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2008年12月07日

与謝野晶子、フォーレ

faure_tortelier_heidsieck.jpg遅ればせながら「金子みすヾ」の世界にはまっている。別冊太陽の生誕百年記念特集号も手に入れ、ゆっくりと彼女の詩の世界に浸ろうと考えている。この天才女流詩人のことをいろいろと調べていくと、大正15年、23歳の時に西条八十の推薦を受けて「童謡詩人会」に入会を認められたという。会員には西条他、泉鏡花、北原白秋、島崎藤村など、中で女流では与謝野晶子と金子みすヾの二人のみというそうそうたるメンバーと肩を並べていたということだから、その時点ですでに天下に名立たる詩人として認められた才媛だということがよくわかる。
ともかくこれほど当たり前で、これほどわかりやすく書かれている文章の中に「世の全て」が包括されているのだから大した感性である。金子みすヾのすごいところは「目に見えないもの」までも感性で捉えて言葉で表現したことであろう。日本という小さな島国の、しかも地方の片田舎にいながら地球の裏側まで見据えるような感覚を若くしてもっていたというのは本当に奇跡的だ。ともかくたくさんの方に彼女の童謡を読んでいただきたいと願う。

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2008年11月25日

秋晴れにフランク

franck_gitlis_argerich.jpg前にも書いたアランの弾くフランクのオルガン曲を聴いていると、何とも不思議な気分になる。それはJ.S.バッハのオルガン曲とは違って、問答無用の宗教臭さが微塵も感じられない音楽であり、母なる大地を連想させる温かみと静けさをあわせもつ「幸福な調べ」なのである。
「過去と未来を鳥のように俯瞰しながら見渡せたら・・・」
そう、タイムマシーンに乗るような錯覚を催させるのだからこれはもう「麻薬」である。
そのフランクがその名声を確固としたものにした名曲がヴァイオリン・ソナタ。これは敬虔なカトリック信者であったフランクが世に送り出した突然変異的な傑作で、この音楽の中にもはや「フランク」という人間は存在していない。ただ妙なる音楽が鳴り響くのみ。おそらくこの音楽を感動的に表現するには相応の経験と年季が必要だろうことは楽器のできない僕にも手にとるようにわかる。
とはいえ、この音楽には数多の名盤が存在する。古くはティボーとコルトーのデュオ。そしてチョン・キョン・ファとルプーが録音したもの。さらにはマイスキー&アルゲリッチのチェロ版によるもの。ゴールウェイのフルートによる版での演奏(アルゲリッチのピアノ)というものもある。いずれの音盤で聴いてみても当然感動的だが、今日はギトリスがアルゲリッチの伴奏で演奏した別府でのライブ録音を取り出そう。

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2008年11月24日

雨模様の庭園美術館

brahms_wlach_quintet.jpg目黒の東京都庭園美術館大ホールでの「愛知とし子ピアノリサイタル」が無事終了した。先日の多治見でのコンサートの日もどういうわけか雨だったが、今日も午後から雨模様。リサイタル開始時間に合わせたかのように雨が降り始め、時間を追うごとに雨脚が激しくなっていく。主催者側からすれば生憎の雨で申し訳ない気持ちにもなるのだが、実はこの雨こそが最高の演出だったことに後から気づく。
この会場は多目的ホールゆえ通常のコンサートホールとは造りが違う。そのため音響こそ問題があるものの観客席から見る窓越しの背景には雄大な庭園が展開しており、雨に濡れた木々や風に揺れる木の葉がピアノの音と連動するように映え、雰囲気満点の舞台になった。お客様にも喜んでいただけたようで本当に良かった。それに、この時期、日の落ちるのも早く、コンサートが終盤になるにつれ少しずつ暗くなっていく様は見事で、薄暮の中でのピアノの音色は何とも感慨深かったことを付記しておく。天に感謝。

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2008年11月23日

ショパンとシマノフスキ

szymanowski_carmina_quartet.jpg仕事で「決めること」が苦手な人は、自分のことについても「決めること」が下手なようだ。何でもそうだが、後退するのでないなら右に行くか左に行くかしかないわけだから、「度胸」をすえて即断即決。そして一度決めたら梃子でも動かないという「信念」が大事。それは決して頑固になれということではない。腹をくくって、「たとえ火の中、水の中」。
進め、進め、前に進め。後ろを振り返ってもどうしようもない。立ち止まって考え込んでも時間をロスするだけ。自分を信じるべし!
午前中、ミーティングをしながらふと考えたこと。人の振り見て我が振り直せ。

シマノフスキを聴く。ショパンと並びポーランドを代表する作曲家とはいえ、「ピアノの詩人」の異名をもつショパンに比してシマノフスキの人気は決して高いとはいえず、主要な作品群もほとんど聴かれないのではないだろうか。そういう僕もこの作曲家のことに関しては極めて疎い(ほとんど何も知らないと言っていいくらい)。ただ、どんな作曲家であろうとその音楽を聴いて、感じ、考えたいという好奇心は常に持ち合わせているので、「レコ芸」などで発売当初随分評判が高かったと記憶するカルミナ四重奏団による弦楽四重奏曲を久しぶりに取り出した。

