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2008年09月
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西洋占星術では、生まれた時の太陽の位置が「人生のテーマ、あるいは目的」であり、月の位置が「心、感情や身体」を表すのだという。ちなみに、僕自身は前者が「牡羊座」、そして後者は「蟹座」である。その角度はちょうど90度で、持って生まれた人生のテーマ、すなわちやらなければならない使命と日常生活で感じる自己との間に矛盾を感じやすいのだという。確かに・・・。最近になって、仮の自分と真の自分との間の溝が少しずつ埋まり始めてきたように感じるが、特に若い頃は意識と身体が支離滅裂で、自分でも統制がとれなくて「現実逃避」していたように思う。
午後、星の話、占星術について少しばかり講義を受けながら宇宙と大地と線で結ぶ楽器が弦楽器なのではないかとふと考えた。昨日から繰り返し聴いている「無伴奏ヴァイオリン曲集」(バッハのそれ、あるいはバルトークの晩年のものなど)の音が耳にこびりついている。
以前、ヘンリク・シェリングの弾くバッハの無伴奏ヴァイオリン曲集を採り上げた。「峻厳」という言葉がまさに相応しい唯一無二の演奏だと思うが、それより遡ること12年、1955年に若きシェリングが録音したソニー・レーベルの音盤は、より一層柔軟でかつ軽やか(決して軽薄という意味ではない)、モノラルながら録音も上々、一気に通して聴き、独り悦に浸った。これは明らかに人間が創り出した音楽じゃないと思うが、ヴァイオリンという小さな一挺の楽器が、それこそ相応しい奏者を選んだ時に描き出す「音の綾」は、まさにその楽器が天と地を結ぶ「神の器」であることを証明する。
一日に何度も繰り返し聴くような音楽ではないとわかってはいるのだが、今夜はもう一組の超絶的な演奏をあらためて聴くことにした。
続きを読む "バッハの書いた総ての音符はまさに宇宙そのものである" »
「人の月を看るは、皆徒に看るなり。須らく此に於いて宇宙無窮の概を想うべし」
世の人々が中秋の名月を眺めるのは、総てただ気がなくぼんやりと眺めているだけである。観月の時には、宇宙の広大無限なありさまを、よく思い至らなければいけない。(久須本文雄訳)
かれこれ10数年前、ある先輩から佐藤一斎著「言志四録」を読むよう奨められ、以来僕の座右の書になっている。上は、1815年、すなわち一斎44歳(今の僕と同年齢)の時、中秋の名月の下に記した言葉である。
自分という存在は宇宙から見たらちっぽけなもの。広大な宇宙に対して人間は一人一人が小さな宇宙。自分の中に拡がる無限のありさまを想像し、可能性を追求することが大事なのだと気づきなさいと教え諭してくれているようだ。
続きを読む "シューベルトの遺作にみる「現世肯定」" »
何年か前、水樹和佳子の「イティハーサ」(古代日本を舞台に「人はどこから来てどこへ行くのか」という壮大なテーマの下繰り広げられるSF大河少女漫画!)に凝った時期があり、その中に次のような件がある(まさにラストの大団円につながる重要なシーン)。その一説だけ採り上げるのはかなり無理があるのだが(少々難解)、あえて抜粋させていただく。
『まず我等は神にあらず・・・
我等を表す言葉はここにはない
意識のある情報体
もしくは情報によって生じた意識体・・・
秩序ある混沌・・・
続きを読む "「四大元素」~人類は進化する反調和である" »
一人一人が一皮も二皮も剥けて旅立ってゆく。たった2日間という身近い時間ながら、時空を超えるような深いコミュニケーションを体感することで、誰もが本来持っていた「潜在的な力」を思い出す。
誰もが人から愛されたい、そして受け容れられたいと願っている。でも、みんな拒絶されることを怖れて、いわば自分自身の「殻」に閉じこもっているのだ。そのことに気づき、今まで体験したことのなかったようなブレイクスルーを通じて「自分自身を卒業する」。
尾崎豊の「卒業」を声を大にして歌った。カラオケに行ったのは何年ぶりだろうか・・・。
行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解っていたこと
この支配からの 卒業
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