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2008年10月 アーカイブ
2008年10月31日

中国の不思議な役人

bartok_kocsis_hauser.jpg学生時代、社会学という比較的新しい分野の学問を専攻していたゆえ、振り返ってみると役に立つ書籍を多く読まされたように思う。その頃は、まさか自分自身が人間教育を生業にするとは夢にも思っていなかったので、もちろん真面目に勉強などしたことがなかったし、深く追求して研究するなどということもおおよそなかった。今になってみれば、当時もっと真剣に勉強しておけば良かったと後悔の念が絶えないが、その辺りは「若気の至り」ということで、自分自身を許すしかないし、今からでも遅くないと考え直して日々勉強に勤しんでいる(笑)。
そういうわけで、特に、独立してからは、提供する研修により一層磨きをかけようといろいろな分野に興味を持ち、体感できるものはなるべく体感しようと努力し、薦められた本はできるだけしっかり読もうと思うようにもなった。ちょっと古いが(といっても1年前の発刊)、「シンクロニシティ~未来をつくるリーダーシップ」(ジョセフ・ジャウォースキー著)という本を薦められたので、昨日から読み始めている。まだまだ導入部に過ぎないので言及は避けるが、よくある一般的な「リーダーシップ論」ではなさそうなのが良い。その中で、かつて学生の頃に必要に迫られ(といってもレポートを提出しなければいけなかったとか理由だが)読んだ古典的名著エーリヒ・フロムの「愛するということ」(紀伊国屋書店)が、おそらく著者の人生を変えたたくさんある書籍のうちの一冊ということで紹介されていた。

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2008年10月30日

ミュンシュのコンサートホール・レコーディング集

munch_concert_hall_recordings.jpg先日の滋賀短期大学での公開講座記録集のための原稿を作成しなければならず、やっと一息つけたのでその作業を始めた。レポートにして10枚程度、当日講演した内容をまとめるということなのだが、何をしゃべったのか細かいところまで思い出すのが意外に大変。
たった10日前の話しながら、ほとんどアドリブ的に話をしたものだから、レジュメを頼りに順番に書き出した。報告書という形で残るのだからどうせならきちっと良いものにしようと考えた。

何をするのであれ、どんな夢を見るのであれ、それを始めること。
大胆さには、驚くほどの創造力と、活力と、不思議な力がある。
(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)

BGMに、アルバン・ベルク四重奏団によるドヴォルザークの弦楽四重奏曲作品105を何度も繰り返した後、ふと思い立ち、久しぶりにシャルル・ミュンシュのフランクに耳を傾ける。

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2008年10月29日

未来は変化する

haydn_ABQ_76_2_4.jpg近年の「人材開発」の潮流は、研修のための研修に終わらず、受講者を行動変容に至るまでフォローし、結果を残すことに重点を置くシステムを開発提供することに尽きるのだという話を昨日ある会合で聞いた。それと、強みも弱みも含めてその人であるということを認め、あくまで自然体で成果に結びつけていくには組織の中に生きる個々人をどうしていくべきか、そして個人のタレント-すなわち誰もが潜在的に持っている能力をいかに引き出し、いかに生かすかという「タレント・マネジメント」が主流になり始めたようである。当然といえば当然の流れ。

「ティッピング・ポイント」を著したマルコム・グラッドウェル氏は、若いうちから能力に長けている人もいれば、時間をかけることによって長期的にタレントを開花させていく人も多くいるゆえ、個人の持つ長所を気長に引き出すことを企業側も考える必要があるということを説いているようだ。しかし、その一方で、多くの企業は目先の売上を重視する傾向が相変わらず強く、従業員ひとりひとりに「結果」を求め、「結果」だけをものさし(すなわち判断基準)にするあまり、その人の能力の芽を摘み取り、時には心の問題に発展したり、理想と現実の間にある「壁」はまだまだ高いように思われる。何だか「矛盾」だらけだ。

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2008年10月28日

バッハ弾きブーニン

bach_recital_bunin.jpg雲ひとつない快晴で気持ちが良い一日。代官山でアポイントがあり、往復の地下鉄車中で読みかけの本を開くと、ことのほか集中でき、著者の言いたいことが冴え渡る頭に染み込む。「ダイアローグ~対立から共生へ、議論から対話へ」(デヴィッド・ボーム著)
人と人とがコミュニケートする時、全くの白紙状態で相手に対峙することは極めて難しい。相手の話を聴きながらも自分が次にする反論を考えていたり、全く別のことを考えてしまったりする。相手を打ち負かすのでなく、受け容れながら、自らの思考を「0(ゼロ)」の状態にして交流すること、すなわちそれが「対話」であるのだとこの著者も言いたいのだということがよくわかった。「著者も」と敢えて書いたのは、手前味噌ながら僕自身がこの1年ほどで体感を伴って感じ、考えていたこと、そしてセミナーや企業研修を通じて受講いただく皆さんにお伝えしたいと努力してきたことだからだ。すべてが「対話」で解決することはおそらくないのだろうが、問題解決の糸口としてはほぼ絶対的な価値をもつのではないかと思えてならない。

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2008年10月27日

焼酎を呑むとアルゲリッチが恋しくなる

argerich_kord.jpg愉快なひとときを過ごした。渋谷で酒を酌み交わしたのだが、ご好意でいただいた焼酎のボトル(麦製天草)を水割りで美味しく飲み干す。不思議なことに焼酎が身体に染みるとアルゲリッチの音楽を聴きたくなる。おそらくアルゲリッチのじゃじゃ馬的な「何か」を連想させてくれるのだろう(笑)。
それにしても、今日も男と女の話に終始したが、やっぱり男女は異星人である。どこまでいっても平行線で生涯わかりあうことのない妙な関係でありながら結局添い遂げてしまう因縁に基づいた関係。人生が牢獄であり、修行のために生まれてきたと仮定するなら恋愛や結婚こそが最も厳しい現実なのだろうとふと考える。とはいえ、そういう僕はとても幸せなのだが・・・(笑)。

先日第10回ショパン国際コンクールの模様のいくつかをDVDで観たことは書いた。おそらくその年のオープニング・ライブだと思うのだが、棚の奥にしまってあったアルゲリッチの協奏曲録音を久しぶりにとり出して聴いてみた。

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2008年10月26日

「ゴルトベルク変奏曲」を聴き給え!

