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2008年09月 アーカイブ
2008年09月30日

秋雨、ショパン

chopin_sonatas_katsaris.jpg秋が深まってくると不思議にショパンの音楽が恋しくなる。ブラームスでも良いのだが、こちらはどちらかというと晩秋向き。9月終わりから10月にかけての季節にはショパンの愁いを秘めた旋律がとても似合う。特に今日のような秋雨煙る日には一層ピアノの詩人の音楽が相応しい。

昨日の新月をきっかけに向こう1ヶ月は情報収集に専念しようと心がける。20年来の友と10数年ぶりに再会し、杯を酌み交わす。あっという間に5時間余が経過したが、お互い歳はとれど何も変わっていないことに気づく。時空を超越するかの如く昔話に花が咲き、記憶の彼方に追いやっていた様々な事柄が嘘のように湧いて出てくる。当時は僕も20代前半、一方の彼らは20歳そこそこ。時には罵声を浴びせたり、時には泣きながら抱擁しあったり、今から考えると古き良き泡沫の時代。日本中が狂喜乱舞し、国民の誰もが来るべき幸福な未来を想像しながら毎日を楽しく過ごしていた一瞬。

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2008年09月29日

悲しくも温かいマズルカ

chopin_Mazurkas_Rubinstein.jpg日比谷の人気の少ない地下道を歩いていて、ふとショパンの「マズルカイ短調作品17-4」の悲しげな旋律が頭の中を駆け巡り、ほんの一瞬だが、得も言われない感情(つまり、「孤独!」というフィーリング)が身体中に走った。夕刻の忙しない時間帯に歩道を歩いていても、誰一人として他人のことなど気にせず、振り返ることもない。楽しそうに笑いながら語り合うカップルもいなければ、大声で怒鳴りあって激しく議論を交わす輩たちも当然見当たらない。皆ただ無言のまま足早に家路を急ぐだけ。何ともいえない味気のない風景・・・。

でも、だからこそ逆に大切な人が存在するという事実が一層際立つ。朝からの秋らしい冷たい雨の中で、余計に「人恋しさ」が募ってしまうのか、別に寂しいわけでも悲しいわけでもないのだが、ついつい「人の温かさ」を思い出し、そして人生を共有できる仲間やパートナーがいることの素晴らしさを再確認する。諸行無常であっても一度つながった人の心は簡単に切れるものではない。

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2008年09月28日

プルート

A_Disney_Spectacular_Kunzel.jpgこれも昨日の「西洋占星術」の講義で聴いた話だが、冥王星(英名:Pluto)は「死と再生」を司る星なのだという。その原動力は「何かに対する無意識的な嫉妬心や執着心」であり、エネルギーを極限まで蓄積し、一撃で破壊する衝動性をもつのだと。1995年以来、地球は射手座の冥王星の影響下にあり、世の中で起こっている物騒な事件の数々はこれが原因のひとつだといわれると確かにそうなのかもしれないと思えてくる。
それに、因果応報の星である冥王星は、借りたものは絶対に返そうとする衝動も一方ではあるらしく、その力が良い方に働くと「義理堅さ」に繋がるのだということだ。

舞浜の東京ディズニーランド・ホテルにて「T夫妻の門出を祝福する会」があった。ディズニー好きにはたまらない演出なのだろうが、僕にとってはどちらでも良い話(笑)。シンデレラドリームルームでの宴会ということで、受付で渡された席順は何と「Pluto」。一瞬「何だろ?」と思ったが、ディズニーアニメに出てくるミッキーのペット犬の名前らしい。円卓の真ん中には可愛いTokyo Disney Resort 25周年記念のKey付の「Pluto(プルート)」のぬいぐるみ。「あぁ、この犬のことか・・・(ひとり呟く)」その姿を見てやっとわかった。
くじで当たった人にはそのぬいぐるみがプレゼントされるということだったので、直感的に「もらった!」と感じた。案の定、当たり(ぬいぐるみそのものは同席のお子様に差し上げたけれど)。

おそらく「借りたものは義理堅くきっちり返せ」というメッセージなんだろうと勝手に解釈して家路についた。

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2008年09月27日

バッハの書いた総ての音符はまさに宇宙そのものである

bach_milstein.jpg西洋占星術では、生まれた時の太陽の位置が「人生のテーマ、あるいは目的」であり、月の位置が「心、感情や身体」を表すのだという。ちなみに、僕自身は前者が「牡羊座」、そして後者は「蟹座」である。その角度はちょうど90度で、持って生まれた人生のテーマ、すなわちやらなければならない使命と日常生活で感じる自己との間に矛盾を感じやすいのだという。確かに・・・。最近になって、仮の自分と真の自分との間の溝が少しずつ埋まり始めてきたように感じるが、特に若い頃は意識と身体が支離滅裂で、自分でも統制がとれなくて「現実逃避」していたように思う。

午後、星の話、占星術について少しばかり講義を受けながら宇宙と大地と線で結ぶ楽器が弦楽器なのではないかとふと考えた。昨日から繰り返し聴いている「無伴奏ヴァイオリン曲集」(バッハのそれ、あるいはバルトークの晩年のものなど)の音が耳にこびりついている。

以前、ヘンリク・シェリングの弾くバッハの無伴奏ヴァイオリン曲集を採り上げた。「峻厳」という言葉がまさに相応しい唯一無二の演奏だと思うが、それより遡ること12年、1955年に若きシェリングが録音したソニー・レーベルの音盤は、より一層柔軟でかつ軽やか(決して軽薄という意味ではない)、モノラルながら録音も上々、一気に通して聴き、独り悦に浸った。これは明らかに人間が創り出した音楽じゃないと思うが、ヴァイオリンという小さな一挺の楽器が、それこそ相応しい奏者を選んだ時に描き出す「音の綾」は、まさにその楽器が天と地を結ぶ「神の器」であることを証明する。
一日に何度も繰り返し聴くような音楽ではないとわかってはいるのだが、今夜はもう一組の超絶的な演奏をあらためて聴くことにした。