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2008年11月13日

モーツァルトの初期弦楽四重奏曲

mozart_quartet_hagen.jpg日々日記のようなつもりでブログを書き始めて1年半が経過するが、過去の記事をたまに振り返ってみてみると面白い発見がある。ブログそのものに対する捉え方が、初期の頃はあくまで「自分が日常で感じたことや思ったこと、あるいは体験したこと」を漫然と書きながらその日に聴いた音楽のことと多少絡めながら書いていたように思うのだが、いつの頃からかブログを見ていただいているだろう不特定多数の方々(といっても1日あたり100人くらいの閲覧数なので全く話にならないのだが)を意識して、「人間教育」にこれまで懸けてきた「想い」や「気づき」を中心に僕なりの「考え」を少しずつお伝えしたいという気持ちが強くなり、ついつい文章量が増えてしまっている。
これはひょっとすると不評かもしれないので(読みにくいという意味で)、もう少し頭を整理し、簡潔明瞭にポイントを絞って書くことを心がけよう。

朝から打合せ等で外出し、帰宅したのが14:00頃。昨日に引き続きモーツァルト漬け。カール・ベーム&ベルリン・フィルの交響曲集Boxセットから第31番ニ長調K.297「パリ」以降の交響曲を通しで聴き、ハーゲン四重奏団による「初期弦楽四重奏曲集」を順番に聴く。どこの時代を切り取ってもモーツァルトはモーツァルト。人間の持つ翳の部分、「弱み」さえも赤裸々に表現し、そしてその表現がことごとく「的を得ている」という意味で、「人間らしさ」、そしてその「不完全さ」の中に見る「美しさ」をこれほどまでに完璧に表現できた音楽家はモーツァルトの他にいまい。
人間というのは本来存在そのものが美しいものなのだとモーツァルトを聴いて再確認する。決して卑下することなかれ。あなたはあなたのままでいいのです。

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2008年11月12日

ホメオパシー、やっぱりモーツァルト

mozart_haskil_grumiaux.jpg「出現する未来」(ピーター・センゲ、オットー・シャーマー、ジョセフ・ジャウォースキー、ベティー・スー・フラワーズ共著)を読み始める。最近読んだ「ダイアローグ」「シンクロニシティ~未来を作るリーダーシップ」と同種の傾向を持つ、ここ1、2年で僕が体感的に感じとり、セミナーの中心テーマにしようとしていることが別の角度で明文化されている本で、滅法面白い。方向性は間違っていないんだということを確認する。今多くの人が直面している問題が根深いのは、人と人との関係だけでなく、人と自然との関係が失われている、つまり断絶してしまっていることに原因があるのではと問いかける。では、その断絶をどうやって埋めていくのか・・・。おそらく読み進めていくうちに著者なりの最終解答を見出すことになろうが、「まずはひたすら見て、感じて世界と一つになり、そして自己の内面を内省し、自然の理にかなった動きを素早くせよ」ということが提示されている。納得。

生きる意味を深耕する月刊誌「MOKU」8月号の佐治晴夫先生の記事「すべては『虚空』から生まれた」という記事を読んで、こちらも僭越ながら僕が近頃考えていたことと同じようなことが物理学的、宇宙論的、インド哲学的な観点から書かれており、とても面白かった。-インド最古の宗教詩「リグ・ヴェーダ」中の宇宙開闢の歌である「そのとき無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき。その上の天もなかりき。何ものか発動せし、いづこに、誰の庇護の下に。深くして測るべからざる水は存在せりや」をモチーフに「0(ゼロ)の発想、ゼロ的な生き方」を先生の深い見識から説き、ゼロ、すなわち今を一生懸命に生きることこそが大事なのだということを書いておられる(過去を嘆いたり、未来を心配するのではなく)。
先生は理論物理学者で、現在鈴鹿短期大学学長の職にある方だが、物理学に限らず、哲学、宗教学、音楽、数学、美術、文学などあらゆる方面に長じていらっしゃるようで、わずか数頁の雑誌への投稿ながら、数多の人を魅了するだろう博識ぶりに舌を巻く。先日相方が先生の講演を聴き、帰ってくるや伺った話を機関銃のように説明し、「感動した」という言葉を繰り返す様を見て、人間としてもとても魅力的で素晴らしい方のようだと感じた。とにかくこの先生のお話はお会いして、じかに聴いてみたいものだ。
ちなみに、彼は、自分とは「自」然の「分」身を意味する言葉で、そういう観点から自分を知るための一つの営みが宇宙の研究なのだという。なるほど。

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2008年11月11日

人は皆ひとりひとり価値ある存在である

mozart_clarinet_quintet_wlach.jpgようやく落ち着いて、多少の暇ができたので「人間力向上セミナー」の簡単なホームページを立ち上げようと頭を捻り出した。本格的なものを作るだけの費用と労力はかけられないので、あくまでページを見ていただいた方にどういう内容のセミナーを主宰しているのかの大枠がわかるようなものにしようと思っている。
何をどういう風に掲載するかを考え始めて、壁にぶち当たった。毎回セミナーを実施するたびに受講生にお話することを、簡潔にわかりやすく文章化するのは意外に難しい。自分が提示したいことが明確にあり、目の前で語れといわれればできることが、不特定多数のまだ見ぬ方々を相手にするとなると途端に難しくなるのだ。