Souvenirs_Chung.jpgJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」は偉大である。こんなにも精密に構成され、しかも飽きの来ない音楽は古今東西広しといえどもなかなか見つかるものではないだろう。アリアに始まりアリア・ダカーポで終わるという、まるで輪廻転生のような造り。そして、その主題の間には性格を異にした30もの変奏が「宇宙の真理」に則って繰り広げられるという妙味。それに、3変奏毎にカノンが現れるという事実と、基本的に調性がト長調の音楽の中で、3回だけト短調になる(第15、21、25変奏)という光と翳をこれほどまでに巧みに組み合わせた創造物はまずないといっても良い。

本日の第20回「早わかりクラシック音楽講座」のテーマは、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」。もう何度聴いたかはっきりしないくらい人生のポイントで涙させていただいた至高の芸術作品。講座の詳細報告は別に譲るが、今回はできるだけ多くの音盤を聴いていただこうと種々様々な演奏をとっかえひっかえCDトレーに乗っけた。グレン・グールドの新旧録音、そして昨日採り上げたザルツブルク・ライブニコラーエワの新盤ヒューイットの演奏、そしてレオンハルトがチェンバロで演奏したもの。さらにはシトコヴェツキー編曲による弦楽三重奏版弦楽合奏版。嗚呼、どんなアレンジで聴こうとこの音楽に秘められた神秘性は揺るがず、人間の持つあらゆる感情を表現した人類の至宝であることは間違いない。しつこいようだが、この音楽を知らずして「人間」を語ることなかれ。それほどまでに人生の全てがこの中にはある。
とにもかくにも「ゴルトベルク変奏曲」を聴き給え!

2008年10月25日

座禅の会、グールドのザルツブルク・ライブ

gould_salzburg_recital_1959.jpg友人のお誘いを受け、駒込にある曹洞宗法輪山泰宗寺の座禅朝課に参加した。所謂本格的な道教のお寺での座禅の会。7:30頃に到着し、まずは作法の一切をご教示いただき、8:00~9:00が朝課。うちおそらく30分ほどが座禅なのだが、邪念が多いのか、あるいは姿勢に慣れないせいか、なかなか集中できない。終了合図の1分ほど前にふっと何かが吹っ切れたような感覚はあったが、気のせいかもしれない。まだまだ修行が足りないようだ(笑)。その後、住職の指示のもと、皆で般若心経とその他いくつかのお経(何というお経なのかは不明)を読経し、終了。毎週土曜日の朝開催されているようなので、また機会をみて参加してみようと思う。

今月は公開講座企業研修など事前に準備をしなければいけないイベントが多く、明日の「早わかりクラシック音楽講座」についてゆっくり考察する暇がなかなかとれなかったのだが、やっと考えることができた。ともかく朝からいくつかの「ゴルトベルク変奏曲」を聴き、心の赴くままに楽曲を捉え、J.S.バッハが何を伝えたかったのかをあれこれ想像しながら講義の整理をする。グレン・グールドの弾く2種の音盤(55年盤、81年盤)も一気に聴いた。こうやって並べて聴いてみると、どちらも捨てがたい。グールドにとってメジャー・デビューとなった55年盤の「ゴルトベルク」は、信じられないような颯爽とした若々しいテンポで、以前ならせかせかと速過ぎて体内リズムにどうもしっくりこないという印象をもったのだが、最近はむしろこちらの方がぴったりくると思えるほど、この演奏の価値がやっとわかってきたように思う。かといって、連続で聴いた81年盤の沈潜するようなテンポが遅すぎるという印象を受けるのかといえば決してそうでないところがグレン・グールドの凄いところ。こちらの演奏を聴けば聴いたで、まさに「こうでなければ!」と即座に納得させるだけの説得力を持つのである。録音に25年余りの歳月の差があるとはいえ、クラシック音楽の演奏解釈の幅、可能性をこれほどまでに体感させてくれるピアニストは稀有だろう。

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2008年10月24日

カルロス爆発!

beethoven_7_c_kleiber.jpg何と、カルロス・クライバー&バイエルン国立歌劇場の「ばらの騎士」(1973年7月13日)の正規Live盤がOrfeo D’orから発売された!映像は2種残っているものの、CD(それもハイブリッドSACD)でのリリースは初で、カルロス43歳時の今や伝説となっている極めつけの美演がとうとう最高音質で聴けるのだ。嬉しさ余り、自分へのご褒美(本日の研修が成功裡に終わったこと)の意味も兼ねて即購入した。
観客の圧倒的な拍手の後、登場するなり演奏を始めるところからもうカルロス・クライバーの「ばらの騎士」以外の何物でもない!かっこ良過ぎる・・・。
当然まだまだ聴き込んでいないので、この音盤についてはいずれ具体的に書くことにしよう。

日本青年館での2008年新入社員合同(半年振り返り)研修。「親和」のコミュニケーションの重要性、「共感力」、「自信」、「自他を受容」することなど、人間力の養成をテーマとして、体験実習を織り交ぜながら自論を語り、9:00から18:00過ぎまで32名の若者たちと共に過ごさせていただいた。皆前向きでとても素直。研修の始まった当初は多少の硬さがあったもののすぐに打ち解けて、一生懸命に取り組んでくれた。感謝。

ところで、先日の結婚式の際に知人からいただいた「号外」に次のフレーズが採り上げられており、思わず「やっぱり!」と膝を叩いてしまった。

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2008年10月23日

新しき人生哉

mozart_pires_dumay.jpg新幹線で品川駅に到着するや、東京の空気の悪さにむせ返り、環境の悪さが一層身に染み入る。1週間ほど都会を離れると、いかに田舎の空気がきれいかがよくわかる。
お昼前、6日ぶりに帰京。

