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2008年11月20日

関係の質

mozart_20_24_uchida.jpg思考を文章化するのは極めて難しい。頭の中で言いたいことはたくさんあるのだが、それを大勢の人に理解できるように目に見える形にするには相応のテクニックが必要なのだろう。特に、独りきりで問答するとなるとなおさらだ。
今、「関係」というものがごくごく僅かながら話題になってきているように思う。これは、僕自身が企業研修などで最近テーマにし、口を酸っぱくして語っていることなのだが、どこの会社、組織(あるいは個人という観点からみても)も「成果」というものを重視する。「成果」というのはプロセスの「結果」なわけだから、要は「結果」を出すことに誰もが躍起になる。「結果」を得るには、まず「行動」変容が重要な要素になる。「行動」変容を促すには「思考の癖」に気づき、より前向き・素直な姿勢に自らを変えていかなければならない。そこでネックになるのが「他」との関係である。人間は誰しも(というより物は何でも)環境にもろに左右される。つまり世の中に存在するすべてのものがそのもの一つで成り立っているのではなく、どんなものでも「他」との関係、相対的な関係の中で成立しているということだ。よって「絶対」というものはいわゆる「神仏」というものにしか存在しないことになる。般若心経にある「色即是空、空即是色」こそが宇宙の真理ということなのだろう。

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2008年11月10日

ゼルキンの「ジュノーム」協奏曲

mozart_9_serkin_abbado.jpg僕にとってモーツァルトのピアノ協奏曲は「心の故郷」である。モーツァルトの真髄を知るなら歌劇かピアノ曲をということはよくいわれる。まだクラシック音楽を聴き始めて間もない頃、ラローチャの独奏でショルティが演奏した第27番変ロ長調K.595のえもいわれぬ美しい調べに夢中になり、この音楽を聴かないまま眠ることのできなかった日々を思い出す。以来、第20番以降のピアノ協奏曲を中心に様々な演奏家の録音(高校生だったゆえ、当然レコードをそう易々と買い集められるわけでもなく、FMのエアチェックや友人からレコードを借りてカセットテープに録音するという作業を繰り返していた)をのめりこむように聴いては友人とモーツァルトのピアノ協奏曲について熱く語ったあの頃が不思議に懐かしい。

久しぶりにゼルキンがアバドのバックで老練の極みのピアノを披露した演奏が聴きたくなり、第9番「ジュノーム」と第17番がカップリングされた名盤を取り出した。もうかれこれ20年近く前、CD初期の頃に買い、もう何年、いや10何年も聴いていなかった音盤である。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271「ジュノーム」
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団

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2008年10月27日

焼酎を呑むとアルゲリッチが恋しくなる

argerich_kord.jpg愉快なひとときを過ごした。渋谷で酒を酌み交わしたのだが、ご好意でいただいた焼酎のボトル(麦製天草)を水割りで美味しく飲み干す。不思議なことに焼酎が身体に染みるとアルゲリッチの音楽を聴きたくなる。おそらくアルゲリッチのじゃじゃ馬的な「何か」を連想させてくれるのだろう(笑)。
それにしても、今日も男と女の話に終始したが、やっぱり男女は異星人である。どこまでいっても平行線で生涯わかりあうことのない妙な関係でありながら結局添い遂げてしまう因縁に基づいた関係。人生が牢獄であり、修行のために生まれてきたと仮定するなら恋愛や結婚こそが最も厳しい現実なのだろうとふと考える。とはいえ、そういう僕はとても幸せなのだが・・・(笑)。

先日第10回ショパン国際コンクールの模様のいくつかをDVDで観たことは書いた。おそらくその年のオープニング・ライブだと思うのだが、棚の奥にしまってあったアルゲリッチの協奏曲録音を久しぶりにとり出して聴いてみた。

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2008年10月04日

新しい門出

mozart_sinfonia_concertante_kremer_kashkashian.jpgこの9月から10月にかけて毎週のように結婚式に招かれる。新郎新婦の幸せな新しい門出に立ち会えるというのはとても気持ち良いものだ。それが披露宴であれ、二次会であれ、一組のカップルが誕生するたびに自分のこと以上に嬉しい。