やっぱり人間のコミュニケーションというのは、空間を共にし、目を見つめて、時には触れ合い、お互いの呼吸を感じながら進めていくのがベストなんだということをこういうことからも実感する。もちろんWebマーケティングの専門家に委ねれば、ツボを押さえた回答、解決策をいただけるのであろうが・・・。

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2008年11月01日

傾聴

beethoven_12_smetana_quartet.jpgカウンセリングの基本である「信頼、共感、受容」。その全てを真に理解し、体得、行動に移すことは難しい。言葉で並べ立てること、そして理屈でわかることは容易いのだが。今日も研修をやっていて、様々な人たちとの「気づき」のシェアーを通してわかったことがある。ほとんどのトラブルの原因は、「人間関係」から生じる問題にある。他者を理解し、受容できないこと、もっと突き詰めれば「自分自身を受け容れることができない、すなわち自信がない」ということに行き着くのかもしれない。相手と直接に出会い、コミュニケーションを通じてお互いが受け容れあうことがとても重要なのだ。

仕事にせよプライベートにせよ、問題が生じる時に自身の内面で起こっている事実に注意を払ってみると、「相手の話を聴いているようで聴いていない」ということがよくあるように思う。すなわち、カウンセリング技法でいうところの「傾聴」がしっかりできていないことが諸問題の根源であると僕は考えるのである。
「傾聴」とは、言うは易い。しかし、たった5分間といえども、自分に意識を向けずに目の前の相手の話だけを聴き、ひたすら受容するという神技を誰ができるというのだろうか?人は人と交流している時、他者の話を聴いている時、大抵ふと別のことを考えてしまったり、次に言う反論や意見を考えてしまう。その瞬間は「聴いているようで聴いていない」。その結果、早とちりや失敗につながる。

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2008年10月29日

未来は変化する

haydn_ABQ_76_2_4.jpg近年の「人材開発」の潮流は、研修のための研修に終わらず、受講者を行動変容に至るまでフォローし、結果を残すことに重点を置くシステムを開発提供することに尽きるのだという話を昨日ある会合で聞いた。それと、強みも弱みも含めてその人であるということを認め、あくまで自然体で成果に結びつけていくには組織の中に生きる個々人をどうしていくべきか、そして個人のタレント-すなわち誰もが潜在的に持っている能力をいかに引き出し、いかに生かすかという「タレント・マネジメント」が主流になり始めたようである。当然といえば当然の流れ。

「ティッピング・ポイント」を著したマルコム・グラッドウェル氏は、若いうちから能力に長けている人もいれば、時間をかけることによって長期的にタレントを開花させていく人も多くいるゆえ、個人の持つ長所を気長に引き出すことを企業側も考える必要があるということを説いているようだ。しかし、その一方で、多くの企業は目先の売上を重視する傾向が相変わらず強く、従業員ひとりひとりに「結果」を求め、「結果」だけをものさし(すなわち判断基準)にするあまり、その人の能力の芽を摘み取り、時には心の問題に発展したり、理想と現実の間にある「壁」はまだまだ高いように思われる。何だか「矛盾」だらけだ。

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2008年10月26日

「ゴルトベルク変奏曲」を聴き給え!

Souvenirs_Chung.jpgJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」は偉大である。こんなにも精密に構成され、しかも飽きの来ない音楽は古今東西広しといえどもなかなか見つかるものではないだろう。アリアに始まりアリア・ダカーポで終わるという、まるで輪廻転生のような造り。そして、その主題の間には性格を異にした30もの変奏が「宇宙の真理」に則って繰り広げられるという妙味。それに、3変奏毎にカノンが現れるという事実と、基本的に調性がト長調の音楽の中で、3回だけト短調になる(第15、21、25変奏)という光と翳をこれほどまでに巧みに組み合わせた創造物はまずないといっても良い。

本日の第20回「早わかりクラシック音楽講座」のテーマは、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」。もう何度聴いたかはっきりしないくらい人生のポイントで涙させていただいた至高の芸術作品。講座の詳細報告は別に譲るが、今回はできるだけ多くの音盤を聴いていただこうと種々様々な演奏をとっかえひっかえCDトレーに乗っけた。グレン・グールドの新旧録音、そして昨日採り上げたザルツブルク・ライブニコラーエワの新盤ヒューイットの演奏、そしてレオンハルトがチェンバロで演奏したもの。さらにはシトコヴェツキー編曲による弦楽三重奏版弦楽合奏版。嗚呼、どんなアレンジで聴こうとこの音楽に秘められた神秘性は揺るがず、人間の持つあらゆる感情を表現した人類の至宝であることは間違いない。しつこいようだが、この音楽を知らずして「人間」を語ることなかれ。それほどまでに人生の全てがこの中にはある。
とにもかくにも「ゴルトベルク変奏曲」を聴き給え!

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