21日(火)の滋賀短期大学教養講座は、お陰さまで100名近くものお客様にご来場いただき、1時間ほどの短い講演ではあったものの、臆することなく岡本流「クラシック音楽の聴き方」を披露できたと思う(ただし、本当はもう少し詳細にお話したい箇所は多々あったが)。終了後、早速メールにて励ましとお礼の言葉をいただき、拙いながらもこういう活動がクラシック音楽人口の裾野を少しでも広げるための役に立てるのならば、僕自身も半ば趣味ながら頑張って講座をやっていけるかなと少々嬉しくなった。明後日の「早わかりクラシック音楽講座」も早20回目となることだし、今回は、僕が愛して止まない史上最高の名曲の一つであるJ.S.バッハのゴルトベルク変奏曲をいよいよ採り上げる予定でもあるので今から楽しみだ。

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2008年10月20日

到一

pogorelich_mozart.jpg人生半ばを迎え、遅ればせながら一大イベントを終え、無事一夜が明けた。何の変哲も無いいつも通りの日常ながら、昨日の記念すべき一日を振り返ると感慨深い。両親を含め多くの親戚縁者の方々にお祝いを頂き、そして格別に喜んでいただき、とても幸せなひと時を過ごせたことに感謝する。
本日午後一番に、帰省時に必ず詣でる、村の鎮守である飯道神社を訪れ報告を済ませる。わずかに紅葉気味の樹々の合間を潜り抜け、小一時間ばかり7丁目までの道のりをゆっくりと登る。新鮮な空気と山間から流れ出る山水が身体に染みる。山頂では第二の人生を新たな気持ちで送ることを再決意。

ポゴレリッチのモーツァルトを聴く。

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283
イーヴォ・ポゴレリッチ(ピアノ)

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アレグロ・コン・ブリオ~「愛」+「勇気」=「ワンネス」:2008年10月アーカイブ
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2008年10月31日

中国の不思議な役人

bartok_kocsis_hauser.jpg学生時代、社会学という比較的新しい分野の学問を専攻していたゆえ、振り返ってみると役に立つ書籍を多く読まされたように思う。その頃は、まさか自分自身が人間教育を生業にするとは夢にも思っていなかったので、もちろん真面目に勉強などしたことがなかったし、深く追求して研究するなどということもおおよそなかった。今になってみれば、当時もっと真剣に勉強しておけば良かったと後悔の念が絶えないが、その辺りは「若気の至り」ということで、自分自身を許すしかないし、今からでも遅くないと考え直して日々勉強に勤しんでいる(笑)。
そういうわけで、特に、独立してからは、提供する研修により一層磨きをかけようといろいろな分野に興味を持ち、体感できるものはなるべく体感しようと努力し、薦められた本はできるだけしっかり読もうと思うようにもなった。ちょっと古いが(といっても1年前の発刊)、「シンクロニシティ~未来をつくるリーダーシップ」(ジョセフ・ジャウォースキー著)という本を薦められたので、昨日から読み始めている。まだまだ導入部に過ぎないので言及は避けるが、よくある一般的な「リーダーシップ論」ではなさそうなのが良い。その中で、かつて学生の頃に必要に迫られ(といってもレポートを提出しなければいけなかったとか理由だが)読んだ古典的名著エーリヒ・フロムの「愛するということ」(紀伊国屋書店)が、おそらく著者の人生を変えたたくさんある書籍のうちの一冊ということで紹介されていた。

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2008年10月30日

ミュンシュのコンサートホール・レコーディング集

munch_concert_hall_recordings.jpg先日の滋賀短期大学での公開講座記録集のための原稿を作成しなければならず、やっと一息つけたのでその作業を始めた。レポートにして10枚程度、当日講演した内容をまとめるということなのだが、何をしゃべったのか細かいところまで思い出すのが意外に大変。
たった10日前の話しながら、ほとんどアドリブ的に話をしたものだから、レジュメを頼りに順番に書き出した。報告書という形で残るのだからどうせならきちっと良いものにしようと考えた。

何をするのであれ、どんな夢を見るのであれ、それを始めること。
大胆さには、驚くほどの創造力と、活力と、不思議な力がある。
(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)

BGMに、アルバン・ベルク四重奏団によるドヴォルザークの弦楽四重奏曲作品105を何度も繰り返した後、ふと思い立ち、久しぶりにシャルル・ミュンシュのフランクに耳を傾ける。

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2008年10月29日

未来は変化する

haydn_ABQ_76_2_4.jpg近年の「人材開発」の潮流は、研修のための研修に終わらず、受講者を行動変容に至るまでフォローし、結果を残すことに重点を置くシステムを開発提供することに尽きるのだという話を昨日ある会合で聞いた。それと、強みも弱みも含めてその人であるということを認め、あくまで自然体で成果に結びつけていくには組織の中に生きる個々人をどうしていくべきか、そして個人のタレント-すなわち誰もが潜在的に持っている能力をいかに引き出し、いかに生かすかという「タレント・マネジメント」が主流になり始めたようである。当然といえば当然の流れ。

「ティッピング・ポイント」を著したマルコム・グラッドウェル氏は、若いうちから能力に長けている人もいれば、時間をかけることによって長期的にタレントを開花させていく人も多くいるゆえ、個人の持つ長所を気長に引き出すことを企業側も考える必要があるということを説いているようだ。しかし、その一方で、多くの企業は目先の売上を重視する傾向が相変わらず強く、従業員ひとりひとりに「結果」を求め、「結果」だけをものさし(すなわち判断基準)にするあまり、その人の能力の芽を摘み取り、時には心の問題に発展したり、理想と現実の間にある「壁」はまだまだ高いように思われる。何だか「矛盾」だらけだ。

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バッハ弾きブーニン

bach_recital_bunin.jpg雲ひとつない快晴で気持ちが良い一日。代官山でアポイントがあり、往復の地下鉄車中で読みかけの本を開くと、ことのほか集中でき、著者の言いたいことが冴え渡る頭に染み込む。「ダイアローグ~対立から共生へ、議論から対話へ」(デヴィッド・ボーム著)
人と人とがコミュニケートする時、全くの白紙状態で相手に対峙することは極めて難しい。相手の話を聴きながらも自分が次にする反論を考えていたり、全く別のことを考えてしまったりする。相手を打ち負かすのでなく、受け容れながら、自らの思考を「0(ゼロ)」の状態にして交流すること、すなわちそれが「対話」であるのだとこの著者も言いたいのだということがよくわかった。「著者も」と敢えて書いたのは、手前味噌ながら僕自身がこの1年ほどで体感を伴って感じ、考えていたこと、そしてセミナーや企業研修を通じて受講いただく皆さんにお伝えしたいと努力してきたことだからだ。すべてが「対話」で解決することはおそらくないのだろうが、問題解決の糸口としてはほぼ絶対的な価値をもつのではないかと思えてならない。