夕方から横浜の山下公園近くにある中華レストラン「東天紅」にて結婚式二次会。久しぶりに再会する仲間たちとビールなどを酌み交わしながら昔話に花を咲かせ、盛り上がる。相変わらず「くじ運」良く、先週同様商品をゲットした。
面白いもので、こういうお目出度い席では必ずと言っていいほど、その時々に応じて頭の中に音楽が流れるのだが、今日はChristopher Crossの名曲「Sailing」。1980年の発表だから、もう30年近く前の音楽だが、Crossのハイトーン・ヴォイスと共に全く色褪せないところがかっこいい。

It’s not far down to paradise
At least it’s not for me
And if the wind is right you can sail away
And find tranquility
The canvas can do miracles
Just you wait and see
Believe me

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2008年09月19日

「仕合せ」、そして今夜もボッケリーニ

boccherini_dupre.jpg台風が明日関東に再接近するというニュース。明日は渋谷で朝から缶詰状態だが、交通網に影響が出なければいいが・・・。
ところで、本日はお昼から教え子の結婚式と披露パーティ、そして二次会と飲んで食べて大盛り上がり。最後に新郎が新婦に贈った素敵な曲が、中島みゆきの「糸」。いわゆる最近のJ-Popにはとんと疎い僕だが、これほど歌詞がストレートで、心に染み入る歌があろうとは・・・。なかなか馬鹿にはできぬもの・・・。

「糸」
なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない

どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って ころんだ日の跡の ささくれ

こんな糸が なんになるの 心許(もと)なくて ふるえてた嵐の中

縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを
人は 「仕合わせ」と呼びます

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2008年09月02日

忘れじのムターのブラームス

brahms_mutter_karajan.jpgたった独りで全てをこなせる人は決して多くない。夫婦にせよ共同経営者にせよお互いが自分を主張し過ぎず、相手の短所をカバーし合い、長所を受容しあうことで物事はきっとうまくいく。まさに「二人で一人」という状態が最も理想的。要はバランスなのである。

アンネ=ゾフィー・ムターの音楽から随分遠ざかっている。遠ざかっているというのは、日常で全く耳にしていなかったということではない。毎年のように発売されるディスクをまめに蒐集していないし、来日公演もいつ以来なのか覚えていないほど聴いていないということである。CDを購入するという行為はともかくとして、ハイドシェックツィマーマン、あるいはポゴレリッチならば(ヴァイオリニストならチョン・キョン=ファ!)来日するとなると必ず足を運ぶのだが、ムターに関しては「今回はまぁいいか」といつも思ってしまう。何度か聴いた実演にあまり感動できなかったということが大きな理由なのかもしれない(ただし、前にも書いたように2回目の来日時、大阪フェスティバルホールでのモーツァルトとブラームスの協奏曲にはいたく感動したし、ヴァイオリンという楽器の面白さ、音色の美しさを教えてくれたのがムターだったと言っても決して言い過ぎではない)。

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2008年09月01日

蟻の目、そして鳥の目

tchaikovsky_toscanini_horowitz.jpg一見マイナスに見えることでも、後になって振り返ると「あれで良かったんだ」と思えることはよくあることだ。人は誰しも目先のことに執着すると、判断力を欠き、ものの本質が見えなくなり、ついついチャンスを逃してしまったり、間違った(間違ってるかどうかはそもそも判断できないが・・・)方向に進んでしまうことがある。自分自身に余裕がないときなどは特にそういう状態になってしまうのだが、特にこれまで順風満帆に育ち、挫折を経験していなかったり、壁にぶちあたったなどの経験を持たない優等生(あるいは何にも考えていないお馬鹿さんかも・・・)にこのタイプが多いように思う。
ともかく長期的な観点でことに携わり、ある時は物事をミクロ的に見、ある時は一歩引いて客観的にとらえるということはとても重要なことである。

