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2008年05月 アーカイブ
2008年05月31日

堕天使

mozart_streichquintett_smetana.jpg明日は第16回「早わかりクラシック音楽講座」の日。毎月1回のペースで開催し、すでに1年4ヶ月が経過する。お陰さまで毎々たくさんの方にご参加いただき、少しずつではあるが「クラシック音楽」の楽しみを理解していただける若者が増え、古典音楽愛好人口の裾野が広がっているようで嬉しい。今回はリクエストにお応えして、モーツァルト最後の交響曲、「ジュピター」をとりあげる。この大作は本当に聴けば聴くほど「深み」を味わえ、開放的でかつ凝縮された厳しさを体感できることが奇跡的だ。
ところで、「ジュピター」とは神話の世界で主神を表すが、堕天使ルシファーの別名だという説もある。聞くところによると今から3年ほど前(3次元レベルで)そのルシファーが創造主と和解し、光の世界に戻り「ルシフェル」になったという。「闇」の世界が崩壊し、「光」ある世界に移行していくということなのだろうか。いずれにせよ、「闇」があっての「光」。「光」は「光」だけでは存在し得ない。

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2008年05月30日

mozart_grossemesse_fricsay.jpg朝日新聞夕刊の「ニッポン人脈記」。今日から「日中子々孫々」というタイトルで日本と中国の架け橋を演出してきたエピソードが何日かにわたって語られるようだ。
今日の記事の中に次のようなことが書いてあった。歌手の谷村新司が上海音楽学院の教授に招かれ、その授業で水を半分入れたコップをもとに「詩」を書くよう呼びかけた時の話。クラシックをベースに幼い頃から一貫して英才教育を受けてきた秀才たちに自分で詩を書くという授業など受けたことがなかったらしい。しかし、30分ほどで中に素晴らしい発想、そして表現力のものがあったことが途轍もない驚きだったという。

『コップが倒れ、水がこぼれ出た。そのとき、水は初めて自由を知った。そして自分には形がないことも知った-』

まさに。「水」は「魂」と同じなんだ。

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ピンクさつまいものLive

pinksatsumaimo_tsunagari.jpg昨晩、高田馬場の四谷天窓comfortにて「ピンクさつまいも」のLive。彼女たちとの出逢いはかれこれ3年か4年ほど前。前職でセミナーをやっていた時で、二人はまだうら若き(笑)大学生だった。僕からみて親子ほども年齢が違う彼女たち。それぞれ別の機会にセミナーを受講したのだが、縁あり、そしてタイミングよし、ということで1年前(?)から本格的に活動をスタートしたらしい。
僕が彼女たちの生の歌声を初めて聴いたのが去年の秋。これまでLiveは4回ほど聴いたことになる。毎々進歩があり、出来は上々。音楽も良いです。ただし、欲を言えばもう少し歌詞が何とかならんかな・・・。何だかわかりにくいというか野暮ったいというか・・・(笑)。あくまで僕の感覚ですが・・・。

携帯で写真撮ったがいまいち。

pinksatsumaimo.jpgところで、初CDをリリースしたということで早速購入。
3曲入り¥500と大変リーズナブル(笑)。いま聴きながらこれを書いている。良いと思います(お世辞じゃないよ)。
それにジャケット写真がとてもかわいい。まだ肌寒い頃、春先の雰囲気を演出しながら皇居で撮ったらしいが、良い写真だと思う。しかもCDのアート・ワークも二人でやったというんだからなかなかのセンス。この先が楽しみね。

2008年05月29日

五月雨

eiichi_ohtaki.jpg「五月雨を集めて早し最上川」。
いわずと知れた松尾芭蕉「奥の細道」の中で最も有名かつ人気のある句である。今日の雨はまさしくそういう情感を含むもので、夜更けにすっかりあがった後はとても新鮮で空気がきれいになったようである。昨日は夏日のような暑さ、そして今日は10℃も違うのではないかと思わせるほどの気温で、朝から長袖に着替え、しかも夜はジャケットまで着込んで「ピンクさつまいも」のLiveに出掛けた。いつものように高田馬場の四谷天窓Comfortでのスリーマン・ライブ。聴くたびに成長著しく、今日の演奏も良かった。特に新曲の「花、舞う日に」は出色の出来。S&Gのように二人の声が絡む時の柔らかいハーモニーが素敵である。

大瀧詠一のデビュー・アルバムは日本ポピュラー音楽史上屈指の名盤だと思うが、その中に「五月雨」という楽曲がある。

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2008年05月28日

哀愁のエルガー

elgar_dupre.jpgここのところGCDFの継続学習のための講座が続く。キャリア・カウンセリングの第一人者である筑波大学の渡辺三枝子先生による講義だったので期待していったのだが、それなりの内容。さすがに2時間ほどの講演会スタイルで、費用も¥3,000だったゆえ200名ほどの会場が満席になり、熱気ムンムンだったが、会の最中はちらほらといびきも聞こえてきたぐらいだから中身は推して知るべし。
講座タイトルは「大学と企業をつなぐキャリアコンサルタントの役割、そして目指すもの」。ともかく20数年前に受けた大学の一般教養の授業を思い出した。先生のほぼ一方通行のお話と最後の15分ほどで質疑応答という常套スタイル。資格更新のために継続学習が課されているから仕方なく参加している人たちも多いと思うし、主催したNPOキャリアカウンセリング協会も何だか事務的にこなしているような様子でどうもこの資格自体がある意味形骸化しているのではないかという疑問まで出てくる。確かにキャリアコンサルタント(カウンセラー)という仕事自体あってないようなものだし、こういう資格もどちらかというと臨床経験がものをいう世界だと思うので、こんなものなのかなぁと思いつつも、2時間ほど無駄にしたという感覚もついてまわるから空しい気分になってしまった。

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2008年05月27日

人と自然の調和~ジュピター

mozart_jochum_jupiter_81.jpg6月1日は第16回「早わかりクラシック音楽講座」。リクエストにお応えしてモーツァルトの最後の交響曲「ジュピター」をとりあげる。そろそろ準備を始めねばと午前中からそのモードに入る。あくまで僕自身の観点及び感覚で講座を進めていく都合上、様々な文献と睨めっこしつつも最後は作曲家自身の気持ちになり、その当時の社会に生きている感覚を掴みながら、彼はどういう気持ちだったのだろう、なぜそういう行動をとったのだろうなどなど考えながら思案し、コンテンツを創り上げていく。講座の裏側を見せるようで気が引けるのだが、たとえ天才アマデウスといえども元は人間。今自分が生きているように生活をし、感じ、考えていたわけだからその人になりきることが一番早い。
モーツァルトは親の束縛、そして当時の社会的環境の束縛などを受け、自分自身の能力を最大限に発揮できずに(語弊のある言い方か)青年期を過ごした。その根源となった故郷ザルツブルクを離れ、そして父親の死に伴い初めて「自由」を手にする。父の死が1787年で、いわゆる晩年の深遠な世界に行き着くのがまさにそれ以降のこと(モーツァルトの創造力と一般大衆の耳の乖離が同時に始まり、この天才は生活苦に陥っていくわけだが)。
いわゆる三大交響曲が生まれたのが1788年。先日のリサイタルで愛知とし子が奏でたK.545のソナタも同じ年。名曲「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」もそうだ。そういう苦しい状況の中で創られた楽曲ほど恐ろしいまでの奥行きと高尚さをもつ。中でも最後の交響曲「ジュピター」のバランス、宇宙と人間との完璧なバランスと言い切っても過言ではない名曲は何度聴いても色褪せることがない普遍性を持つ。