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2008年09月26日

シューベルト歌曲の魅力

schubert_bostridge.jpg「士は当に己に在る者を恃むべし。動天驚地極大の事業も、亦都て一己より締造す。」
立派な男子たる者は、自分にある所のものをたのむべきであって、他人にたよることがあってはいけない。天地を動かし驚かすような大事業でも、総て自分からして造り出されるものである。(久須本文雄訳)
自分を信じること。人間は何事においても、自己を信じ自己の力で独立独行せよと一斎は説く。

佐藤一斎が「言志録」を書き始めた1813年から遡ること2年。ゲーテは自伝「わが生涯より・詩と真実」を発表する。

人間は行きたい方へ行くが良い。人間はしたいことをするが良い。しかし人間は、自然が描いている道へ必ずまた戻ってくるに違いない。
~ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ「詩と真実」

自身の直感に従ってやりたいことをやりたいようにせよ、とゲーテは読む者に、そして自らに語りかけるのだ。

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2008年09月25日

シューベルトの遺作にみる「現世肯定」

schubert_pollini_d960.jpg「人の月を看るは、皆徒に看るなり。須らく此に於いて宇宙無窮の概を想うべし」
世の人々が中秋の名月を眺めるのは、総てただ気がなくぼんやりと眺めているだけである。観月の時には、宇宙の広大無限なありさまを、よく思い至らなければいけない。(久須本文雄訳)

かれこれ10数年前、ある先輩から佐藤一斎著「言志四録」を読むよう奨められ、以来僕の座右の書になっている。上は、1815年、すなわち一斎44歳(今の僕と同年齢)の時、中秋の名月の下に記した言葉である。

自分という存在は宇宙から見たらちっぽけなもの。広大な宇宙に対して人間は一人一人が小さな宇宙。自分の中に拡がる無限のありさまを想像し、可能性を追求することが大事なのだと気づきなさいと教え諭してくれているようだ。

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2008年09月24日

「四大元素」~人類は進化する反調和である

rebel_Les_Elements_Hogwood.jpg何年か前、水樹和佳子の「イティハーサ」(古代日本を舞台に「人はどこから来てどこへ行くのか」という壮大なテーマの下繰り広げられるSF大河少女漫画!)に凝った時期があり、その中に次のような件がある(まさにラストの大団円につながる重要なシーン)。その一説だけ採り上げるのはかなり無理があるのだが(少々難解)、あえて抜粋させていただく。

『まず我等は神にあらず・・・

我等を表す言葉はここにはない

意識のある情報体
もしくは情報によって生じた意識体・・・
秩序ある混沌・・・

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2008年09月23日

愛の歌、喜びの賛歌

messiaen_turangalila_myungwhun.jpgとてもすっきりした爽やかな一日。今日は秋分の日(すなわちご先祖様を偲ぶ日)。政界、財界、どこもかしこもバタバタしているが、世の中の「気」は随分落ち着いたように感じる。要らないモノを捨てて、みんなもっと楽になればいいのに、とふと思う。

「レコード芸術」10月号をパラパラと捲っていて、そういえばオリヴィエ・メシアンが今年生誕100年なんだということに気づいた(ということは、カラヤンや朝比奈先生と同級生ということになる)。特集記事の中に、彼の3つの主要作品(すなわち「トゥランガリーラ交響曲」、「世の終わりのための四重奏曲」、そして「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」)についての論評が掲載されており、とても興味深く読ませてもらった。
ところで、メシアンについては音盤もそれなりに所有し、これまでもふと思い立っては聴いてきたものの、彼自身のこと、あるいや音楽やその作風については全くもって勉強不足で、ブログ上で語るだけの力量は残念ながら今の僕にはない。少なくとも敬虔なカトリック教徒であったメシアンの音楽に反映されているものは、間違いなくキリスト教精神であり、一般に好んで聴かれている作品のほとんどはその宗教的バックグラウンドを完璧に把握することなしに深層まで理解することはほとんど不可能に近い。

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2008年09月22日

最期の輝き

beatles_abbey_road.jpg自分が与えることをしないままもらうことばかりを考える・・・。大人になるということは「与えることができる」ということ。

And in the end, the love that you take   
Is equal to the love you make         
You make your love               

結局・・・、君がその手で奪う愛は
君がその手で生み出す愛と同じなのさ
愛とは自分自身で生み出すもの・・・
 (訳:山本安見)                           

The Beatles、厳密にはPaul McCartneyがその歴史の最後に自らに言い聴かせるように歌い上げた ラストナンバー「The End」。英語の細かいニュアンスまではわからないので、確かなことは言えないが、この歌詞、次のようにするともっと深みが出るような(逆にちょっと臭いかな)・・・。

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2008年09月21日

Hotel California

eagles_hotel_california.jpg一人一人が一皮も二皮も剥けて旅立ってゆく。たった2日間という身近い時間ながら、時空を超えるような深いコミュニケーションを体感することで、誰もが本来持っていた「潜在的な力」を思い出す。
誰もが人から愛されたい、そして受け容れられたいと願っている。でも、みんな拒絶されることを怖れて、いわば自分自身の「殻」に閉じこもっているのだ。そのことに気づき、今まで体験したことのなかったようなブレイクスルーを通じて「自分自身を卒業する」。
尾崎豊の「卒業」を声を大にして歌った。カラオケに行ったのは何年ぶりだろうか・・・。

行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解っていたこと
この支配からの 卒業

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アレグロ・コン・ブリオ~「愛」+「勇気」=「ワンネス」:2008年09月アーカイブ
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2008年09月30日

秋雨、ショパン

chopin_sonatas_katsaris.jpg秋が深まってくると不思議にショパンの音楽が恋しくなる。ブラームスでも良いのだが、こちらはどちらかというと晩秋向き。9月終わりから10月にかけての季節にはショパンの愁いを秘めた旋律がとても似合う。特に今日のような秋雨煙る日には一層ピアノの詩人の音楽が相応しい。