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2008年10月27日

焼酎を呑むとアルゲリッチが恋しくなる

argerich_kord.jpg愉快なひとときを過ごした。渋谷で酒を酌み交わしたのだが、ご好意でいただいた焼酎のボトル(麦製天草)を水割りで美味しく飲み干す。不思議なことに焼酎が身体に染みるとアルゲリッチの音楽を聴きたくなる。おそらくアルゲリッチのじゃじゃ馬的な「何か」を連想させてくれるのだろう(笑)。
それにしても、今日も男と女の話に終始したが、やっぱり男女は異星人である。どこまでいっても平行線で生涯わかりあうことのない妙な関係でありながら結局添い遂げてしまう因縁に基づいた関係。人生が牢獄であり、修行のために生まれてきたと仮定するなら恋愛や結婚こそが最も厳しい現実なのだろうとふと考える。とはいえ、そういう僕はとても幸せなのだが・・・(笑)。

先日第10回ショパン国際コンクールの模様のいくつかをDVDで観たことは書いた。おそらくその年のオープニング・ライブだと思うのだが、棚の奥にしまってあったアルゲリッチの協奏曲録音を久しぶりにとり出して聴いてみた。

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2008年10月26日

「ゴルトベルク変奏曲」を聴き給え!

Souvenirs_Chung.jpgJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」は偉大である。こんなにも精密に構成され、しかも飽きの来ない音楽は古今東西広しといえどもなかなか見つかるものではないだろう。アリアに始まりアリア・ダカーポで終わるという、まるで輪廻転生のような造り。そして、その主題の間には性格を異にした30もの変奏が「宇宙の真理」に則って繰り広げられるという妙味。それに、3変奏毎にカノンが現れるという事実と、基本的に調性がト長調の音楽の中で、3回だけト短調になる(第15、21、25変奏)という光と翳をこれほどまでに巧みに組み合わせた創造物はまずないといっても良い。

本日の第20回「早わかりクラシック音楽講座」のテーマは、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」。もう何度聴いたかはっきりしないくらい人生のポイントで涙させていただいた至高の芸術作品。講座の詳細報告は別に譲るが、今回はできるだけ多くの音盤を聴いていただこうと種々様々な演奏をとっかえひっかえCDトレーに乗っけた。グレン・グールドの新旧録音、そして昨日採り上げたザルツブルク・ライブニコラーエワの新盤ヒューイットの演奏、そしてレオンハルトがチェンバロで演奏したもの。さらにはシトコヴェツキー編曲による弦楽三重奏版弦楽合奏版。嗚呼、どんなアレンジで聴こうとこの音楽に秘められた神秘性は揺るがず、人間の持つあらゆる感情を表現した人類の至宝であることは間違いない。しつこいようだが、この音楽を知らずして「人間」を語ることなかれ。それほどまでに人生の全てがこの中にはある。
とにもかくにも「ゴルトベルク変奏曲」を聴き給え!

2008年10月25日

座禅の会、グールドのザルツブルク・ライブ

gould_salzburg_recital_1959.jpg友人のお誘いを受け、駒込にある曹洞宗法輪山泰宗寺の座禅朝課に参加した。所謂本格的な道教のお寺での座禅の会。7:30頃に到着し、まずは作法の一切をご教示いただき、8:00~9:00が朝課。うちおそらく30分ほどが座禅なのだが、邪念が多いのか、あるいは姿勢に慣れないせいか、なかなか集中できない。終了合図の1分ほど前にふっと何かが吹っ切れたような感覚はあったが、気のせいかもしれない。まだまだ修行が足りないようだ(笑)。その後、住職の指示のもと、皆で般若心経とその他いくつかのお経(何というお経なのかは不明)を読経し、終了。毎週土曜日の朝開催されているようなので、また機会をみて参加してみようと思う。

今月は公開講座企業研修など事前に準備をしなければいけないイベントが多く、明日の「早わかりクラシック音楽講座」についてゆっくり考察する暇がなかなかとれなかったのだが、やっと考えることができた。ともかく朝からいくつかの「ゴルトベルク変奏曲」を聴き、心の赴くままに楽曲を捉え、J.S.バッハが何を伝えたかったのかをあれこれ想像しながら講義の整理をする。グレン・グールドの弾く2種の音盤(55年盤、81年盤)も一気に聴いた。こうやって並べて聴いてみると、どちらも捨てがたい。グールドにとってメジャー・デビューとなった55年盤の「ゴルトベルク」は、信じられないような颯爽とした若々しいテンポで、以前ならせかせかと速過ぎて体内リズムにどうもしっくりこないという印象をもったのだが、最近はむしろこちらの方がぴったりくると思えるほど、この演奏の価値がやっとわかってきたように思う。かといって、連続で聴いた81年盤の沈潜するようなテンポが遅すぎるという印象を受けるのかといえば決してそうでないところがグレン・グールドの凄いところ。こちらの演奏を聴けば聴いたで、まさに「こうでなければ!」と即座に納得させるだけの説得力を持つのである。録音に25年余りの歳月の差があるとはいえ、クラシック音楽の演奏解釈の幅、可能性をこれほどまでに体感させてくれるピアニストは稀有だろう。

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2008年10月24日

カルロス爆発!

beethoven_7_c_kleiber.jpg何と、カルロス・クライバー&バイエルン国立歌劇場の「ばらの騎士」(1973年7月13日)の正規Live盤がOrfeo D’orから発売された!映像は2種残っているものの、CD(それもハイブリッドSACD)でのリリースは初で、カルロス43歳時の今や伝説となっている極めつけの美演がとうとう最高音質で聴けるのだ。嬉しさ余り、自分へのご褒美(本日の研修が成功裡に終わったこと)の意味も兼ねて即購入した。
観客の圧倒的な拍手の後、登場するなり演奏を始めるところからもうカルロス・クライバーの「ばらの騎士」以外の何物でもない!かっこ良過ぎる・・・。
当然まだまだ聴き込んでいないので、この音盤についてはいずれ具体的に書くことにしよう。