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2008年05月26日

宇宿允人のバーバー

furtwangler_tchaikovsky_4.jpg恒例の「宇宿允人の世界」詣。去年の4月に初めて行って以来5回目になる。この指揮者は偏屈で有名で(笑)、出来不出来の激しいことでも定評がある。昨年12月の「展覧会の絵」など、2日間連続で通ったが初日と2日目の演奏には雲泥の差があった。指揮者の要求に応えねばならない奏者も大変な集中力、精神力を要するだろうし、人間だからダメな日があっても仕方ないと思うが、本当に時に大変な名演奏をするから1回たりとも見逃せない。今日のプログラムはチャイコフスキーの「くるみ割り人形」と交響曲第4番ヘ短調作品36。浪漫的でわかりやすい音楽を書くチャイコフスキーは、クラシック音楽を知れば知るほど軽視しがちになる作曲家だが、今日の「くるみ割り」を聴きながら感じたことは、本当に目も覚めるような描写的で粋な音楽を生み出す天才だなぁ、ということ。この音楽に関してはクラシック通でなくてもおそらく1度や2度は人生の中で聴いたことがあるだろう。フロイデ・フィルはもともと金管が弱いが、この「くるみ割り」にしても「第4交響曲」にしても随分健闘していたように思う。とはいえ、第4はほとんど金管がポイントになるだけあってこの日のために相当強化したと思うが、やっぱり問題は多かった(残念ながら)。
毎々、宇宿さんはアンコール前にコメントをするのだが、今日の言葉は一段と心に響いた。要約すると「とにかく難しい、と。オーケストラの練習一つとっても何日もかかる。そして1日練習するだけで100万円もの出費が嵩む。自分は歳をとって最近は健康でいることも大変だが、身体だけでなく心も風邪をひく。とにかくテクニックばかりを重視するのではなく精神(心)を鍛えよ、教えよと。そして、なかなかクラシック音楽人口が広がらないことへの嘆き。2000人のホールで1600人ほどしか埋まらないのだ(N響にいた10年間で当時の首相は一度も来なかったらしい)。そして極めつけは四川大地震とミャンマーのサイクロンに触れ、天災というより人災だ、と(建築物の手抜き工事など)」。
最後は「世界中の全ての幸せを願って」という言葉と共にアンコールが演奏されたのだが・・・。僕はてっきりJ.S.バッハのアリアを演るのだと直感的に思った。がしかし、やられた!サミュエル・バーバーの弦楽のためのアダージョ。最初の音が奏された瞬間思わず涙が出てきた。日頃バーンスタインの音盤を愛聴しているが、今日ばかりは本当に参った。かのバーンスタインの演奏を超える大演奏であった。このアンコールを聴くだけでも今日は行った甲斐がある。素晴らしかった。

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2008年05月25日

祭り(真釣り)

chopin_scherzo_pogorelich.jpg今日は近所の花園神社の神幸祭。午前中、リサイタルのためのピアノ調律で一旦杉並公会堂に向かい、帰りに神輿に遭遇した。新宿通りの一角が何やら騒々しく、何人もの輩たちが本気で喧嘩をしていたので、これも日頃の鬱憤を晴らすための「お祭り」なんだろうなと思い、通り過ごした。帰宅後愛知の弾く今晩の曲目のラスト稽古を聴きながら今晩の成功を祈りつつ瞑想。とにかく今日は「静かに(いつもの音楽なし)」午後が滞りなく過ぎ去る。
予め余裕を持って車で自宅を出たものの、例の「神幸祭」による道路規制が邪魔をして、自動車が動かない。普段なら歩いて15分ほどの距離がやけに遠い。これはまずいと、新宿三丁目で丸の内線に乗り換え、ぎりぎり定刻に間に合った。やっぱり大事な時は電車で移動するべきだな。

ところで、「祭り」の語源は「真釣り」だということをつい先日ある本を読んで知った。日本語はとてもうまくできていて、同じ音の言葉は近い意味を含んでおり(気、木、など)、まさに「言霊」というものを実感する。「真釣り」とは地球、自然と人間のバランスを明確にとることを表している。「真ん中で釣合う」ように祈りを施すことが「お祭り」なのである。納得である。
人間の身体もそうだが、西洋的な対処療法では病を完治させることは難しい。根本的な原因を明確にすることが重要だ。僕は全ては「不均衡」による問題なのだと思う。バランスが崩れているだけなのだと。心身の均衡をしっかり保てば解決する病気や問題は多いはずだ。

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2008年05月24日

弦楽三重奏という佳曲

beethoven_stringtrio.jpg午前、渋谷のP社でO社長と1時間ほどミーティング。中間管理層や経営層に対しての研修について話題が及び、彼の考え方を一通り聞いた後、日頃僕が考えていることを話した。今の時代、スキルアップのための研修も重要だが、やはり土台となる「人間性」、「人間力」-究極的には「愛」という概念に近づくのだが-のブラッシュアップが重要だと思うという話をした。しかし、一方でO社長の言う「個人ではなく組織を対象にした場合、経営者は目に見えにくい精神論ではなく明らかに見える『売上を伸ばす』ための具体策の提示を求める」ということもよくわかる。そしてまた、売上が順調に推移し、右肩上がりで成長している会社の経営者は、共通してある意味非常にドライで、語弊のある言い方だが、社員を「一つの駒」と考えており、ビジネスとしての割りきりがあるというのだ(まぁ、結局はきっちりとコミュニケーションがとれているのだろうが)。そういう会社の社員は定着する。おそらくそういう経営者は「愛」がないのではなく、極めてバランスが取れているのだと思う。現実的な仕事に対する「シビアさ」(それも愛である)と、日常での温かい気持ちをもっての人間対人間の交流が時と場合に応じて使い分けできるのである。人間としての「心」あるコミュニケーションを心がける一方で、ビジネスはビジネスとして一線を引きつつ対峙する。トップが信頼に値する行動をしていれば人はついてくるものなのだ。単純な理屈だ。

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2008年05月23日

美しい山

schoenberg_karajan.jpgGCDF(キャリア・カウンセラー)の資格は3年に1度更新で、その間45時間の継続学習義務が課される。単純計算で1年につき15時間の勉強をすれば問題ないのだが、いろいろなセミナーや学習会が催されており、何万円もかかるものから無料というものまである。ぼーっとしていると3年などはあっという間に過ぎていくものだから、少しずつ学んでいこうと先月から折を見て、面白そうでリーズナブルな会合があれば出掛けることにしている。今日は東京駅近くの三菱ビルにて「GCDFホルダーは今後何を学習する必要があるか?」セミナーに参加した。内容は、前メリーランド大学シニア・サイコロジストで米国GCDFトレーナーである大谷彰先生の主にヘルピング(カウンセリング)についての講演と質疑応答。気軽な気持ちで参加したのだが、ここのところ個別カウンセリングも場合によってはやっているので意外に勉強になった。
カウンセリング・スキルの習得は難しい。結論を言ってしまうと「とにかく訓練するしかない!」なのだという。まぁ、当然か。先生がおっしゃっていた話の中で特に気に入ったのは、『「カウンセリング」という外国語』を学ぶ姿勢がとても大事だということ。なるほど、「カウンセリングは外国語」だったのか・・・。そしてクライアントへのフィードバックのための語彙を豊富に持て、と。それには良い小説を読み、できれば気に入った言い回しや言葉を書き留めろという。小説といってもピンからキリまであるのでできるだけ古典の良書を、例えば先生は志賀直哉や太宰治が好きなようだ(いわゆる私小説。ぼくはどちらかというと否定派)。さらには心理描写の優れた映画(僕は観てないが「普通の人々」が勉強になるらしい)や昼のドラマなどを見て、自分ならこの場合何て答えるかを考えるなどするといい、と教えていただいた。
-「孤独感」いっぱいのクライアントを「孤独から解放する」ために適度な「自己開示」をすることも大切なポイントだという話も心に残るものだったが。