昨日の新月をきっかけに向こう1ヶ月は情報収集に専念しようと心がける。20年来の友と10数年ぶりに再会し、杯を酌み交わす。あっという間に5時間余が経過したが、お互い歳はとれど何も変わっていないことに気づく。時空を超越するかの如く昔話に花が咲き、記憶の彼方に追いやっていた様々な事柄が嘘のように湧いて出てくる。当時は僕も20代前半、一方の彼らは20歳そこそこ。時には罵声を浴びせたり、時には泣きながら抱擁しあったり、今から考えると古き良き泡沫の時代。日本中が狂喜乱舞し、国民の誰もが来るべき幸福な未来を想像しながら毎日を楽しく過ごしていた一瞬。

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2008年09月29日

悲しくも温かいマズルカ

chopin_Mazurkas_Rubinstein.jpg日比谷の人気の少ない地下道を歩いていて、ふとショパンの「マズルカイ短調作品17-4」の悲しげな旋律が頭の中を駆け巡り、ほんの一瞬だが、得も言われない感情(つまり、「孤独!」というフィーリング)が身体中に走った。夕刻の忙しない時間帯に歩道を歩いていても、誰一人として他人のことなど気にせず、振り返ることもない。楽しそうに笑いながら語り合うカップルもいなければ、大声で怒鳴りあって激しく議論を交わす輩たちも当然見当たらない。皆ただ無言のまま足早に家路を急ぐだけ。何ともいえない味気のない風景・・・。

でも、だからこそ逆に大切な人が存在するという事実が一層際立つ。朝からの秋らしい冷たい雨の中で、余計に「人恋しさ」が募ってしまうのか、別に寂しいわけでも悲しいわけでもないのだが、ついつい「人の温かさ」を思い出し、そして人生を共有できる仲間やパートナーがいることの素晴らしさを再確認する。諸行無常であっても一度つながった人の心は簡単に切れるものではない。

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2008年09月28日

プルート

A_Disney_Spectacular_Kunzel.jpgこれも昨日の「西洋占星術」の講義で聴いた話だが、冥王星(英名:Pluto)は「死と再生」を司る星なのだという。その原動力は「何かに対する無意識的な嫉妬心や執着心」であり、エネルギーを極限まで蓄積し、一撃で破壊する衝動性をもつのだと。1995年以来、地球は射手座の冥王星の影響下にあり、世の中で起こっている物騒な事件の数々はこれが原因のひとつだといわれると確かにそうなのかもしれないと思えてくる。
それに、因果応報の星である冥王星は、借りたものは絶対に返そうとする衝動も一方ではあるらしく、その力が良い方に働くと「義理堅さ」に繋がるのだということだ。

舞浜の東京ディズニーランド・ホテルにて「T夫妻の門出を祝福する会」があった。ディズニー好きにはたまらない演出なのだろうが、僕にとってはどちらでも良い話(笑)。シンデレラドリームルームでの宴会ということで、受付で渡された席順は何と「Pluto」。一瞬「何だろ?」と思ったが、ディズニーアニメに出てくるミッキーのペット犬の名前らしい。円卓の真ん中には可愛いTokyo Disney Resort 25周年記念のKey付の「Pluto(プルート)」のぬいぐるみ。「あぁ、この犬のことか・・・(ひとり呟く)」その姿を見てやっとわかった。
くじで当たった人にはそのぬいぐるみがプレゼントされるということだったので、直感的に「もらった!」と感じた。案の定、当たり(ぬいぐるみそのものは同席のお子様に差し上げたけれど)。

おそらく「借りたものは義理堅くきっちり返せ」というメッセージなんだろうと勝手に解釈して家路についた。

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2008年09月27日

バッハの書いた総ての音符はまさに宇宙そのものである

bach_milstein.jpg西洋占星術では、生まれた時の太陽の位置が「人生のテーマ、あるいは目的」であり、月の位置が「心、感情や身体」を表すのだという。ちなみに、僕自身は前者が「牡羊座」、そして後者は「蟹座」である。その角度はちょうど90度で、持って生まれた人生のテーマ、すなわちやらなければならない使命と日常生活で感じる自己との間に矛盾を感じやすいのだという。確かに・・・。最近になって、仮の自分と真の自分との間の溝が少しずつ埋まり始めてきたように感じるが、特に若い頃は意識と身体が支離滅裂で、自分でも統制がとれなくて「現実逃避」していたように思う。

午後、星の話、占星術について少しばかり講義を受けながら宇宙と大地と線で結ぶ楽器が弦楽器なのではないかとふと考えた。昨日から繰り返し聴いている「無伴奏ヴァイオリン曲集」(バッハのそれ、あるいはバルトークの晩年のものなど)の音が耳にこびりついている。

以前、ヘンリク・シェリングの弾くバッハの無伴奏ヴァイオリン曲集を採り上げた。「峻厳」という言葉がまさに相応しい唯一無二の演奏だと思うが、それより遡ること12年、1955年に若きシェリングが録音したソニー・レーベルの音盤は、より一層柔軟でかつ軽やか(決して軽薄という意味ではない)、モノラルながら録音も上々、一気に通して聴き、独り悦に浸った。これは明らかに人間が創り出した音楽じゃないと思うが、ヴァイオリンという小さな一挺の楽器が、それこそ相応しい奏者を選んだ時に描き出す「音の綾」は、まさにその楽器が天と地を結ぶ「神の器」であることを証明する。
一日に何度も繰り返し聴くような音楽ではないとわかってはいるのだが、今夜はもう一組の超絶的な演奏をあらためて聴くことにした。

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2008年09月26日

シューベルト歌曲の魅力

schubert_bostridge.jpg「士は当に己に在る者を恃むべし。動天驚地極大の事業も、亦都て一己より締造す。」
立派な男子たる者は、自分にある所のものをたのむべきであって、他人にたよることがあってはいけない。天地を動かし驚かすような大事業でも、総て自分からして造り出されるものである。(久須本文雄訳)
自分を信じること。人間は何事においても、自己を信じ自己の力で独立独行せよと一斎は説く。