日本青年館での2008年新入社員合同(半年振り返り)研修。「親和」のコミュニケーションの重要性、「共感力」、「自信」、「自他を受容」することなど、人間力の養成をテーマとして、体験実習を織り交ぜながら自論を語り、9:00から18:00過ぎまで32名の若者たちと共に過ごさせていただいた。皆前向きでとても素直。研修の始まった当初は多少の硬さがあったもののすぐに打ち解けて、一生懸命に取り組んでくれた。感謝。

ところで、先日の結婚式の際に知人からいただいた「号外」に次のフレーズが採り上げられており、思わず「やっぱり!」と膝を叩いてしまった。

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2008年10月23日

新しき人生哉

mozart_pires_dumay.jpg新幹線で品川駅に到着するや、東京の空気の悪さにむせ返り、環境の悪さが一層身に染み入る。1週間ほど都会を離れると、いかに田舎の空気がきれいかがよくわかる。
お昼前、6日ぶりに帰京。

21日(火)の滋賀短期大学教養講座は、お陰さまで100名近くものお客様にご来場いただき、1時間ほどの短い講演ではあったものの、臆することなく岡本流「クラシック音楽の聴き方」を披露できたと思う(ただし、本当はもう少し詳細にお話したい箇所は多々あったが)。終了後、早速メールにて励ましとお礼の言葉をいただき、拙いながらもこういう活動がクラシック音楽人口の裾野を少しでも広げるための役に立てるのならば、僕自身も半ば趣味ながら頑張って講座をやっていけるかなと少々嬉しくなった。明後日の「早わかりクラシック音楽講座」も早20回目となることだし、今回は、僕が愛して止まない史上最高の名曲の一つであるJ.S.バッハのゴルトベルク変奏曲をいよいよ採り上げる予定でもあるので今から楽しみだ。

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2008年10月20日

到一

pogorelich_mozart.jpg人生半ばを迎え、遅ればせながら一大イベントを終え、無事一夜が明けた。何の変哲も無いいつも通りの日常ながら、昨日の記念すべき一日を振り返ると感慨深い。両親を含め多くの親戚縁者の方々にお祝いを頂き、そして格別に喜んでいただき、とても幸せなひと時を過ごせたことに感謝する。
本日午後一番に、帰省時に必ず詣でる、村の鎮守である飯道神社を訪れ報告を済ませる。わずかに紅葉気味の樹々の合間を潜り抜け、小一時間ばかり7丁目までの道のりをゆっくりと登る。新鮮な空気と山間から流れ出る山水が身体に染みる。山頂では第二の人生を新たな気持ちで送ることを再決意。

ポゴレリッチのモーツァルトを聴く。

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283
イーヴォ・ポゴレリッチ(ピアノ)

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2008年10月18日

静寂・・・

高原の気温は東京に比べかなり低い。しかも朝夕の温度差が激しい。それでも今日の日中の温度は24℃と10月中旬とは思えない陽気と快晴でとても気持ちが良い。それに特に夜中などは、都会の喧騒から離れ、全くの静寂が世間を包み、信じられないような深い眠りに誘われ、たった一晩とはいえ心身がすこぶるリフレッシュされた。人は睡眠中の無意識下においても、当然ながら五感が働き、耳が余計な音をキャッチしているようで、日常の雑音が当たり前になっている東京の生活ではおそらく眠っているようで思ったほど眠れていないのだろう。上京した最初の頃、慣れない騒音のためなかなか眠りにつけないことも多々あったように記憶するが、四半世紀もそういう生活に慣らされると、どんなうるさい中でも普通に寝れるようになるわけだから、人間の適応能力の凄さもさることながら、習慣とは恐ろしいものだとふと思った。

朝から相方が弾くピアノの音を耳にしただけで、まる一日「音楽」なしの生活。これはこれで貴重な日常。「音楽」なしとはいえ、外の世界に意識を向けると、風の音、虫の声、鳥の鳴き声がいつも以上に聴こえてくる。とても新鮮・・・。

2008年10月17日

「まだまだ」

bach_fugue_gould.jpg「俺は引退するには早すぎる」
齢93の朝比奈隆が入院中のベッドに横たわりながら呟いた最後の言葉である。朝比奈先生はロシア人指揮者エマニュエル・メッテルの薫陶を受け、専門的な音楽教育を全く受けることなく自身の最大限の努力により世界的指揮者にまで駆け上がった努力の人であった。その彼が座右の銘にしていた師からの言葉。
「一日でも長く生き、一回でも多くステージに立て」

「オーケストラ、それは我なり~朝比奈隆・四つの試練」(中丸美繪著)を読み、晩年、多くの音楽ファンの拍手喝采を浴び、自身の音楽というものを追及し続けていた朝比奈先生にも(当然ながらそういう姿しか知る由もない)、幼年時代の隠された真実、苦悩、逆境があったこと、そしてご子息の千足氏の言による「家庭では一般のイメージとは程遠いくらい厳しく無口な父親であった」という事実に少なからず衝撃を感じさせられた。ある意味、人間が自立、そして成長するためには、不安、失敗や挫折の経験こそが重要な要素になるのだろうと再確認した。

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2008年10月16日

ホメオパシー、シベリウス

sibelius_3_segerstam.jpgホメオパシーについてここ数年勉強し、今後ホメオパスとして活動していこうと考えている友人にホメオパシー概念の大枠を教えてもらった。別件で来宅いただいた際に、お茶を飲みながら30分ほど語っただけなので、僕がホメオパシーのことをどれだけ理解したかあまり自信がないが、「病気など問題を引き起こすものはその問題を取り除ける性質を本来持っており」、「その問題を引き起こす物質と極めて近い物質を最小限まで薄めて(微小なエネルギー体にまで分解するということか・・・)処方することで症状を緩和させたり、治すことができる」というものらしい。しかも、驚きなのは一度処方するだけで、医者のように継続的に掛かりつける必要がないのだという。一旦細胞に記憶させることで自己治癒力が向上し、本来あるべきバランスに戻っていけるというわけだから人間のもつ潜在的なパワーというのはやっぱり大したものである。