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アレグロ・コン・ブリオ~「愛」+「勇気」=「ワンネス」:2008年05月アーカイブ
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堕天使

mozart_streichquintett_smetana.jpg明日は第16回「早わかりクラシック音楽講座」の日。毎月1回のペースで開催し、すでに1年4ヶ月が経過する。お陰さまで毎々たくさんの方にご参加いただき、少しずつではあるが「クラシック音楽」の楽しみを理解していただける若者が増え、古典音楽愛好人口の裾野が広がっているようで嬉しい。今回はリクエストにお応えして、モーツァルト最後の交響曲、「ジュピター」をとりあげる。この大作は本当に聴けば聴くほど「深み」を味わえ、開放的でかつ凝縮された厳しさを体感できることが奇跡的だ。
ところで、「ジュピター」とは神話の世界で主神を表すが、堕天使ルシファーの別名だという説もある。聞くところによると今から3年ほど前(3次元レベルで)そのルシファーが創造主と和解し、光の世界に戻り「ルシフェル」になったという。「闇」の世界が崩壊し、「光」ある世界に移行していくということなのだろうか。いずれにせよ、「闇」があっての「光」。「光」は「光」だけでは存在し得ない。

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mozart_grossemesse_fricsay.jpg朝日新聞夕刊の「ニッポン人脈記」。今日から「日中子々孫々」というタイトルで日本と中国の架け橋を演出してきたエピソードが何日かにわたって語られるようだ。
今日の記事の中に次のようなことが書いてあった。歌手の谷村新司が上海音楽学院の教授に招かれ、その授業で水を半分入れたコップをもとに「詩」を書くよう呼びかけた時の話。クラシックをベースに幼い頃から一貫して英才教育を受けてきた秀才たちに自分で詩を書くという授業など受けたことがなかったらしい。しかし、30分ほどで中に素晴らしい発想、そして表現力のものがあったことが途轍もない驚きだったという。

『コップが倒れ、水がこぼれ出た。そのとき、水は初めて自由を知った。そして自分には形がないことも知った-』

まさに。「水」は「魂」と同じなんだ。

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ピンクさつまいものLive

pinksatsumaimo_tsunagari.jpg昨晩、高田馬場の四谷天窓comfortにて「ピンクさつまいも」のLive。彼女たちとの出逢いはかれこれ3年か4年ほど前。前職でセミナーをやっていた時で、二人はまだうら若き(笑)大学生だった。僕からみて親子ほども年齢が違う彼女たち。それぞれ別の機会にセミナーを受講したのだが、縁あり、そしてタイミングよし、ということで1年前(?)から本格的に活動をスタートしたらしい。
僕が彼女たちの生の歌声を初めて聴いたのが去年の秋。これまでLiveは4回ほど聴いたことになる。毎々進歩があり、出来は上々。音楽も良いです。ただし、欲を言えばもう少し歌詞が何とかならんかな・・・。何だかわかりにくいというか野暮ったいというか・・・(笑)。あくまで僕の感覚ですが・・・。

携帯で写真撮ったがいまいち。

pinksatsumaimo.jpgところで、初CDをリリースしたということで早速購入。
3曲入り¥500と大変リーズナブル(笑)。いま聴きながらこれを書いている。良いと思います(お世辞じゃないよ)。
それにジャケット写真がとてもかわいい。まだ肌寒い頃、春先の雰囲気を演出しながら皇居で撮ったらしいが、良い写真だと思う。しかもCDのアート・ワークも二人でやったというんだからなかなかのセンス。この先が楽しみね。

2008年05月29日

五月雨

eiichi_ohtaki.jpg「五月雨を集めて早し最上川」。
いわずと知れた松尾芭蕉「奥の細道」の中で最も有名かつ人気のある句である。今日の雨はまさしくそういう情感を含むもので、夜更けにすっかりあがった後はとても新鮮で空気がきれいになったようである。昨日は夏日のような暑さ、そして今日は10℃も違うのではないかと思わせるほどの気温で、朝から長袖に着替え、しかも夜はジャケットまで着込んで「ピンクさつまいも」のLiveに出掛けた。いつものように高田馬場の四谷天窓Comfortでのスリーマン・ライブ。聴くたびに成長著しく、今日の演奏も良かった。特に新曲の「花、舞う日に」は出色の出来。S&Gのように二人の声が絡む時の柔らかいハーモニーが素敵である。

大瀧詠一のデビュー・アルバムは日本ポピュラー音楽史上屈指の名盤だと思うが、その中に「五月雨」という楽曲がある。

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2008年05月28日

哀愁のエルガー

elgar_dupre.jpgここのところGCDFの継続学習のための講座が続く。キャリア・カウンセリングの第一人者である筑波大学の渡辺三枝子先生による講義だったので期待していったのだが、それなりの内容。さすがに2時間ほどの講演会スタイルで、費用も¥3,000だったゆえ200名ほどの会場が満席になり、熱気ムンムンだったが、会の最中はちらほらといびきも聞こえてきたぐらいだから中身は推して知るべし。
講座タイトルは「大学と企業をつなぐキャリアコンサルタントの役割、そして目指すもの」。ともかく20数年前に受けた大学の一般教養の授業を思い出した。先生のほぼ一方通行のお話と最後の15分ほどで質疑応答という常套スタイル。資格更新のために継続学習が課されているから仕方なく参加している人たちも多いと思うし、主催したNPOキャリアカウンセリング協会も何だか事務的にこなしているような様子でどうもこの資格自体がある意味形骸化しているのではないかという疑問まで出てくる。確かにキャリアコンサルタント(カウンセラー)という仕事自体あってないようなものだし、こういう資格もどちらかというと臨床経験がものをいう世界だと思うので、こんなものなのかなぁと思いつつも、2時間ほど無駄にしたという感覚もついてまわるから空しい気分になってしまった。

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2008年05月27日

人と自然の調和~ジュピター

mozart_jochum_jupiter_81.jpg6月1日は第16回「早わかりクラシック音楽講座」。リクエストにお応えしてモーツァルトの最後の交響曲「ジュピター」をとりあげる。そろそろ準備を始めねばと午前中からそのモードに入る。あくまで僕自身の観点及び感覚で講座を進めていく都合上、様々な文献と睨めっこしつつも最後は作曲家自身の気持ちになり、その当時の社会に生きている感覚を掴みながら、彼はどういう気持ちだったのだろう、なぜそういう行動をとったのだろうなどなど考えながら思案し、コンテンツを創り上げていく。講座の裏側を見せるようで気が引けるのだが、たとえ天才アマデウスといえども元は人間。今自分が生きているように生活をし、感じ、考えていたわけだからその人になりきることが一番早い。
モーツァルトは親の束縛、そして当時の社会的環境の束縛などを受け、自分自身の能力を最大限に発揮できずに(語弊のある言い方か)青年期を過ごした。その根源となった故郷ザルツブルクを離れ、そして父親の死に伴い初めて「自由」を手にする。父の死が1787年で、いわゆる晩年の深遠な世界に行き着くのがまさにそれ以降のこと(モーツァルトの創造力と一般大衆の耳の乖離が同時に始まり、この天才は生活苦に陥っていくわけだが)。
いわゆる三大交響曲が生まれたのが1788年。先日のリサイタルで愛知とし子が奏でたK.545のソナタも同じ年。名曲「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」もそうだ。そういう苦しい状況の中で創られた楽曲ほど恐ろしいまでの奥行きと高尚さをもつ。中でも最後の交響曲「ジュピター」のバランス、宇宙と人間との完璧なバランスと言い切っても過言ではない名曲は何度聴いても色褪せることがない普遍性を持つ。