佐藤一斎が「言志録」を書き始めた1813年から遡ること2年。ゲーテは自伝「わが生涯より・詩と真実」を発表する。

人間は行きたい方へ行くが良い。人間はしたいことをするが良い。しかし人間は、自然が描いている道へ必ずまた戻ってくるに違いない。
~ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ「詩と真実」

自身の直感に従ってやりたいことをやりたいようにせよ、とゲーテは読む者に、そして自らに語りかけるのだ。

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2008年09月25日

シューベルトの遺作にみる「現世肯定」

schubert_pollini_d960.jpg「人の月を看るは、皆徒に看るなり。須らく此に於いて宇宙無窮の概を想うべし」
世の人々が中秋の名月を眺めるのは、総てただ気がなくぼんやりと眺めているだけである。観月の時には、宇宙の広大無限なありさまを、よく思い至らなければいけない。(久須本文雄訳)

かれこれ10数年前、ある先輩から佐藤一斎著「言志四録」を読むよう奨められ、以来僕の座右の書になっている。上は、1815年、すなわち一斎44歳(今の僕と同年齢)の時、中秋の名月の下に記した言葉である。

自分という存在は宇宙から見たらちっぽけなもの。広大な宇宙に対して人間は一人一人が小さな宇宙。自分の中に拡がる無限のありさまを想像し、可能性を追求することが大事なのだと気づきなさいと教え諭してくれているようだ。

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2008年09月24日

「四大元素」~人類は進化する反調和である

rebel_Les_Elements_Hogwood.jpg何年か前、水樹和佳子の「イティハーサ」(古代日本を舞台に「人はどこから来てどこへ行くのか」という壮大なテーマの下繰り広げられるSF大河少女漫画!)に凝った時期があり、その中に次のような件がある(まさにラストの大団円につながる重要なシーン)。その一説だけ採り上げるのはかなり無理があるのだが(少々難解)、あえて抜粋させていただく。

『まず我等は神にあらず・・・

我等を表す言葉はここにはない

意識のある情報体
もしくは情報によって生じた意識体・・・
秩序ある混沌・・・

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2008年09月23日

愛の歌、喜びの賛歌

messiaen_turangalila_myungwhun.jpgとてもすっきりした爽やかな一日。今日は秋分の日(すなわちご先祖様を偲ぶ日)。政界、財界、どこもかしこもバタバタしているが、世の中の「気」は随分落ち着いたように感じる。要らないモノを捨てて、みんなもっと楽になればいいのに、とふと思う。

「レコード芸術」10月号をパラパラと捲っていて、そういえばオリヴィエ・メシアンが今年生誕100年なんだということに気づいた(ということは、カラヤンや朝比奈先生と同級生ということになる)。特集記事の中に、彼の3つの主要作品(すなわち「トゥランガリーラ交響曲」、「世の終わりのための四重奏曲」、そして「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」)についての論評が掲載されており、とても興味深く読ませてもらった。
ところで、メシアンについては音盤もそれなりに所有し、これまでもふと思い立っては聴いてきたものの、彼自身のこと、あるいや音楽やその作風については全くもって勉強不足で、ブログ上で語るだけの力量は残念ながら今の僕にはない。少なくとも敬虔なカトリック教徒であったメシアンの音楽に反映されているものは、間違いなくキリスト教精神であり、一般に好んで聴かれている作品のほとんどはその宗教的バックグラウンドを完璧に把握することなしに深層まで理解することはほとんど不可能に近い。

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2008年09月22日

最期の輝き

beatles_abbey_road.jpg自分が与えることをしないままもらうことばかりを考える・・・。大人になるということは「与えることができる」ということ。

And in the end, the love that you take   
Is equal to the love you make         
You make your love               

結局・・・、君がその手で奪う愛は
君がその手で生み出す愛と同じなのさ
愛とは自分自身で生み出すもの・・・
 (訳:山本安見)                           

The Beatles、厳密にはPaul McCartneyがその歴史の最後に自らに言い聴かせるように歌い上げた ラストナンバー「The End」。英語の細かいニュアンスまではわからないので、確かなことは言えないが、この歌詞、次のようにするともっと深みが出るような(逆にちょっと臭いかな)・・・。

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2008年09月21日

Hotel California

eagles_hotel_california.jpg一人一人が一皮も二皮も剥けて旅立ってゆく。たった2日間という身近い時間ながら、時空を超えるような深いコミュニケーションを体感することで、誰もが本来持っていた「潜在的な力」を思い出す。
誰もが人から愛されたい、そして受け容れられたいと願っている。でも、みんな拒絶されることを怖れて、いわば自分自身の「殻」に閉じこもっているのだ。そのことに気づき、今まで体験したことのなかったようなブレイクスルーを通じて「自分自身を卒業する」。
尾崎豊の「卒業」を声を大にして歌った。カラオケに行ったのは何年ぶりだろうか・・・。

行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解っていたこと
この支配からの 卒業

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2008年09月20日

「異形のブルックナー」の真実

bruckner_romantic_knappertsbusch.jpg人に「気づき」を与えるという仕事柄、そしてたくさんの人たちの素の姿を垣間見てきた体験上、最近になってつくづくと実感する生き方の真髄。自分自身ができているわけではないので、決して偉そうに語るつもりはないのだが、これが自然にできるようになれば「御の字」どころか尊敬に値するポイントがある。要は、自分が何をするために生まれてきたのかという「軸」を自分自身の信念に従って明確にし、ぶれることなく地に足をつけることが一つ。そして、一旦「軸」を定めたら、意識は他者に向けて「思いやり」をもって行動するということがもう一つ。言い方を換えるなら、「他者と比較するのではなく自己評価のものさしをしっかりともち、世のため人のために動く」ということか。口でいうのは容易いが、身をもって為すとなると並大抵ではできない。世の中見渡すと実は逆パターンの人が多い。すなわち、人と比べてばかりで自信がなく、常に軸がぐらつき、意識はいつも自分に向けて、自分のためにしか動かない人々(余裕がないと自分自身もこういう状況に陥ってしまいがちだ)。
人から評価されるためにかっこうばかりをつけ、そのものの本質がいい加減になってしまったら元も子もない。