久しぶりにセーゲルスタムのシベリウスを聴きたくなった。

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2008年10月15日

素直に自分を伝えること

tchaikovsky_maisky_sinopoli.jpg自分の気持ちや思いの丈をストレートに表現できないことは辛いことである。家庭の事情や幼少の経験から「伝えること」を禁じられていたり、あるいは体得していなかったり、または無条件に受け容れられるという体感が足りない時、人は自らに閉じこもり、発散することなく、あらゆる感情を鬱積させてしまう。「病は気から」というが、精神的に不安定になったり、身体が弱く病気がちな人の共通した特長といえば、子どもの頃のストローク不足という点が指摘できるように僕には感じられる。そして、自身の心を素直に表現できないため、ないしは相手の心を感じとり、信じて受け容れることができないため、結果「孤独」に陥ってしまう。
「群衆の中の孤独」という言葉通り、現代は物理的に「孤独」なだけでなく、他者とどんなに交わっても精神的に「孤独」を感じる人がとても多いそうだ。家族の基本的なあり方-核家族化された家族のあり方の弊害と言えば弊害か・・・。「他者と直接に出会う」という勇気をもって行動を起こせば、長年凝り固まっていた「概念」が容易に融解し、きっとあっという間に楽になることだろう。ともかく他者を信じ、そして何よりも自分自身を信じ、当たってみることだ。「当たって砕けろ」というが、決して砕けることはない。

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2008年10月14日

よろこびと悲しみは・・・

britten_chello_suite.jpg知人から「預言者の言葉」(カリール・ジブラン著)を奨められ、買い求めた。この手の本は熟読するというより、ふと思ったときに開いたページの言葉に何か意味があるように思うので、ちょうど今月の「早わかりクラシック音楽講座」のお題であるJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」(ニコラーエワが1983年にデンマークで行ったリサイタルのライブ録音。アンコールは「主よ、人の望みの喜びよ」)を聴きながら、レジュメをある程度まとめ、息抜きにページを開いてみた。

よろこびと悲しみは、
決して切り離して考えることはできません。
よろこびと悲しみはいつも一緒にやってくるのです。

よろこびは、悲しみが仮面をはずした姿だという。うれしいときに、自分の心の底を探ると、以前は自分を悲しませていたものが今では喜びを与えてくれ、逆に悲しいときには、以前は心をはずませていたはずのものに今では涙を流しているということに気づくだろう、と。言葉の真意を汲み取るのはなかなか難しいが、すべては表裏一体。

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2008年10月13日

私のオペラ人生は、幻想ではなかった

romantic_callas.jpg(個人的には)落ち着いた三連休だった。普段から平日も休日もない身なので、連休だろうと何だろうとそもそも関係ないといえば関係ないのだが・・・。それにしても、目に見えない世間のムードの影響は受けているだろうから、秋らしい行楽日和の今日などは特に余裕があったように思う。
夕食後、何年か前に公開された映画「Callas Forever(邦題:永遠のマリア・カラス)」を観た。随分と脚色されているであろうほとんどフィクションのようなストーリーだったが、それなりに面白く観ることができた。
壮年期のカラスは、声質の素晴らしさもさることながら、どちらかというと舞台上の演技に他を圧倒する特長を見せたようで、この映画でも歌劇「カルメン」を映像化するための舞台裏や舞台そのものがメインになっており、歳を重ね衰えた声をカバーするために全盛期の頃の歌声を映像に重ね合わせて制作するという方法がとられ、映画製作が進行していく。
しかし、最終的にはこの「カルメン」は偽物だとし、フィルムそのものを破棄することを訴えかけるカラス。演技も歌声もどんなに完璧に見せられようとこれは「幻想」だというのだ。そして、彼女は続ける。

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2008年10月12日

全脳的生き方のススメ

bill_evans_sunday_at_the.jpg久しぶりに一日家の中で過ごす。とはいえ、10月はイベント目白押しで、やらなければならない(考えなければならない)ことが多く、ぼーっとするわけにもいかず、朝からPCに向かっては資料を作成したり、参考文献を読んだり、あるいは机の上に買ったまま積んである書籍のいくつかを同時に読み進めたり、と頭の中はいつも以上に忙しい。

ダニエル・ピンク著(大前研一訳)「ハイ・コンセプト~『新しいこと』を考え出す人の時代」を読む。残念ながら大前氏の邦訳の出来は相変わらず決して良いものとは言えない(英語ができるなら、おそらく原書で読んだ方が良さそうです)が、「全体の調和」や「共感」、「生きがい」などのキーワードで表現された「感性」について、そして全脳的なものの見方、生き方ができるようになることが重要だということが詳細に述べられており、なかなか面白い。何だか、僕自身が愚直に追い続けてきたことが、ようやく花開くのではないかという期待と、まさに「人間力向上セミナー」において提示しようとしていること(それも理屈や理論ではなく体感的に-すなわち座学ではなく、体験実習を通して)とほぼ同じことがわかりやすく書かれており、読んでいて嬉しくなった。最近では、セミナーを実施するたびに、受講生の方々の反応から「間違いなく人間にとって大切な本質を知り、体得できる」ものを提供できているという自負と自信があり、一人でも多くの方に知っていただきたいと密かに思っている。

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2008年10月11日

クナッパーツブッシュのワーグナー

wagner_kna_1962_dvd.jpg最近は、政治の世界や経済界の出来事全ては「人間」が意図的に創作した寸劇のようなもので、良くできた(というよりここのところは裏がみえみえの)虚構のように冷静に捉えることができ、随分大局的ものが見れるようになったかなと我ながら感心する。
今日もとある区議の話を聴いていて、政治家も結局は「身の保身」ばかりに意識を置いていて、選挙時の公約などはどこ吹く風で、お互いの足を引っ張り合ったり、ライバルを貶めることばかりを考えているようで、こういう人達ばかりだと日本はいつになっても変わらないなと何だか情けなくなった。
かつての明治維新(幕末)の時のような血気盛んで勇気溢れる「憂国の志士」のような人材は現れないものなのだろうか・・・。いや、たとえそういう輩がいたとしても、今のシステムだと結局表舞台に出られず、埋もれた存在になってしまうのがオチで、裏側からジワジワとしくみを変えていくような努力をした方がやっぱり賢明なのかな、などとひとり考えた。