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2008年05月26日

宇宿允人のバーバー

furtwangler_tchaikovsky_4.jpg恒例の「宇宿允人の世界」詣。去年の4月に初めて行って以来5回目になる。この指揮者は偏屈で有名で(笑)、出来不出来の激しいことでも定評がある。昨年12月の「展覧会の絵」など、2日間連続で通ったが初日と2日目の演奏には雲泥の差があった。指揮者の要求に応えねばならない奏者も大変な集中力、精神力を要するだろうし、人間だからダメな日があっても仕方ないと思うが、本当に時に大変な名演奏をするから1回たりとも見逃せない。今日のプログラムはチャイコフスキーの「くるみ割り人形」と交響曲第4番ヘ短調作品36。浪漫的でわかりやすい音楽を書くチャイコフスキーは、クラシック音楽を知れば知るほど軽視しがちになる作曲家だが、今日の「くるみ割り」を聴きながら感じたことは、本当に目も覚めるような描写的で粋な音楽を生み出す天才だなぁ、ということ。この音楽に関してはクラシック通でなくてもおそらく1度や2度は人生の中で聴いたことがあるだろう。フロイデ・フィルはもともと金管が弱いが、この「くるみ割り」にしても「第4交響曲」にしても随分健闘していたように思う。とはいえ、第4はほとんど金管がポイントになるだけあってこの日のために相当強化したと思うが、やっぱり問題は多かった(残念ながら)。
毎々、宇宿さんはアンコール前にコメントをするのだが、今日の言葉は一段と心に響いた。要約すると「とにかく難しい、と。オーケストラの練習一つとっても何日もかかる。そして1日練習するだけで100万円もの出費が嵩む。自分は歳をとって最近は健康でいることも大変だが、身体だけでなく心も風邪をひく。とにかくテクニックばかりを重視するのではなく精神(心)を鍛えよ、教えよと。そして、なかなかクラシック音楽人口が広がらないことへの嘆き。2000人のホールで1600人ほどしか埋まらないのだ(N響にいた10年間で当時の首相は一度も来なかったらしい)。そして極めつけは四川大地震とミャンマーのサイクロンに触れ、天災というより人災だ、と(建築物の手抜き工事など)」。
最後は「世界中の全ての幸せを願って」という言葉と共にアンコールが演奏されたのだが・・・。僕はてっきりJ.S.バッハのアリアを演るのだと直感的に思った。がしかし、やられた!サミュエル・バーバーの弦楽のためのアダージョ。最初の音が奏された瞬間思わず涙が出てきた。日頃バーンスタインの音盤を愛聴しているが、今日ばかりは本当に参った。かのバーンスタインの演奏を超える大演奏であった。このアンコールを聴くだけでも今日は行った甲斐がある。素晴らしかった。

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2008年05月25日

祭り(真釣り)

chopin_scherzo_pogorelich.jpg今日は近所の花園神社の神幸祭。午前中、リサイタルのためのピアノ調律で一旦杉並公会堂に向かい、帰りに神輿に遭遇した。新宿通りの一角が何やら騒々しく、何人もの輩たちが本気で喧嘩をしていたので、これも日頃の鬱憤を晴らすための「お祭り」なんだろうなと思い、通り過ごした。帰宅後愛知の弾く今晩の曲目のラスト稽古を聴きながら今晩の成功を祈りつつ瞑想。とにかく今日は「静かに(いつもの音楽なし)」午後が滞りなく過ぎ去る。
予め余裕を持って車で自宅を出たものの、例の「神幸祭」による道路規制が邪魔をして、自動車が動かない。普段なら歩いて15分ほどの距離がやけに遠い。これはまずいと、新宿三丁目で丸の内線に乗り換え、ぎりぎり定刻に間に合った。やっぱり大事な時は電車で移動するべきだな。

ところで、「祭り」の語源は「真釣り」だということをつい先日ある本を読んで知った。日本語はとてもうまくできていて、同じ音の言葉は近い意味を含んでおり(気、木、など)、まさに「言霊」というものを実感する。「真釣り」とは地球、自然と人間のバランスを明確にとることを表している。「真ん中で釣合う」ように祈りを施すことが「お祭り」なのである。納得である。
人間の身体もそうだが、西洋的な対処療法では病を完治させることは難しい。根本的な原因を明確にすることが重要だ。僕は全ては「不均衡」による問題なのだと思う。バランスが崩れているだけなのだと。心身の均衡をしっかり保てば解決する病気や問題は多いはずだ。

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2008年05月24日

弦楽三重奏という佳曲

beethoven_stringtrio.jpg午前、渋谷のP社でO社長と1時間ほどミーティング。中間管理層や経営層に対しての研修について話題が及び、彼の考え方を一通り聞いた後、日頃僕が考えていることを話した。今の時代、スキルアップのための研修も重要だが、やはり土台となる「人間性」、「人間力」-究極的には「愛」という概念に近づくのだが-のブラッシュアップが重要だと思うという話をした。しかし、一方でO社長の言う「個人ではなく組織を対象にした場合、経営者は目に見えにくい精神論ではなく明らかに見える『売上を伸ばす』ための具体策の提示を求める」ということもよくわかる。そしてまた、売上が順調に推移し、右肩上がりで成長している会社の経営者は、共通してある意味非常にドライで、語弊のある言い方だが、社員を「一つの駒」と考えており、ビジネスとしての割りきりがあるというのだ(まぁ、結局はきっちりとコミュニケーションがとれているのだろうが)。そういう会社の社員は定着する。おそらくそういう経営者は「愛」がないのではなく、極めてバランスが取れているのだと思う。現実的な仕事に対する「シビアさ」(それも愛である)と、日常での温かい気持ちをもっての人間対人間の交流が時と場合に応じて使い分けできるのである。人間としての「心」あるコミュニケーションを心がける一方で、ビジネスはビジネスとして一線を引きつつ対峙する。トップが信頼に値する行動をしていれば人はついてくるものなのだ。単純な理屈だ。

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2008年05月23日

美しい山

schoenberg_karajan.jpgGCDF(キャリア・カウンセラー)の資格は3年に1度更新で、その間45時間の継続学習義務が課される。単純計算で1年につき15時間の勉強をすれば問題ないのだが、いろいろなセミナーや学習会が催されており、何万円もかかるものから無料というものまである。ぼーっとしていると3年などはあっという間に過ぎていくものだから、少しずつ学んでいこうと先月から折を見て、面白そうでリーズナブルな会合があれば出掛けることにしている。今日は東京駅近くの三菱ビルにて「GCDFホルダーは今後何を学習する必要があるか?」セミナーに参加した。内容は、前メリーランド大学シニア・サイコロジストで米国GCDFトレーナーである大谷彰先生の主にヘルピング(カウンセリング)についての講演と質疑応答。気軽な気持ちで参加したのだが、ここのところ個別カウンセリングも場合によってはやっているので意外に勉強になった。
カウンセリング・スキルの習得は難しい。結論を言ってしまうと「とにかく訓練するしかない!」なのだという。まぁ、当然か。先生がおっしゃっていた話の中で特に気に入ったのは、『「カウンセリング」という外国語』を学ぶ姿勢がとても大事だということ。なるほど、「カウンセリングは外国語」だったのか・・・。そしてクライアントへのフィードバックのための語彙を豊富に持て、と。それには良い小説を読み、できれば気に入った言い回しや言葉を書き留めろという。小説といってもピンからキリまであるのでできるだけ古典の良書を、例えば先生は志賀直哉や太宰治が好きなようだ(いわゆる私小説。ぼくはどちらかというと否定派)。さらには心理描写の優れた映画(僕は観てないが「普通の人々」が勉強になるらしい)や昼のドラマなどを見て、自分ならこの場合何て答えるかを考えるなどするといい、と教えていただいた。
-「孤独感」いっぱいのクライアントを「孤独から解放する」ために適度な「自己開示」をすることも大切なポイントだという話も心に残るものだったが。

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2008年05月22日

夏の思い出

janacek_firkusny.jpeg夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空
(江間章子作詞・中田喜直作曲)