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2008年09月19日

「仕合せ」、そして今夜もボッケリーニ

boccherini_dupre.jpg台風が明日関東に再接近するというニュース。明日は渋谷で朝から缶詰状態だが、交通網に影響が出なければいいが・・・。
ところで、本日はお昼から教え子の結婚式と披露パーティ、そして二次会と飲んで食べて大盛り上がり。最後に新郎が新婦に贈った素敵な曲が、中島みゆきの「糸」。いわゆる最近のJ-Popにはとんと疎い僕だが、これほど歌詞がストレートで、心に染み入る歌があろうとは・・・。なかなか馬鹿にはできぬもの・・・。

「糸」
なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない

どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って ころんだ日の跡の ささくれ

こんな糸が なんになるの 心許(もと)なくて ふるえてた嵐の中

縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを
人は 「仕合わせ」と呼びます

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2008年09月18日

爽やかな夜風~ボッケリーニ

boccherini_esterhazy.jpg9月も半ばになると随分涼しくなり、都会の喧騒の中にいてもふと耳を澄ますと虫の鳴き声などが聴こえてきて何だか落ち着いて気持ちが良い。南の方から台風が迫ってきているらしく日中は鬱陶しい雨模様だったものの、黄昏時にはすっかり晴れ上がり、不思議な玄妙感を漂わせている。
リーマン・ブラザーズの経営破綻が原因かどうかはわからないが、今週は心身の不調を訴える人が多いようだ(あくまで僕個人の周辺での出来事なので、一般論ではないが)。つい先年、ライブドアがフジテレビ株を買収した際に金銭的支援を買って出たのがリーマン・ブラザーズだったことを思い出してみると、まさに因果応報、お金の持つ力の怖さを今更ながら思い知らされる。働かずして、楽してお金を稼ごうとする行為は良いときもあるだろうが、最終的には損をすることが多いと聞く。自己責任といえばそれまでだが、為替にせよ株価にせよ自分とは全く関係のないところで起こっている事柄が原因で上下するのだから、これほど怖いものはない。まさに博打!これまでもそうだが、投機に失敗して大損失を被り、自らの命を絶つような人も出るわけだから、資本主義というのはやっぱり恐ろしいシステムだとつくづく思う。こういうエネルギーに世界の人々が一喜一憂して踊らされている様を見ると、人間って愚かなもんだなと妙に客観的になってしまう自分を発見する。

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2008年09月17日

ジョン・ダンスタブル~来たりたまえ、聖霊よ

dunstable_motet_hilliard_ensamble.jpg「早わかりクラシック音楽講座」の中で、常々、僕自身は専門的な音楽教育を受けておらず、あくまでも趣味のレベルでジャンルを問わず音楽を聴き続けてきたことをお話させていただいている。確かにスコアが明確に読めたり、音を聴いて譜面に落とすことができたり(つまり絶対音感があるということ)するとより一層音楽への理解が深まるだろうし、楽しいだろうなと思うことは多々あった。物事はどんなことでも「感じる」だけでなく「理論的」理解ができることでより一層の信憑性をもつものであり、特に一般にはわかりにくい、難しいとされる「西洋古典音楽」をものにする上で「左脳的に」音楽を聴くことは一方で重要なことであると僕は信じている。おそらく今の歳からでも楽理を勉強することはできるだろうが、どんなことでも頭の柔らかい幼少の頃から始めて積み上げていくに越したことはない。その点を諦めているわけではないが、講座の中では、音楽の造りよりも作曲家の人生や、あるいは当時の社会的背景を研究しながら、作曲家が何を感じ、そして何を考えて音楽を創造したのかを僕なりの観点で教示させていただいており、そのことが何よりも楽しい(それに、ご参加いただいた方々に喜んでいただけることも自分自身の励みになる)。
このあたりの見解についてはいずれまとめて書いてみようと思っている。

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2008年09月16日

自分は自分以外の何者でもない

matacic_einem.jpg「なるほど」、とか「わかった」という口癖は止めたほうが良い。そういう言葉を発するときに限って「わかってない」からだ。言葉を発する前に自問自答するなり、相手に質問を投げかけるなり、あるいは「よくわからない」と反論してみたり、変にいい子にならず、何事にも疑問を持つことから始めた方が良い。靄がかかったように視界の前方が曇っているとき、そのことに不安と焦りを覚えるのは当たり前のことだが、それはそれで良しと開き直るのも一つの手である。

無意識に誰かと比較するとき、あるいは誰かに影響を受けてしまうとき、人は自分自身を信じることができなくなる。自分自身を信じられなくなると、人は誰かや何かに依存してしまう。何かにすがることで答がもらえると勘違いするのだが、すがったところで答が出よう筈がない。要は、答は自分の中にあるのだから。自分の目指すことは自分でしか解決できないし、自分でやるのだ。そして今目前で起こっていることが事実なのであり、ありのままを受け容れてみることだ。

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2008年09月15日

マタチッチのモーツァルト!

mozart_matacic_zagreb.jpg1995年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール(最高賞)受賞、エミール・クストリッツァ監督作「アンダーグラウンド」を観た。旧ユーゴスラヴィアの首都ベオグラードを舞台に第二次世界大戦以降の激動の50年間を描く超大作。
それにしても極東に住む我々にとってヨーロッパの国々で起こっていることは、ニュースや情報としては知っているものの、現実味に乏しい。学生時代、一生懸命受験のために世界史を勉強した(というより頭に詰め込んだ)知識は随分昔に記憶の彼方に追いやられているし、ヨーロッパといえども決して中心とはいえないローカルな(?)国のことは興味をもつことがなかなかない。
チトー大統領のカリスマ性によって統一体を保っていたユーゴも、大統領亡き後は終わることのない内戦に見舞われ、結局は2003年、セルビア・モンテネグロの誕生により完全にその名称も消滅してしまった(つい先年モンテネグロも独立し、結果的に連邦を形成していた旧ユーゴの国々は各々が完全に独立国家となった)。