「執着」、あるいは「とらわれ」。そういうものを無くす一番の方法は、やっぱり他人に喜んでいただけるような行動を1回でも多くできるよう心がけることだろう・・・。

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2008年08月26日

全身全霊のショパン!

chopin_zimerman_concerto.jpg「四つの約束」(ドン・ミゲル・ルイス著)を読んだ。
古代メキシコの智慧にもとづいて書かれた、人生をより良くするという4つの教え。
第1の約束:言葉とは力、であるゆえ「正しい言葉、すなわち罪がない言葉」を使えという。第2の約束:人が何をし、言ったとしても、自分のこととして捉えないこと。すなわち、正しい選択をするとき、他人を信じるのではなく、「自分自身を信じること」が大事なのだと。第3の約束:勝手な思い込みをしないこと。すなわち、本当の愛は、その人をあるがままに、変えようとすることなしに、受け容れることであると。そして、第4の約束:常にベストを尽くすこと、すなわち行動すること。

なるほど、極めて簡潔に書かれているので、わかりやすい(ものの1時間もあれば読了できる本です)。この本を読みながら、思い出したのがツィマーマンの弾き振りによるショパンの協奏曲。これほど全身全霊を込めて演奏された音盤は稀である(自分を信じ、愛を持ってベストを尽くした究極の演奏とはこういうことをいうのだろうか・・・)。

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2008年08月07日

鎮魂のヴァイオリン協奏曲

berg_mutter.jpg人間の心(魂)、あるいは意識というものはやはり繋がっている。他の哺乳類との違いを挙げるなら、人には「自」と「他」を区別する意識が備わっているということ。それがある時は壁になり、問題を生じさせる原因になったりする。でも勝手に区別しているだけで、実は「一つ」であると考えたらどんなに楽だろうか。最近ではいろいろなところで言われていることだが、人が自分以外の全てを自分の一部だと-つまり繋がっているんだということを実感し、他に対して「思いやり」を芯から持てるのであれば問題など起こりようがないとあらためて思うのである。
人は人に対して恐怖心を感じたり、情を持ったりする。そして、初めての場所に対して不安を感じたり期待を持ったりもする。場所にせよ人間にせよ、「(実は)既知の場所であり既知の人である」と考えてしまえば、例えば当たって砕けてみても全く問題なしと思えるのではないかとふと考えた。少なくとも40年以上生きて何千人という人間と出逢ってきたという体験からいうと、初めて出逢った人でも決して初めてではないということが多いのである。必ず友人・知人の誰かと繋がっているもの。チャレンジすることは別に偉いことでもない。特別なことでもない。怖がって何もしないことの方がリスクは高い。

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2008年08月01日

想像から創造へ

vivaldi_chung.jpg所用でオーディオ評論家の江川三郎先生のご自宅に伺った。部屋に通されて最初に見たものは、ソニーの小型携帯スピーカーに少しばかり小細工してCDウォークマンとつなぎ、首から提げて再生されていらっしゃる老先生のお姿。試しに体感させていただいたが、びっくり。あまりの音の良さに(まったく予想していなかったものだから余計に)のけ反る(笑)。それに首から小型スピーカーをぶら下げているわけだから、音は下から聴こえるはずなのだが、目の前で相当な広がり感のある演奏が再生されるので二度驚愕。どういう理屈なのかはよくわからないが、スピーカーというのは人間の身体にくっつけること(人の持つエネルギーというか、肉体って本当にうまくできてるんだとあらためて実感)で音の響きが良くなり、さらに臨場感まで生まれるということだ。
江川先生は長年「レコード芸術」にコラムを連載されているので、帰宅して今月号を早速チェック。何と「江川三郎のオーディオ+1の作法」というコーナーで、「首からぶらさげて極上スピーカー」というタイトルの記事がちょうど掲載されていた。ご自宅で拝聴させていただいた方法は先生が昔から主張されている「ニア・フィールド・リスニング」というものらしい。何でもないようだが、とにかくすごい・・・。

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