ヤナーチェクの「草陰の小径」を聴くと、この名曲がどういうわけか頭に浮かぶ。高校2年生の秋、修学旅行で訪れた尾瀬はすっかり秋色に染まり、歌詞中の霧や水芭蕉とはほど遠い景色だったが、何か郷愁に満ちた雰囲気を漂わせており、山里育ちの16歳の僕からみてもとても清澄な空気で新鮮な印象を受ける場所だった。当時、関西圏の高校の修学旅行といえば東京というのが定番で、1年上の先輩までは行き先が東京方面であったと記憶する。今となっては尾瀬や小諸などの信州方面で良かったと思うのだが、高校生の頃は大都会でない不満も多少だがあった。とはいえ、修学旅行の楽しみは、合宿さながら友達同士で同じ釜の飯を食べ、何日もともに旅をするということであり、結果的には十分刺激的で楽しい想いをした。あれからもう28年の歳月を経ようとしているが、それ以来尾瀬に行ったことはない。また行きたいとふと思った・・・。

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2008年05月21日

ジュネーブ、89年

lalo_chungkw.jpg今日は一日天気も良く、爽快な気分。昨日の「寺子屋」を誘ってくれたH子と新宿で1時間半ほど話をした。彼女はかつて前職の際お世話した元受講生だが、やっぱりあぁいう経験を若いうちにすると、広い意味での「人間教育」に興味をもつようで、2年前にOLを辞め、それ以降は自分自身の天職を模索しているような状況だという。しかし、特にやりたい何かが決まっているわけでなく、要は地に足がついていない状態だと話してみてわかったので、まずは現実的に安定することを薦め、その上で「軸」をしっかりさせて物事に向かうようアドバイスした。僕自身も1年半前に経験したことだから、気持ちはよくわかるのだが、どうしても何かにすがろうとしてしまうのが人間の「弱さ」であり、「性」なのである。僕は彼女は地に足さえつければ大丈夫だと直感的に思った。というより、人間誰でも軸をぶらすことなく「生きる目的」をもつことが一番大切だと思う。

いつだったか(思い起こせば1989年だから、もう20年近く前になる)、夏休みに2週間強の有給をとり、ヨーロッパ旅行をしたことがある。よくよく考えてみるとサラリーマン2年目の時だったから、今から考えると暴挙というか身の程知らずというか、我ながらよくやったものだと感心する。その時はイギリス、スイス、フランス、オーストリアなどを回ったと記憶するが、当然のことながらコンサート巡りもたくさんした。
スイスのジュネーブでは、Festival ete Espagnol 89というイベントが行われており、僕はビクトリア・ホールでのコンサートに出かけた。
プログラムは、エドゥアール・ラロのスペイン交響曲、ミハイル・グリンカのスペイン序曲第2番「マドリードの夏の思い出」、スペイン序曲第1番「ホタ・アラゴネーサ」、そしてモーリス・ラヴェルのスペイン狂詩曲というもの。アルミン・ジョルダン指揮スイス・ロマンド管弦楽団&ジャン=ジャック・カントロフのヴァイオリンであった。夏の暑い日にはぴったりのスペイン音楽。特に、カントロフの弾くラロは印象的で今でもその時ホールの空気や温度まで思い出せるほどである。

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2008年05月20日

満月に憑かれた・・・

schoenberg_pierrot.jpgなるほど台風の影響というのは大きいものだとあらためて実感した。今朝から強風と強烈な雨で外がやけにガタガタとうるさい。上陸しているわけでもないのに、である。またしても電車が止まったりして相変わらず東京は自然の力の前に「脆さ」を露呈するのだが、昼ごろにはすっかり雨もあがり、雲間から陽光が差し、淀みない平穏な「気」が訪れる。
少しばかり仕事をこなしながら音楽を聴こうと棚を漁る。
Roxy Musicの音楽、Bryan FerryのVelvet Voiceは過ぎ去った嵐の後の静寂の空間にとてもよく似合う。1980年発表の「Fresh + Blood」を小さめの音量で流す・・・。Bryan Ferry、Phil Manzanera、Andy Mackayの3人編成となったRoxyの紡ぎ出す都会的なセンス満点の楽曲群は、以前取り上げた「Avalon」とともに30年近くを経た今でも色褪せない(初期のRoxyの音楽は多少古びた感をもつのだが)。

「Running Wild(Ferry, Manzanera)」
There’s that melody again
burning through my head it does me in
turns me right around to my old friend
wonder how you’ve changed, are you still

またしてもあのメロディが
僕の頭の中を焦がしながら抜けてゆき
僕に古くからの友を思い出させる
どう君は変わったんだい、あるいは今でも

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2008年05月19日

Here Comes the Flood

peter_gabriel_1.jpg小雨降る中、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴こうと、ムターがプレヴィン&シュターツカペレ・ドレスデンと録った音盤を一通り聴き、次に諏訪内晶子が何年か前にリリースしたCDを聴いてみた。僕はシベリウス特有の寂寥感を伴ったこの音楽がことのほか好きで、他にもオイストラフチョン・キョン=ファなどの音盤を愛聴する。
ひと言で表現すると恰幅の大きいどっしりとしたいかにもドイツ的なムターに対して、繊細で日本人好みの音楽を創出するのが諏訪内というところか。その日の気分や状態によって聴き分けているが、いずれの演奏も僕はとても好き。

ところで、この諏訪内盤にはイギリスの生んだ現代作曲家サー・ウィリアム・ウォルトンのヴァイオリン協奏曲がカップリングされているのだが、この曲が実に良い。1939年、第二次世界大戦中の作品だが、もともとは当代きってのヴィルトゥオーゾ、ヤッシャ・ハイフェッツの委嘱により作曲されたものということだ。楽器演奏が不得意だったというウォルトンらしく作曲する音楽に自信が持てず、筆は遅々として進まなかったという。
まるでプロコフィエフの協奏曲を聴くような錯覚に陥る瞬間もあるのだが、このウォルトンの協奏曲を聴きながらどういうわけかソロまもないピーター・ガブリエルの音楽を思い出した。

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2008年05月18日

若葉の季節にルクーを聴く

lekeu_grumiaux.jpg「愛知とし子ピアノ・リサイタル」まで残り1週間になった。僕は当日受付あたりで接客したり会場内でVTRを回したりするだけなので焦りも何もない(笑)が、本人はそろそろ緊張してきたらしく練習にも余念がない。昼間から延々とピアノの音が響き、「熱情」ソナタやショパンのバラード第1番、幻想即興曲などがみるみるうちにエネルギッシュで愉悦に満ちた音塊と化し、それらしい姿を現し始めている。ちょっと大袈裟な言い方だが、杉並公会堂を埋め尽くした聴衆の皆様を相当感動させてくれるのではないかと今から当日が楽しみだ。

昨日からR.シュトラウスのヴァイオリン・ソナタを何度も聴き返している。本当に良い曲だと思う。エドガー・ケイシー曰く「憂鬱な時や気分が落ち込んだ時には、いつでも音楽を鳴らしなさい。この場合、弦楽器なら何でもよい。これらはあなたが悲観と楽観との間の溝を埋める手助けをしてくれる」。確かに弦楽合奏の音楽を聴くと、心が癒されとても落ち着いた気分になる。サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」グスタフ・マーラーの交響曲第5番~アダージェットなど、本当に涙が出るほど感動的な音楽であり、特にクラシック音楽を聴き始めの入門者の方にはおススメの名曲である。
ショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタやヴィオラ・ソナタを聴き、フランクのヴァイオリン・ソナタを聴き、そして今後ろで鳴っているのはルクーのヴァイオリン・ソナタ。