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2008年09月14日

奇跡は自ら起こすものなり

The_Who_live_at_leeds.jpgKeith Moon死して30年。今秋、The Whoが単独で日本の地を踏み、初めてコンサートを開催する。結成から44年、あまりにも遅すぎた来日。Keith Moon、John Entwistleを亡くし、今やオリジナルの編成をとりえない、ある意味The Whoの残骸(?!)ともいうべき姿で行われる公演は実際のところどうなのだろうか?コアなファンからしてみると、The Whoという名を名乗り、RogerとPeteがThe Whoの懐かしの名曲群を披露するというだけで鳥肌モノなのだろうが、The Whoの奇跡は、The BeatlesLed Zeppelinの奇跡同様、オリジナルの4人のメンバーたちが揃って起こし得たマジックであり、シナジーであった。
The Beatlesが、あるいはLed Zeppelinが正しい意味において「再結成」がありえなかったように、彼らもかくあるべきではないのかと余計なお世話だが思ってしまうのだ。今回の来日がThe Who名義ではなく、例えばRoger Daltrey & Pete Townshendという形でのパフォーマンスならば、僕は何のわだかまりもなく、即刻納得し、いそいそと会場に出掛けたかもしれない。

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2008年09月13日

ザルツブルク音楽祭75周年記念CD

wiener_philharmoniker_und_ihre_dirigenten.jpg先日、友人のウゾイダがブログで「無欲と大欲」について書いていたのを見て「なるほど」と思った。僕なども「無欲」であることを妙に美徳とし、大事なことを忘れていたように思う。いや、(僕も)知らなかったと言った方が正しい。

ザルツブルク音楽祭75周年記念「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と偉大な指揮者たち」
モーツァルト:歌劇「魔笛」K.626~序曲
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

アルトゥーロ・トスカニーニのザルツブルク音楽祭への出演が最後になった1937年に録音された「魔笛」。その序曲がこの音盤には収められているが、ティンパニの炸裂するキレのある、しかも意味深い有機的な響きが奏でられているのを聴くと、トスカニーニという音楽家には真に「愛」があり、一般的にいわれている「独裁者」というイメージとは程遠いとても人間的な温かい側面をもった大芸術家だったのではないかと容易に想像できる。同年、ライバルであったヴィルヘルム・フルトヴェングラーとザルツブルクの街中において偶然鉢合わせし、口論となったことがきっかけで以降二人の巨匠が交わることは二度となかったということであるが、その際に交わされた会話はあまりにも有名なもの。

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2008年09月12日

スポーツ感覚?!

backhaus_salzburg_1966.jpgもともと小心者のせいか「過去のことは気にするな!」とか「自分の思うように好きにやっていい」と言われてもどうしても拘ってしまう自分がいる。どうも「人と争う」ということ自体が嫌いなようで、どんなことでも「無血革命」のように平和的に解決できることを望む性質なのである。しかしながら、よくよく考えてみると「他者」というものを意識するから「争う」とか「競う」という意識が生まれてくるのだし、「争い」が起こるのではないかと勝手に無意識に想定しているからまた「争う」羽目になるのである。「自分の信念や志を貫くのだ」という考えに完全に身を置いてしまえば「争い」もくそもなくなり、全てを忘れてしまえば何ということはない。ともかく「スポーツ感覚」、つまり趣味のような感覚で好きなことを徹底的に追求することかな・・・。

知人の伝で「To-on Salon Concert~第4回:田村響」を聴いた。バッハの「イタリア協奏曲」、ベートーヴェンの「テンペスト」、ショパンのスケルツォ第1番、リストの「ダンテを読んで」(アンコールはリストの何か・・・曲名はわからない)という超弩急のプログラム。昨年のロン=ティボー国際コンクールの覇者というだけあり、田村君のピアノの響きは重厚で打鍵も重量級。楽器の重みに比してホールの音響がもうひとつであったことが惜しまれるが、演奏そのものは流石。終了後の懇親会ともども十分堪能させていただきました。感謝。

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2008年09月11日

愛の場面

berlioz_romeo_detoit.jpg「Eros Thanatos(すなわち、生と死)」。いつどの映像で初めて観たのかは記憶が定かでない・・・。

僕がモーリス・ベジャールを、そしてジョルジュ・ドンを知ったのは比較的遅い時期、すなわち1988年の頃である。クロード・ルルーシュ監督作「愛と哀しみのボレロ」以降、急速にドンは有名になり、来日公演のたびに(追っかけの)女性たちの間で大変な騒ぎになっていたはずなのだが、88年以前の歴史は僕の中で完全な空白である。88年の「ベジャール・バレエ団(すでに二十世紀バレエ団ではなくなっていた)」としての初来日公演に出掛け、NHKホールで観た演目は「レニングラードの思い出」、「カンタータ第51番」、「パトリス・シェローが、三島とエヴァ・ペロンの出会いを演出する」というものだったか・・・。この時の公演で初めてモダン・バレエに接し、正直よくわからないという印象がどちらかというと強かった。とはいえ、特別にバック・ステージに招待していただき、ベジャールに会い、出演のダンサーを見て、何だか自分が今まで知らなかった世界が拡がるような予感がし、以降、ベジャール関係の書籍を漁り、そして映像を貪るように買って観たことが昨日のことの様に思い出される。

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2008年09月10日

クレメンティ(良き時代)

clementi_immerseel.jpgいつぞや「ホロヴィッツの思い出」というLDを観ていて、この天才ピアニストのオフ・ステージでの素顔がよく撮れていて、晩年はその演奏にも翳りがちらほら見えていたにもかかわらず、その好々爺ぶりに随分好感を持ったということは前にも書いた。記憶は定かではないが、確かそのフィルムの中で、クレメンティの楽譜との出逢いのことを感慨深げに語るホロヴィッツの姿があり、それまではほとんど耳にしたことがなかったクレメンティという作曲家に興味を持ち、いくつかの音盤を購入して聴いたことが懐かしく思い出される。

