は他の誰も真似のできない天才性を秘めている。やはり「天は二物を与えない」ということか・・・。

人間は誰しも「孤独」と闘っているようなものだ。しかし、ブラームスが言ったように「自由」になるために「孤独」は確かに必要なのかもしれない。「孤独」を否定することはないのだ。

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2008年02月04日

おしゃべりクラシック

B000GLKNEQ.jpgモーツァルトのピアノ・ソナタ第13番変ロ長調K.333。この曲の冒頭を聴くと、かつてNHK-FMで好評を博した渡辺徹の「おしゃべりクラシック」という番組をどうしても思い出す。ピアニストの熊本マリや伊藤恵などを相方に迎え、渡辺徹が独特の饒舌振りを発揮する、当時としてはおしゃべり中心の画期的クラシック音楽番組であった。
レギュラー・コーナーに「よく聴くとどこか似ているぞコーナー」というのがあったのだが、それが実に面白かった。要は「タモリ倶楽部」の空耳アワーのクラシック版のようなもので、クラシック音楽の旋律とポピュラー音楽の似ているメロディーを発見した視聴者が投稿、リクエストするというもの。

今でも忘れないのが、モーツァルトのレクイエムのSanctus(聖なるかな)一節の“Hosanna in excelsis.”が大阪弁で「おおさーかー、いいでっせー」と聴こえるというもの。ちょうど放送時間のとき車を運転しながら聴いていたのだが、思わず大爆笑した。確かに「おおさーかー、いいでっせー」と聴こえるのだ。モツレクの音盤をお持ちの方は、試しに件の部分を聴いてみてください。少なくとも僕の所持するベーム盤バーンスタイン盤ではそのように確かに聴こえます。これを発見した人はある意味天才です。誰がそんな風にこの音楽を聴くのか・・・。ほとんど漫才のような発想。

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2008年02月03日

雪、愛、マーラー

00028947162421_170.jpgマーラーの音楽には「聖なるもの」と「俗なるもの」が同居する。静謐な安寧の旋律が流れるかと思いきや突然音楽は豹変し爆発する。それは人間の持つ「翳」の部分と「光」の部分の錯綜であり、陰陽をもって全体を為す「宇宙」の法則の体言であるように僕には感じられる。「彼岸」ではなくまさに人間的な「此岸」の音楽をグスタフ・マーラーは創出した。

久しぶりの雪模様の中、新宿区内の集会室にて「愛」についてのセミナーの2回目を開催する。昨日とは全く違う反応であり、全く異なるエネルギーを感じさせてくれる。人と人が交わることで、人のもつ「天使」の性質と「悪魔」の性質が市松模様の如く入り乱れる。あえて「正誤」の判断はしない。なぜならそれをもって人間であり、宇宙であるから。「愛」とは与えることであり、もらうことではない。あるがままの全てを、あるがままの本質を素のまま受け入れることができるかどうかが問題なのである。

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2008年02月02日

ギョーザ、愛、そして静寂・・・

61XEP0N8E4L._AA240_.jpg通称「愛のセミナー」第1回が無事終了した。一日でどこまで「気づき」を落としこめるか心配もあったのだが、結果は上々。少なくとも受講していただく方の状態や状況に依るところが大きいのだけれど・・・。自分自身が存在していることの意味や価値に気づくこと、そして両親や祖父母、あるいは周りにいる友人たちへの感謝することの重要性。身近なそういうところから一歩一歩着実に是正していけばすべては良くなると思う。

今日も新聞を覗き込むと、中国製冷凍ギョーザの薬物中毒問題。いかに世間を騒がせているかということなのだが、裏返せば「手軽で安い」食としての中国産の食品に日本人がどれだけ依存しているかという問題にもつながっている。今や天ぷらや枝豆、蕎麦、漬物など「和」の食材でも中国産頼みというのが現実のようだ。
しかし、純粋に僕は感じるのだが、ギョーザの皮はともかくとして中身の具ぐらい自分で作ったらどうなんだろうか。そんなものを作る暇もないほど今時の兼業主婦は忙しいのかもしれないが、身の安全や健康を考えると最低限の「食」は自分自身の手で調理した方がいいと思う。加工品ほど調理過程が見えない恐ろしいものはないのだから。

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2008年02月01日

人は人を必要としている

41NJ0TDGAYL._AA240_.jpg池袋で久しぶりにKと食事をした。昨日突然ほぼ1年ぶりに電話がかかってきて相談があるのだという。1時間半ほど昼飯を食べながらいろいろと聞いた。

人は誰でも「不安」や「恐怖」から逃れたいばかりにその対象と徹底的に闘おうとしてしまう。あるいは逃げるという場合もあるだろう。しかしながら、それだと抜本的な解決には到底ならない。問題を直視し、どっぷり浸ること。そして、「目に見えないこと」も含め根本原因を徹底的に究明しなければならない。
「原因」は得てして「自分自身」が作っているものである。つまり「自分自身」の中にあるといって良い。自分に聞けば自ずと「答え」が出るのだ。人は人から言われたことはなかなか身に染みない。しかし、自分で気づいてしまったことには意識を置かざるをえない。

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