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2008年10月10日

計画された偶発性

Monks_Music.jpgキャリアについて考える時、スタンフォード大学のジョン・クランボルツ教授が提唱した「計画された偶発性(Planned Happenstance)」理論は、まだまだ適性が明確に見えていない20代の若者たちにとって未来を楽観的に考え、自身を導く材料として近年注目を浴びるようになってきているらしい。キャリアというものは、用意周到に計画して準備できるものではなく、むしろ偶然に目前に起こっていく事柄を知らず知らず捕らえているうちに積みあがっていくものだという考え方である。
なるほど、僕自身も20年前にはまさか今のような状況、あるいは職業に就いているとは想像もしなかったし、振り返ると、偶然の選択の積み重ねにより「今」ができあがり、結果として「あるべきキャリア」に結びついているのだから、「やりたいこと」が見えなくても決して悲観することはないのだと相談に来る若者には助言している。むしろ、20歳や30歳で明確に方向性が見えているとしたら、それはプロ・スポーツの世界に稀にいる一流選手(例えばイチロー然り、北島康介然り)のような存在で、ほとんどの場合ががそうでないということを知っておくといい。

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2008年10月09日

ショパン国際コンクールのポゴレリッチ

brahms_pogorelich.jpg相方が知人から第10回ショパン国際コンクールの記録映像(30数巻あるうちの6巻)を借りてきたので、その一部を観た。この時、つまり1980年のコンクールは、例のイーヴォ・ポゴレリッチに関するスキャンダルで有名になった回だが、実際に当時のイーヴォの演奏をいくつも観てみて、最近の彼はよりエキセントリックかつデフォルメされた演奏を披瀝するようになったものの、この高名なコンクールで物議を醸しただけあり、ミスタッチは散見されるものの音楽性満点で、こんなにも表情豊かなピアノ演奏は滅多に聴けないものだとあらためて痛感した。それも、当時の決してクリアとはいえない映像、音響記録をもってしても、彼の創り出す音楽の特異性(その呼吸の深さ!)、天才が垣間見られるわけだから、終了後の聴衆の拍手喝采の異様さを見るまでもなく審査の不公平さで激怒して審査員を降板したアルゲリッチの想いが身に染みてわかるように思った。
一方、第10回の覇者であるダン・タイ・ソンの弾く第2協奏曲の映像もしっかりと記録されており、淀みのないタッチと、珠を転がすような美しい指裁き、そしてミスのない演奏はもちろん完璧なのだが、意外性も何もなく、感心はするものの、また聴きたいと思うような演奏であるとは僕には感じられないので、コンクールの非情さというか限界というか、あり方に対する疑問が音楽の素人ながらも沸々と湧いてきて、今日はそのことについて書いてみたくなった。

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2008年10月08日

生涯現役、生涯勉強

bach_grimaud.jpg人は何か問題に直面すると自己反省し、謙虚になろうとする。謙虚ならいいのだが、それが萎縮になってしまうとかえって良くない。等身大の自分でいること。それ以上でもなければそれ以下でもない。ストレスなく自由でありながら、人とも素直に正直に分かち合うことができたら、それが一番楽だし自分らしい。

実は、人間誰でも自分自身をありのままに受け容れることが実は最も難しいのでは・・・、と最近考えている。「等身大の自分」って何だろう?

他者評価というフィルターを通さず、過去の体験を振り返り、没入体験(すなわち、時を忘れて熱中した体験)や辛酸体験(とても辛かったこと)を思い出し、その事実にどっぷりと浸り、全てを受け容れること。そして、今ある「ありのままの自分」を認めること。特に、過去の辛酸体験を棚に上げず直視すること。他人には言えそうもない、トラウマになっているようなマイナス体験までも心を開いて素直に人に話せるようになるだけで、生き方が変わり、人間関係までもが随分変わるはずなのである。

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2008年10月07日

音楽とはコミュニケーションである

Schumann_celibidache.jpg「癒し」とは深いコミュニケーションに因を発する結果であるというようなことを昨日書いた。セミナーで多くの人と対峙してきた長年の経験から間違いないと確信を持ってはいるのだが、こと「(クラシック)音楽の癒し効果」に関してはどうなのだろうか?
演奏者と聴衆が会場(ホール)という一つの共有空間の中で心と心を通い合わせながら、互いに目に見えない気(エネルギー)を感じつつ、音を楽しむことが音楽鑑賞の醍醐味であり、それによって大きな感動が生まれ、結果的に双方にとっての「癒し」につながるのだと思うのだが、では、コンサート活動の一切を放棄したグレン・グールドの場合は一体どうなるのか?没後25年以上を経、いまだに彼のレコードは売れ続け、聴く者に「安心」を与えるという。彼の全録音を聴いたわけではないが、確かに天下の名盤と目される一連のバッハ演奏を聴く限り、そこには「感動」があるし、たとえ様々なピアニストの演奏を楽しんだとしても最終的に行き着くのはやっぱりグールド演奏だったりすることを考えると、彼の創造力は並大抵のものではないのだと思う。それほどに内容的にも技術的にも衝撃的で、常に新しい発見を与えてくれる奇跡的な演奏(音盤)なのだ。
とはいえ、これをもってグレン・グールドの演奏解釈を語ることはできても、音楽を通して彼とコミュニケーションしたことには決してならない。結局、音盤によってグレン・グールドの創り出した音楽の輪郭や解釈はつかめるものの、決して人間グールドとコミュニケーションしたことにならないことが「グールドを聴く」ことの弱点と言えば弱点だとここのところ僕は考えるのである。

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2008年10月06日

クラシック音楽を聴くと「頭が良くなる」という定説

Bach_Kunst_der_Fuge_Nikolayeva.jpg10月21日実施の「早わかり『癒しの』クラシック音楽」と題する教養講座(滋賀短期大学主催)に出演するため、そろそろレジュメをまとめねばと一気に作成した。小難しい話は避けた方が良さそうだということ、与えられた時間は正味90分(うち30分は愛知とし子ミニコンサート)ということなので、伝えたいテーマを絞り込んで、簡潔にわかりやすくポイントを3つに絞ってお話させていただこうと考えた。