ともかく耳に邪魔にならずに何となく聴いていられる音楽を流しておこうと採り出したのがムツィオ・クレメンティのソナタ集。彼は1752年の生まれだからモーツァルトの4歳年上ということになる。作曲家自身のことはそれほど文献を漁ったわけではないので詳しくはない。ただ、1781年にウィーンの宮廷で皇帝ヨーゼフ2世の前でかのモーツァルト(当時25歳)と競演し、高い評価を得たという話は有名だ。そのときの様子をヴォルフガングは父親に手紙で報告し、クレメンティのことを酷評しているらしいが、実際にその演奏を聴いたことのあるベートーヴェンは、少なくともピアノ曲に関してはモーツァルトよりクレメンティのほうが上だと評価したらしい。

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2008年09月09日

幻想(あるいは幻聴?)交響曲

berlioz_chung_symphonie_fantastique.jpg自分を振り返り自省したり、未来のことを夢想したり、あるいは人と酒を酌み交わしながら何らかのテーマで議論したり、人は日々「何かをして」生きている。仕事や雑務に追われる毎日を過ごしていると、時には全く何も考えずに、真っ白になってみたいなとふと思う。確か子どもの頃はそうだった。過去のことについてくよくよしたり、未来のことについて心配したり悩んだりせず、ただその日を一生懸命に楽しく生きていた。

1830年頃、つまりフランス7月革命を契機としたヨーロッパ諸国の混乱期は音楽でいうと「ロマン派」のいわば最初期。楽聖ベートーヴェンが亡くなってまだ3年という年で、パリではリストやショパンがいよいよ活動を始め、パガニーニが「ヴァイオリンの鬼神」として世の中を席巻していた、まさにクラシック音楽愛好家垂涎モノの天才芸術家たちが群雄割拠していた時代である(20世紀前半の大指揮者たちの時代も羨ましいが、この時代に生まれ育ち、ショパンやパガニーニの実演を聴けたとしたならきっと鳥肌モノなんだろうな)。そういう時代にあって、まず忘れてはならない大事件が、ベルリオーズの「幻想交響曲」初演。

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2008年09月08日

ワーグナーのピアノ曲!

concert_in_villa_wahnfried.jpg1840年、ヴァイオリンの鬼神と呼ばれたニコロ・パガニーニの死に際し、フランツ・リストが発表した追悼文。
「天才とは、人間の魂に神の存在を啓示する力です。・・・芸術を、おのれの利益や不毛な名声のために似つかわしい手段としてではなく、人間を一つに結びつける、一つの共感できる力としてみなすこと、・・・それこそが、芸術家に課された課題なのです。・・・未来の芸術家が、自己中心的でうぬぼれた役を喜んで放棄すべきことを願って止みません。パガニーニは、そのような役回りをした、最後の輝かしい代表的存在であったと思います。芸術家の目的を、自身の内にではなく、自らの外におくことを願います。芸術家にとって、ヴィルトゥオージティーは手段であって、目的とならないことを望みます。その際、貴族同様、あるいは貴族以上に、天才は義務を負っていることを忘れませんように」
「作曲家◎人と作品シリーズ リスト」(福田弥著・音楽之友社)より)

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2008年09月07日

悲劇の巨匠ヴェデルニコフ

vedernikov_klavierabend.jpg人が喜んでくれる姿を見るのはとても気持ちがいいもの。人はやっぱり他人のために生まれてきているんだろうと実感する。だから、今自分が直面している境遇を不幸と思わなくてもいいし、すべての状況を楽しめばいいのだと思う。

来週の「早わかりクラシック音楽講座」に向け、頭をひねり始めた。これまでの趣向をガラッと変え、歴史の縦軸で切ることを思いついた。1830年、フランス7月革命の頃の各国の状況を背景に、その当時活躍したショパンやシューマン、あるいはベルリオーズ、メンデルスゾーンといった作曲家がどういう想いで楽曲を創作したのかを僕なりの観点で攻めてみようと思っている。それにしても、資料があまりにも膨大・・・。なかなか一筋縄ではいかなく、途方に暮れてしまう。

マニアが血眼になって探している希少CD、「悲劇の巨匠ヴェデルニコフ~20世紀ロシアのピアノ音楽」。発売当初、宇野功芳氏が絶賛している記事を見て購入。1度か2度ほど聴いてそのまま棚の奥にしまってあった代物。

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2008年09月06日

かくあるべし

beethoven_12_busch.jpg世の中どこでも「かくあるべし」という理想のようなものはあるだろうが、実際には「あらねばならない」姿などなく、一つの答など存在しないように思う。
ただ、人は誰もが人と比べるという癖を持っている(厳密には教育により持たされる)。「隣の芝生は青く見える」という諺どおり、どうしても他と比較して自己を卑下し、その結果「軸」がぶれたり、迷走したりしてしまう。
生きていく上で「環境」はとても重要な要素だ。江川三郎先生曰く「オーディオは環境に依存する」ということだが、人間などもっと環境に左右される。世の中、多い方が正しいというわけではないのだが、多数派の意見は正しいように思えて、流されてしまい、後悔するという体験が誰にでもあるだろう。確固とした意思を持ったとしても、否定的な環境にいればその意思がガタガタとあっという間に崩れ落ちるということも多々ある。

独立独歩で仕事をしている人間から、「安定」を求めていると聞いて、果たして「安定」というものが本当にあるのかと問い返した。未来のことはわからない。もしあるとするなら「今を一生懸命に生きること」がすなわち「安定」か・・・。

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2008年09月05日

君がため

haydn_77_abq.jpg-おいしい料理を作るコツは何ですか。
旬のものを安く手に入れ、美しく刻み、手早く調理して、心を込めて盛りつける。何より重要なのは「君がため」です。大切な、大切な人に食べていただくという気持ちで作る。そこに込めた愛情が一つでも欠けたら、ゼロになってしまう。