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2008年05月17日

初夏の匂い~R.シュトラウス

strauss_sonate_chung.jpg5月も半ば。ちょっと前の嘘のような寒さも過ぎ去り、今日は随分暖かい。ふと急に話がしたくなってTに電話をしたら見事に新宿にいた。2月にセミナーのヘルプをしてもらって以来だから実に3ヶ月以上ぶりだ(先日のHのお通夜のときに一瞬顔は合わせたが・・・)。三越の裏にあるLionでビールをジョッキ1杯だけ飲みながら、小1時間ほどお互いの近況報告をし、語った。彼はいつも良いアドバイスをくれる。今日も「人間力向上セミナー」の集客宣伝方法「いかに内容をわかりやすく伝えるか」について一言。
セミナーのコンテンツそのものは問題なし(確かにセミナーそのもののコンテンツ作りには自信があるし、かつファシリテートにも相応の自負をもっている)。しかし、どんなに良いものであっても顧客あってのことゆえ、いかに一般の方々にわかりやすく内容を伝えるかを専門的に考える必要がある、という。当たり前のことなのだが、謙虚に耳を傾ける。

リヒャルト・シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調作品18
チョン・キョン=ファ(ヴァイオリン)
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)

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2008年05月16日

「祈り」~「未完成」と「パルジファル」前奏曲

schubert_8_asahina.jpg表参道で所用があったついでに行きつけの美容室に寄り、いつものシャンプーを購入した。オーナーのKさんが珍しく時間があったようでコーヒーを勧めてくれたので、20分ほど世間話をした。Kさんも会社を経営するうえで「謙虚さ」が大事だという。そうでないと人がついてこないし、お客様から嫌がられるのだと。直接そういう言葉では言わなかったものの、そういうニュアンスを感じた。
新宿に戻り、次のアポイントまで時間があったので、Mさんが面白いと言っていた映画を観た。ニコラス・ケイジ主演の「NEXT」(フィリップ・K・ディック原作のSF小説「ゴールデンマン」がもとになっている)。深い意味はないが、純粋に映画として確かに面白い。自分に纏わることならば2分先まで未来が見えるというマジシャンのクリス・ジョンソン。
今見える未来は、今の未来であって、その未来は変えることができるのだと。うーん、意味深い・・・。

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2008年05月15日

「自然」に学ぶ

stenhammar_jarvi.jpgこのブログでも「謙虚」という言葉をよく使っている(ちなみに、今日現在「謙虚」でブログ内を検索すると16日分ヒットした)。特に、昨年9月に「人間力向上セミナー」を始めてからその単語を頻繁に使うようになったみたいだ。自分自身に対してもそうだが、人間というもの「謙虚さ」を忘れると問題が突如噴出する。
自分に拘るのではなく、あくまでも謙虚に他を受容することが重要だ。自然はどういうわけかそういうことがよくわかっており、先ごろのミャンマーと中国・四川省の自然災害も軍事政権や共産党首脳などそれぞれの国のトップに対して「警告を送る」かのような現象のように僕には思える。ここに来て、中国は外国の支援を受け入れることを決定した。過去においては他国の援助をことごとく拒否してきた中国だが、今回ばかりは状況の悲惨さからそうは言っていられない様子で日本が初の支援国となった(ミャンマー軍事政権は相変わらず支援要請をしないようだ・・・)。

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2008年05月14日

明日に架ける橋

41cw5ENRQmL._SL500_AA240_.jpg今朝、強い雨の中、「この雨は浄化の雨だ」と思った。ここのところ世間を騒がせる世界各地の自然災害(東京にも大地震はいつ来てもおかしくないだろう)。当事者(中国)だけでなく世界中の多くの人々が心を痛め、何万人にも及ぶ犠牲者を追悼するため祈りを捧げていることだろう。21世紀になり、9.11同時多発テロに始まり、世の中がひっくり返るような事件や事態が増えたように思うのは気のせいだろうか・・・。
ともかくやりたい放題やってきた我々人間が「反省」し、「謙虚」に「愛」をもって行動することが大事なことに「気づく」ことである。

第4回になる「Sofaベジタリアン料理教室」を本日開催する。いつものようにK夫妻によるSofa流菜食料理を披露していただき、みんな(今回は6名の方が参加)で美味しくいただいた。mixiやら過去の参加者の友人やら、初めて参加していただく方が毎々いらして、何だかんだ言いながらも楽しく過ごさせていただく。最近「菜食主義者」が増えているようで(というより菜食教室だからそういう人が必然的に集まるのだろうが)今日の参加者も子どもの頃から菜食だったり、家では肉魚は食べないという方だったり、ナチュラル・ハイ・ジーンをやったことがあるという方だったり、昨年2度も世界一周をした(Peace Boatに乗ったらしい:何と1回3ヶ月で200万円くらいの費用がかかるんだと)という女性だったり、と不思議な輪が広がっている。

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2008年05月13日

地球は怒っている

karajan_zarathustra.jpg先日のミャンマーでのサイクロン被害に続き中国四川省における大地震。被害は今後も拡大すると見られ、何万人という死者が出る勢いだ。地方都市の急成長で建物の耐震構造が追いつかなかったということだが、自然の警告ともとれる。急激な成長というのは一方で歪を生み、必ずどこかでしっぺ返しが来るようになっているもので、ギョーザ問題、チベット問題などなどどこかで無理があるのだろう。モティベーションを明確にもち、確かに成長を遂げていくことは重要だが、「意図」せず、あくまで「自然」の流れに沿った形であることが理想である。

台風2号の影響か3月並みの寒さだという。長袖のタートルネックを着ているだけでは身の震えが止まらず暖房を入れたくなるほどの気温。とても5月中旬とは思えない。因果応報じゃないが、人間の意思が巡り巡って昨今の気象状況や自然現象につながっているのではないかと思うほどだ。地球が怒っているのか・・・。

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2008年05月12日

音のない世界~フォーレ

faure_quartett.jpg今日も朝から寒い。昨日の「サロン・ド・チシキ」のあとの雑談で予防医学の話題になり、たまたま僕の友人で医者でもあるIさんが居合わせたものだから、話が膨らみ、参加したみんなにとってとても意義深い会合になった。その中で「糖尿病」に話が及び、Iさんから「結論から言えば日頃の運動が最も重要だ(日々の食事のコントロールなども当然重要)」ということを教わった。散歩など軽い運動を継続的に続けることなのだと(それと果物は夜に食べないで必ず朝に食べることが大事なのだと)。何だ、すでに実践していることだと我ながら大したものだと感心したが、あまり過信するのも良くないだろうと、朝食にいつもの果物(今日はグレープフルーツにバナナ)ヨーグルトがけを食した。そして午後は新宿や大久保界隈を歩いてみた(Iさんからお借りしたエリエス・ブック・コンサルティング土井代表のCDを聴きながら)。

ここ数日は世紀末フランス音楽、例えばドビュッシー、ラヴェル、フォーレ、そしてショーソンなどをよく聴いている。しつこいようだが、先日の「加納裕生野ピアノ・リサイタル」がきっかけとなって改めてドビュッシーの洗練された「新しさ」に気づき、暇な時間を見つけては書籍を読んだり、音盤に耳を傾けたりしている。19世紀末のヨーロッパのデカダンな匂いを伴った響きが何ともいえず、はまりこんでしまっているのだ。そんなこんなで、久しぶりにフォーレでも聴いてみようかと音盤をさぐっているうち、彼の書いた晩年の名作のCD(弦楽四重奏曲作品121とピアノ三重奏曲作品120が収められている)を見つけ出し、聴いてみた。彼もベートーヴェン同様、壮年期以降難聴に苦しみ、ほとんどまともに音が聴こえない状態で至高の音楽を創出した。なぜにこうも「音のない世界」に生きる人々の創った芸術作品はこんなにも感動的で奥深いのか。沈潜とした趣の中に「人間存在の全て」を包括する「魂の訴え」が聴いてとれるところが絶美だ。

