キェルケゴール「不安の概念」
先日も書いた「シンクロニシティ~未来をつくるリーダーシップ」(ジョセフ・ジャウォースキー著)には、いくつかハッとさせられる言葉が並ぶ。例えば、抜粋ではあるが、デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴールの次の言葉。
「冒険することは不安を引き起こす。しかし、冒険しないことは自己を失うことだ。・・・そして最高の冒険は、自己を自覚することにほかならない。」
一体彼のどの著作の、どういうパートで言及されている文章なのか不明なので、前後の文脈を捉えずに語るのは難しいのだが、とても説得力がある。
先日のセミナーでも受講していただいた方にはお伝えしたのだが、人間関係から生じる諸問題の根源は、過剰な「我」、つまり過剰な自己防衛にその端を発していることが大半で、その根底には大なり小なり「不安」があるのではないか。そして、日々の生活の中で己を振り返り、自分の言動を反省することが大事なのだとつくづく思うのである。まさに「自分自身を認識、自覚」することが、解消できないまでも、「不安」を軽減する糸口になるのではないか。未読だが、キェルケゴールが「不安の概念」で考察していることは、概ねそういうことなんじゃないかと勝手に想像した(いつかは彼の代表的な著作をしっかりと読んで深く考えてみたいと思っている)。
自分自身を見つめると、余計にこんがらがって何が何だかわからなくなってくるという輩がいる。大いに悩みなさい。健常者であるならば、自己を自覚することができないということは絶対にないのだから。「自己の自覚が最高の冒険だ」とは、裏返せば、「自分を自覚できないということは生ける屍同然」ということだと思う。
昨日も話題にしたが、BBC「PROMS」を初めて訪れたのが1989年。その時のプログラムを20年近くぶりにひっぱり出して見たところ、いつだったかNHK-BSで観て感銘を受けた「神秘な防壁」を弾いたローランド・ペンティネンが実は出演していたんだということを知り、その偶然に我ながら驚いた(そんな記憶はすっかり時の彼方に追いやられていたものだから)。
その日のプログラム。
シベリウス:「レミンカイネン組曲(4つの伝説曲)」作品22~「レミンカイネンとサーリの乙女たち」、「トゥオネラの白鳥」
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16
休憩
ニールセン:交響曲第5番作品50
ローランド・ペンティネン(ピアノ)
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団
1989年8月19日(土)19:30~、ロイヤル・アルバート・ホール
北欧の代表的作曲家をずらりと並べたコンサート。記憶が沸々と蘇ってくる。とはいえ、当時まだまだニールセンの音楽には疎く、訪英直後の時差ボケによる眠気と相まってあまり楽しめなかったように思う。今から考えればとてももったいない。
今夜は、そのヤルヴィが録音したニールセンの交響曲全集から。
ニールセン:交響曲第5番作品50
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団
キェルケゴール死後10年を経て生を享けた同郷の巨匠カール・ニールセンの音楽は、極めて晦渋な外見をもちながら、北欧的暗さの中に一条の光を照らすような不思議な明快さと安心感を懐にもつ。同年生まれのシベリウスに似た側面、そしてソビエトの巨匠ショスタコーヴィチにも通ずる音の建造物。実に見逃すことのできない名作を数多く遺した大芸術家だ。交響曲では、第4交響曲が有名になっていると思うが、交響曲第5番も捨てがたい魅力を持つ。
1.[返信]
こんばんは。
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団は、もう17~8年前の独身時代、当時住んでいた広島で、今の家内と「シェラザード」他のポピュラー名曲を聴いたことぐらいしか実演の経験がありません。私もこの組合せでニールセンやシベリウスの交響曲を、じっくり聴いてみたかったです。
ニールセンの5番で私の愛聴しておりますのは、ネーメではなく息子のパーヴォ・ヤルヴィが指揮するシンシナティ響による演奏のCDで、ストラヴィンスキーの「春の祭典」とのカップリングです。演奏、録音とも高水準だと思います。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1665566
パーヴォ・ヤルヴィはこのCDのブックレットで、「一枚のディスクに、お互いに連想されることのない、ふたりの作曲家を一緒に取り上げることは興味深いことである。ふたりはほとんど同時代の作曲家であったが、お互いに影響を受け合うことなく作曲していた。音楽における攻撃性については違わないが、それらの意味は違った。彼らがこれらの作品を書いた時、それぞれ視点は違ったが、ふたりとも ―同時代の作曲家はあまり行わなかったやり方で― 人間の感情の最も“野蛮な”部分を音楽で表現する方法を理解していた」と述べ、ジョナサン・D・クレイマーも同ブックレットで、両曲とも1914年の第一次世界大戦の緊張の高まりや破壊に、直接的、間接的に影響を受けていたことなどの、類似性を指摘しています。
戦争やテロ、政治的弾圧などの悲惨さが、音楽や絵画、文学、映画など、芸術のインスピレーションを喚起し傑作を生むケースは、古今東西多いですよね。戦争、平和、芸術についての関係性について考えさせられます。
なお、ニールセンの交響曲全集ではシベリウスの交響曲全集とともに、サラステ指揮フィンランド放送交響楽団によるCDがお気に入りです。
投稿者: 雅之 | 2008年11月05日 18:10
日時: 2008年11月05日 18:10
2.[返信]
>雅之様
こんばんは。
ネーメ・ヤルヴィ&エーテボリ響の実演では、何年か前の来日公演で、オール・シベリウス・プロを聴きました。確か、「フィンランディア」、「ヴァイオリン協奏曲」&「交響曲第5番」というもので、アンコールが「アンダンテ・フェスティーヴォ」か何かだったように記憶します。これも素晴らしい体験でした。
雅之さんご推薦のパーヴォの当盤は未聴ですが、面白そうですね。それにブックレットのコメントが興味深いです。
おっしゃるとおり、芸術というものがそもそも「人類の翳」の部分の産物だと僕も思います。
サラステの全集も未聴なので聴いてみたいですね。
投稿者: おかちゃん | 2008年11月06日 00:48
日時: 2008年11月06日 00:48