今日の朝日新聞夕刊を読んでいて「『君がため』に精進料理」という記事が目に留まった。語り手は滋賀県大津市にある月心寺住職の村瀬明道尼さん(その精進料理はちょっと前巷を騒がした「吉兆」の創業者・湯木貞一さんが高く評価したことで有名らしい)。住職は39歳の時大きな交通事故に遭い、右半身不随とのこと。かろうじて命をとりとめたという経験から「九死に一生を得て思うのは、来年の今日、自分がこの世にいるかなんて誰にもわからないということ。だから、自分を欺かず、いまを精いっぱい生きなければならないと思うようになりました。」と語る。
世の中に失敗や不幸ということはない。どんなことも最後は成長の糧になるのだからともかく一生懸命に、そして継続して、だ。

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2008年09月04日

三十にして立つ

beethoven_guarneri.jpg人は30歳を迎える頃にふと立ち止まり、「人生」について考えることが多くなるようだ。
その頃のことを思い返すと、そういえば僕自身もそうだった。

仕事を義務と捉え、夢(世の中に向けてやりたいこと)をゲームのように楽しむものと考えるのは一般的だと思うが、夢-すなわち「ライフワーク」を義務(must)とし、仕事をゲーム(のように楽しむもの)だと考えるようになったら、諸々のことが随分楽に考えられるようになり、自分が何をしなければいけないのかがよく見えてきたという話を聞いた。生活資金を稼いでいく手段として割り切りながらも、ある程度キャリアを積んでいけば、相応の成果を挙げていくことは、一定の能力をもったビジネスマンなら難しいことではない。ビジネスを客観的に捉え一種のゲームとして進めていけば、確かに日常のストレスから随分解放されるだろう。
一方で、「夢=ライフワーク」-例えば、それが「人を助ける、救う」といった漠然とした大きい目標、目的であってもいい-に関しては「やらなければならないこと」と自らに強制的に科し、鼓舞することは容易いことに見えて決して簡単なことではない。「やらねばならぬ」と決意・決心し、背水の陣を敷かないことには物事は始まらない。

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2008年09月03日

河野鉄平の写真にはピアソラが似合う・・・

piazzolla_kronos_q_tango_sensations.jpgフリーカメラマンの河野鉄平君が本を出した。「写真の撮り方ハンドブック」(誠文堂新光社)。早速書店で購入してざっと眺めてみる(写真の撮り方そのものには興味がないので、読むというよりはページのあちらこちらに散りばめられている彼の撮った写真を見るという感じに近い)。彼のブログは冗談風で訳のわからない(笑)感情をそのまま表現した日記のようなもので、通常は極めて幼稚な表現(爆笑)が多いのだが、時折、「へぇなるほど、たいしたものじゃない!」と唸らせるような真面目な文章がUPされるので驚くことがある。ちなみに8月28日の『個展ありがとう!』は、とても爽やかで素直な心情が綴られており、河野鉄平という男の意外な側面(というかまさにこれが彼の本質なんだが)が垣間見られて面白い。
同様に今回上梓された書籍でも、『人はみな、何かしら表現をしてみたいと、心のどこかで思っているものです』と始まる「はじめに」と題する前書きも鉄平君らしい純粋さと写真に対する想いの深さが行間から溢れ出るようなニュアンスで書かれており、彼の人を惹きつける不思議な魅力は、こういう真剣で本気なところから発せられているものなんだろうと再確認した次第である。

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2008年09月02日

忘れじのムターのブラームス

brahms_mutter_karajan.jpgたった独りで全てをこなせる人は決して多くない。夫婦にせよ共同経営者にせよお互いが自分を主張し過ぎず、相手の短所をカバーし合い、長所を受容しあうことで物事はきっとうまくいく。まさに「二人で一人」という状態が最も理想的。要はバランスなのである。

アンネ=ゾフィー・ムターの音楽から随分遠ざかっている。遠ざかっているというのは、日常で全く耳にしていなかったということではない。毎年のように発売されるディスクをまめに蒐集していないし、来日公演もいつ以来なのか覚えていないほど聴いていないということである。CDを購入するという行為はともかくとして、ハイドシェックツィマーマン、あるいはポゴレリッチならば(ヴァイオリニストならチョン・キョン=ファ!)来日するとなると必ず足を運ぶのだが、ムターに関しては「今回はまぁいいか」といつも思ってしまう。何度か聴いた実演にあまり感動できなかったということが大きな理由なのかもしれない(ただし、前にも書いたように2回目の来日時、大阪フェスティバルホールでのモーツァルトとブラームスの協奏曲にはいたく感動したし、ヴァイオリンという楽器の面白さ、音色の美しさを教えてくれたのがムターだったと言っても決して言い過ぎではない)。

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2008年09月01日

蟻の目、そして鳥の目

tchaikovsky_toscanini_horowitz.jpg一見マイナスに見えることでも、後になって振り返ると「あれで良かったんだ」と思えることはよくあることだ。人は誰しも目先のことに執着すると、判断力を欠き、ものの本質が見えなくなり、ついついチャンスを逃してしまったり、間違った(間違ってるかどうかはそもそも判断できないが・・・)方向に進んでしまうことがある。自分自身に余裕がないときなどは特にそういう状態になってしまうのだが、特にこれまで順風満帆に育ち、挫折を経験していなかったり、壁にぶちあたったなどの経験を持たない優等生(あるいは何にも考えていないお馬鹿さんかも・・・)にこのタイプが多いように思う。
ともかく長期的な観点でことに携わり、ある時は物事をミクロ的に見、ある時は一歩引いて客観的にとらえるということはとても重要なことである。

「執着」、あるいは「とらわれ」。そういうものを無くす一番の方法は、やっぱり他人に喜んでいただけるような行動を1回でも多くできるよう心がけることだろう・・・。

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