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2008年05月11日

音のない世界

beethoven_heidscheck_30.jpgいつも「早わかりクラシック音楽講座」に参加していただいているC君のお宅で「サロン・ド・チシキ」という会が催された。要は、気の許せる仲間たち(といってもお互いは初対面という場合も多いが)が数人集まってC君おススメのDVDを観ながら飲み語るというもの。3月に一度お邪魔して幾つか映像を観たことは前にも書いた。
14:00からのスタートということだったが、結局参加予定者が揃ったのは17:30頃。3時間ほどはフィッシュリ&ヴァイスの「ゆずれない事」、「正しい方向」など各々30分ほどのシュールなDVDを観て時間を潰した。まぁこのC邸はなかなか面白いマニアックな音盤や書籍がたくさんあり、こういうものに囲まれていると何日も過ごせるのではないかと思わせるほどの充実ぶりで、よくもこんな代物をわざわざ探し出して手に入れたものだといつも感心させられてしまう。

今日観たメインのビデオ。
ニコラ・フィリベール「音のない世界で」

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2008年05月10日

ドビュッシーとチャイコフスキー

41V9JKYV4CL._SL500_AA240_.jpg一旦思い込んだらとことん追求するというのが僕の性質。ピアニストの青柳いずみこさんが著した「ドビュッシー~想念のエクトプラズム」を読み始める。モネなど印象派の画家といっしょに語られることの多いドビュッシーの音楽だが、印象派自体作曲家自身の生涯や思想の中にはほとんどかかわりを持たないのだという。むしろ、世紀末デカダンス、オカルティズムなどおどろおどろしい側面、いわゆる「裏」の部分に光をあてることで天才作曲家の真実の姿が読みとれるのだと。面白い本である。まだまだ読み始めだから細かく言及はできないが、若き日のドビュッシーがチャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人と関わりがあったことを知り、びっくりした(ドビュッシー・ファンからしてみるとこういう事実は当たり前のことなのかもしれないが)。1880年というからドビュッシー18歳の頃の夏季休暇中、夫人が彼を子どもたちのレッスンのための伴奏ピアニストとして数ヶ月雇っていたらしい。しかも、当時チャイコフスキーが夫人に献呈した第4交響曲をピアノ連弾用に編曲し、フォン・メック夫人の前で披露したりした。それに感動した夫人が作曲家の最初のピアノ曲である「ボヘミア風舞曲」をチャイコフスキーに送ったところ、次のような返事が来たという。
「とるに足らないもので、第一、あまりに短すぎます。テーマは発展するわけでもないし、形式は整っていないし、全てに統一を欠いています」(平島正郎『ドビュッシー』
若き日のドビュッシーの才能を見抜けなかったチャイコフスキーをよそ目に、夫人は相当ドビュッシーに入れ込んだらしい。その入れ込みに対する「嫉妬心」から否定的な手紙を出したのだろうという見解もあるようだが。
作曲家の音楽を聴く時、その人のバックグラウンドを知ることは大きな助けになる。特に、この書籍ほど緻密に調査され、書かれているものはより一層だ。

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2008年05月09日

ドビュッシーを聴く

41DEMVKVKML._SL500_AA240_.jpg昨日の考察の続き。どうしてドビュッシーが苦手だったのか?昨晩の加納裕生野ピアノ・リサイタルを聴いて、ドビュッシーがいわば「視覚で聴く」音楽を書いたのではということを書いた。もともと僕は「視覚」より「聴覚」の感度が良いことを自覚しており、芸術においても「絵画」は滅法弱く、一方「音楽」はこの上なく好きで、我ながら「良いものを見極める」センスもあると自負してきた。これまで何度もヨーロッパを訪れ、そのたびに現地のコンサートホールやオペラ座に行き、音楽や歌劇を堪能したり有名な美術館に出向くことがあったが、音楽を聴くことに関しては相当の執着を持つ一方で、こと絵画に関しては「せっかくヨーロッパに来たのだから」という消極的な理由で回ることが多かった。

もちろん絵画についての知識が薄く鑑識眼を持ち合わせていないことが一番の理由だが、実際のところは人より「絵」に関して「感じる」心が薄いのかもしれない。例えば、瞑想をする時もそう。眼を閉じ、意識を外部に向けてもなかなかイメージが具現化されず、真っ暗で何も見えないことが多い。人によってはカラーで様々な映像が降りてくるというにもかかわらず。映画やDVDを鑑賞する時もそう。余程の作品でない限りなかなか長時間集中して観続けることができない。だから、普段から映画やテレビを好んでみることは極めて少ない。まぁ、物理的に眼が弱いということも関係しているのかもしれないが・・・。10数年前から猫アレルギーになり、コンタクト・レンズが入らなくなったこともそうだし、雨降る夜は光が反射して前がよく見えず、とても危険だからうまく運転ができないという事実もそう。
ともかく「目」よりも「耳」の人間なのだろう。「眼で聴く」ことを要求するドビュッシーが不得手だった理由がちょっとわかる気がする。

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2008年05月08日

「癒し」の加納裕生野ピアノ・リサイタル

heidscheck_kempf.jpg昨未明の地震は久しぶりに大きいものだった。もともと地震と雷は嫌いな性質で、やっぱり飛び起きた。先日のトリートメントの時にMさんからGWは危険日だと教えていただいていたので心の準備はどこかでできていたものの、「来たか!」と、身体が自動的に反応してしまった。やっぱり怖い・・・。

今朝、銀座でアポイントがあり、10:00前に歌舞伎座前で待っていたところ、待ち合わせ相手が来ないので確認したら、13:00に変更したとのこと。不覚にも変更されたことをスケジュール帳に書き忘れていたためついついドジを踏んでしまった。しかし、もともとアポイントが終了したら映画を観ようと思っていたので、これ幸い先に観てしまおうと決意し、銀座テアトルシネマに向かった。

『ラフマニノフ~ある愛の調べ』

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2008年05月07日

2つの傑作変奏曲

beetoven_concertos_backhaus.jpgゴールデン・ウィークが明けて、世間は普段どおりに戻った。僕にとってはGWも何も関係ないのだが、それでも街中を初夏の風を感じながらぶらりとすると、木の芽の青臭い匂いと共に何か新しいことが始まる予感がするものだからとても気持ち良い。そういえばこのブログを書き始めてちょうど今日で1年。明日から2年目に突入するわけだが、お盆や正月に帰省したとき以外は毎日日記のように書き続けたことを振り返ると、我ながらよくやったと感心する(まぁ、1年間継続するなんてのは大したことではないですが・・・)。
ということで、今日はブログ開設1周年前夜祭ということで1年を締めくくるに相応しい音楽をとりあげようとあれこれ棚をひっくり返してみた。
「調和」の音楽。ゴルトベルク変奏曲BWV988。昨日もNHKの「知るを楽しむ」ではグレン・グールドの弾くこの楽曲がとりあげられていた。鮮烈なデビュー盤となったこのJ.S.バッハの名曲は、グールド最晩年の81年に再録音され、巷の話題になった。以前このブログでもとりあげたDVDはこの81年盤の映像記録。どちらかというと81年盤を好む僕だが、55年録音のこのデビュー盤も捨て難い。とにかく神が舞い降りるかの如くのグールドの超絶技巧、そして反復を省き極めて速いテンポで駆け抜ける様は「5月の風」のように爽やかだ。しかしながら、つい先日もとりあげたばかりでまた「ゴルトベルク」か・・・、という感じなので、今日はあえてもう一つの傑作変奏曲について書くことにする。