一つはクラシック音楽には「癒し」効果があること、一つはクラシック音楽は「頭を良くする」効果があるということ(ホントか?!笑)、そして残る一つはクラシック音楽は決して難しくないということ(つまり、聴く喜びをいかに知るか)。

「癒し」は、コミュニケーションにその源を発する。他を感じ受け容れ、自らを素直に表現し、お互いが深く交わることで自ずと「癒し」が生まれる。人間にとっての最高の精神安定剤-特効薬が「深いコミュニケーション」なのである。
そういう意味においては、音楽の演奏行為はまさにこの「コミュニケーション」であり、一つの空間で演奏者と聴衆が交流、一体化することでそこには「癒し」効果が生まれるのである。だから、音楽を聴くのは本当は実演が良い(CDやレコードなどはあくまで楽曲、あるいは演奏の予習復習のためのものと考えるのが合理的だ)。

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2008年10月05日

土の匂い

mahler_klemperer_lied_von_der_erde.jpg友人がBelly Danceを披露するというので、大崎のVirgin Caféで開催された「EARTH Chapter 1~大地の章」に顔を出してみた。ビール片手に、かなりビートの効いた音楽を聴きながらぼーっと考えたこと。
大地に根付いた土俗的な楽音は確かに人を「癒す」効果がありそうだが、本来はもっとプリミティブで、より激しく、そしてもっと開放的なリズムで、しかも自然の中で演った方がより効果的ではないか・・・。体調も決して思わしくなかったので、ダンスが終わって東京シャンズというバンドのライブが始まるや中座したが、残念ながら僕の心魂を揺るがすほどの感動は得られなかった(これから盛り上がるよというところだったかもしれないけど・・・)。

空海が著した「秘蔵宝鑰」の序に次のような言葉がある。

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終わりに冥し。」

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2008年10月04日

新しい門出

mozart_sinfonia_concertante_kremer_kashkashian.jpgこの9月から10月にかけて毎週のように結婚式に招かれる。新郎新婦の幸せな新しい門出に立ち会えるというのはとても気持ち良いものだ。それが披露宴であれ、二次会であれ、一組のカップルが誕生するたびに自分のこと以上に嬉しい。

夕方から横浜の山下公園近くにある中華レストラン「東天紅」にて結婚式二次会。久しぶりに再会する仲間たちとビールなどを酌み交わしながら昔話に花を咲かせ、盛り上がる。相変わらず「くじ運」良く、先週同様商品をゲットした。
面白いもので、こういうお目出度い席では必ずと言っていいほど、その時々に応じて頭の中に音楽が流れるのだが、今日はChristopher Crossの名曲「Sailing」。1980年の発表だから、もう30年近く前の音楽だが、Crossのハイトーン・ヴォイスと共に全く色褪せないところがかっこいい。

It’s not far down to paradise
At least it’s not for me
And if the wind is right you can sail away
And find tranquility
The canvas can do miracles
Just you wait and see
Believe me

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2008年10月03日

環境が人を作る

bruckner_9_bernstein.jpgそれが企業であれ、家庭であれ、あるいは何であれ、組織のもつ雰囲気や風土というものが、そこに属する人間に多大な影響を与えるということは否定できない大きな事実である。その是非は問わないまでも、人は余程意識をしっかり持っても、長時間ともにする仲間や環境の影響をもろに受けてしまう。
人の脳は面白いもので、1度や2度のインプットではなかなか記憶することができないのだが、たとえそれが無意識下でのものだとしても、何度も反復することにより自然と「癖」になってしまうのだから怖いといえば怖い。
逆の見方をすれば、「石の上にも3年」という諺通り、長い間生活を共にすることで、癖や考え方、あるいは感じ方まで同じようになってしまうのだから人間の環境適応能力というのはある意味大したものだと思う。夫婦が似た者同志になるというのは致し方ないことなのだろう。

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2008年10月02日

女性の元気が良い

beethoven_backhaus_1968.jpg女性の元気が良い。というより、女性に元気を与える仕事に就いている女性たちが輝き始めている。本日、全く別々の場所で出逢った3人のキャリア・ウーマン。一人は、フリーカメラマンであり、ダンサー&振付家でもある女性。もう一人はドラマの脚本家。そして、残る一人は詩人であり、翻訳家である女性(この方は厳密には逢ったというより舞台上で見たと言った方が正しい)。3人に共通するのは、何かの組織に属することなくフリーで活躍し、世の中に大切なことを訴えかけようと努力し、そして相応の成果を収めている点(中にはこれから世に出るだろうという人もいるが)。そして、あくまで自分自身がやりたいこと、そしてできることを追求した結果が今の職業であり、生き方であるというところ。ある意味、男性にはない奔放さを持ち合わせ、他に意識をおきエネルギッシュに活動をされているところは脱帽ものである。それに皆当たり前だが、元気が良いし、よくしゃべる。話すことは人間の活力源だと思うが、自らのモティベーションやポリシー、そして日々起こっていることを詳細に熱く語ってくれるところがとにかく素晴らしい。もともと僕は「聞き役」に回ることが多い性質なので、今日のような日はいろんな意味で収穫が多く、気分が良い。

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2008年10月01日

ハイドシェックのショパン!

chopin_heidsieck.jpg我家では3台のパソコンをワイヤレスでネットワークして使っているのだが、今日、突然2台がインターネットに接続できなくなった。ネットワークは間違いなく接続されていることは確認済み。しかも1台はネットもメールもつなぐことができる。「ファイアーウォールの設定の問題か?」、「単にPCのご機嫌が悪いだけで再起動したら問題はクリアされるのか?」、「インターネットオプションの何か問題なのか?」などなど、あてにならない少ない知識を頼りにいろいろと試行錯誤してみたが、埒が明かない。結局、素人の手には負えないかもと、その分野を専門にしている何人かに電話をしてみてつながった一人からアドバイスをもらった。結局のところ、ルーターやら何やら全てを一度シャットアウトして、数分後に再起動してみたら大丈夫じゃないかということで、やってみた。何のことはない。これですっかり問題解決。ルーターの再起動は自分でもやってみてはいたのだが、時間をしばらくおかなかったことが問題だったよう。

「焦らず、少々時間がかかってもよいというくらいの気持ちで落ち着きをもって物事に取り組むこと」

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