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2008年05月06日

日中・春の祭典

41Wt3BrGcrL._SL500_AA240_.jpgS社のT社長のご好意で、初台の新国立劇場・中劇場で開催された日中青少年友好交流年「日中・春の祭典」に招待していただいた。日中平和友好条約締結30周年の記念、そして数ヵ月後に迫った「北京オリンピック」など日本と中国の相互理解を深めるためのイベントとして企画されたようだ。第1部は、日中の児童合唱団のコーラスやパメラ・ニコルソン氏の作曲した楽曲の世界初演などが組み込まれていたが、何と言ってもヴァイオリンの魔術師の異名をとるヴァスコ・ヴァッシレフ氏の演奏が素晴らしかった。昨年の東京国際音楽祭の懇親パーティーで同席させていただいた時に、彼の気さくな人となりに接し、いっぺんにファンになってしまったのだが、今日はクライスラーの「中国の太鼓」作品3やサラサーテの「カルメン幻想曲」作品25のスーパーテクニックを聴かせていただき、失礼な言い方だが、これを聴くだけでも相当価値のあるコンサートであったと感じた。
ところで、第2部は史志有氏作曲の中国音画「清明上河図」全曲というプログラムで、全12曲80分という大作。中国楽器である二胡や古琴、琵琶などがオーケストラと協演する様はさながら西洋と東洋が融合する「平和」の音楽を想起させるが、如何せん80分という長時間、聴衆を集中させるには辛いものがあった。おそらく中国楽器の持つ波動なのだろうが、二胡などの響きは「眠り」を誘発する音色で、まったりとし、ついついウトウトとしてしまったことを正直に告白しておく。決して難しい音楽ではないし、むしろ世界プレミアなわけで、歴史的な場面に遭遇しているわけだから価値は十分にあるのだろうが・・・。
それにしても、ヴァッシレフの音楽はいかす。The Rolling Stonesのメンバーに気に入られ、ツアーにも同行したそうだから、クラシック音楽に限らずあらゆる分野の音楽に精通するのだろう。彼のテクニックとセンスは、パガニーニやリストを髣髴とさせる(もちろん想像だが・・・)。

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2008年05月05日

スクリャービンの音楽に感じ、ラフマニノフにはない「エロス」

schostako_bernstein_9.jpgラフマニノフの音楽は優雅でロマンティックで聴いていてとても耳に優しい。しかし、飽きやすいという弱点もある。「エロス」を感じないのだ。一方、モスクワ音楽院で同窓だったスクリャービン。彼の音楽には「エロス」が明らかにある。ショパンの影響をもろに受けた初期のピアノ音楽にしてもそうだし、神秘主義に傾いた後期の作品の根底に流れるのも「エロス」なのだ。「法悦の詩」というエクスタシーを主題にしたその名の通りの交響曲を書くくらいだから作曲者も意識してのことなのだろう。しかし、ナルシシズムに満ちたあまりに自己中心的な感情に傾きすぎており(と僕は感じる)、こちらは聴いていて辛くなることが稀にある。長く聴いていられないと言うか何と言うか・・・。
ある意味ワーグナーの楽劇に通じるものがあるのだが、そういえば、スクリャービンも確かワグネリアンだった。ワーグナーの性格もいい加減自己中心的。その創造物は天才的といえども、おつきあいなど到底できないほどの嫌な奴だったらしい。

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2008年05月04日

モスクワ音楽院大ホール100周年記念CD

moscow100anniversary.jpg今月25日(日)には杉並公会堂小ホール愛知とし子のリサイタルが開催される。演奏者本人も準備に余念がないだろうが、僕は僕でたくさんの友人に聴いていただきたいと日々営業活動に勤しんでいる。今日もお昼にはYと、そして夕刻にはOと久しぶりに再会し、チケットをご購入いただいた。当たり前のことだが、どんなことでもお客様あっての仕事であるゆえ、感謝の気持ちを決して忘れてはならないし、ご来場いただいた方にご納得いただけるサービスを提供しないことには未来もないと思うので、常に「謙虚」に「想い」をもって皆に接しようと心がけている。そういう僕もつい2年ほど前までは多少高慢な自分がいたものだから、それを戒めるかのように日々自らを省みることにしている。
「他者への想い」などと簡単に口にする輩は多いが、行動が伴わない限り「絵に描いた餅」。本当にできる人は自分が「できること」を決して自慢しないし、ある意味「黙々」と仕事をやってのける。不言実行というのも重要なことなのかもしれない。

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2008年05月03日

ラフマニノフ、メンデルスゾーン、シベリウス

sibelius_bernstein_5.jpg「皐月会」と称する内輪の誕生日会が開催されるというので参加した。どういうわけか会場は川崎市にあるミューザ川崎の市民交流室。往復の車中で「ユリイカ」の今月号を広げ、斜め読みする。つい先月から伝記映画が公開されているのに乗じているのだろうが、特集はラフマニノフ。この作曲家については1月の講座で第2協奏曲をとりあげた際、ほんの少しだが勉強した。今日もざっと読みながら考えたことは、つい先日の講座のテーマであったメンデルスゾーンにどこか通じるものがあるのではないかということである。時代も違えば場所も違う二人の天才作曲家は一見、作風も違うし、交わるところなど何一つないように思えるのだが、直感的にそう感じたのである(根拠はないので、その辺は突っ込まないでください)。

ラフマニノフは幼少時よりその才能を発揮し、周りからも神童扱いを受けた天才型で、学生時に既に後のラフマニノフの代名詞ともなる名作「前奏曲嬰ハ短調」を書き上げている。22歳の時に創作した交響曲第1番は自信作であったにもかかわらず、諸々の事情により初演失敗。そのことが遠因となり神経衰弱に陥り、自殺まで考えたほどに何年も悩まされたという。最終的には催眠療法を受けることでその状況を脱出するのだが、復活のきっかけともなったのがかの名作ピアノ協奏曲第2番。以降、ラフマニノフの音楽はロマンティックで美しい旋律を持った映画音楽のようなイメージを一般大衆にもたせることになるのだが、彼の本質が本当にそこにあるのかは甚だ疑問だ。
今でも失敗作のレッテルを貼られている先の第1交響曲は、確かに晦渋でとらえどころのない音楽だが、一部の専門家の間では「最高傑作」なのではないかとの評価もあり、こういう音楽こそがラフマニノフの本質であり、本来の姿、精神なのではないかと最近では僕も考えるようになった。

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2008年05月02日

サザンの奇跡(軌跡)

310EQ841YHL._SL500_AA240_.jpg時折、「軸」がぶれることがある。顕在意識では「自信がない」とは思っていないのだが、環境に左右されてしまうことが稀にある。ということは潜在的には「自信がない」のか・・・?
周りの意見や考え方はともかく、自らのベクトルさえしっかり持ち、「意思」を強固にすれば必ず「想い」は実現する。それこそ昨日も書いたように、「志」と「恒」と「識」あるを要す、である。自慢じゃないがそのあたりは確固ともっているつもりなので、あとは「信じる」だけ。
しかし、セミナーなどで人には軸を自分に持ち、自分以外の他のことを想って行動せよと口酸っぱく言いながら、そういう本人はまだまだだと痛感する。まぁ、そうやって気づき、自己改善していくことが重要だからよしとしよう。いずれにせよ、心身の調子は極めて良い。

午後、2ヶ月ぶりにMさんトリートメント。1時間半ほどお話しをした後、心身のお掃除。調子は悪くない。大地に根付いて広がっていく予感。

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2008年05月01日

志、恒、識あるを要す

21F6YEG6S4L._SL500_AA180_.jpgいつの間にか5月。どうということのない長閑な一日だったが、慌しく過ぎた日でもあった。午前中に事務作業をこなし、恵比寿に出掛ける。先日の「人間力向上セミナー」の個人セッションを1件こなし、その後は市ヶ谷へ。駅上のスターバックスで2時間ほどミーティング。結局20:00頃に帰宅し、ひとり寂しく(笑)食事をしていたら、相方が弟T君同伴で帰ってきた。T君も仕事が忙しいようで1ヶ月半ぶりかな。GWは時間があるらしく、まだ終わってなかった個人セッションの予約を受け、談笑。何だかみんな人を求めてるんだな。「親和」の交流は重要だ・・・。
恵比寿での個人セッションでもそうだったし、T君との世間話の中でも同じ話題が出たのだが、セミナーで「学んだこと」を日常の仕事の中で体感的に気づけた瞬間があったという。セミナーを受講してなければもちろん気づくことなく素通りしていたはずだともいう。なるほど、やっぱりあの2日間の凝縮された「学び」は非常に意味があるものだと手前味噌ながら実感した。

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